「あのう、ここ、どこますか?」 「はあ? どこまるまる?」 「ど、どこますか!」 「……ん……どすこいっ!」 グッと親指を突き出す李桂さんを見て、あ、絶対意味通じてない、と私は雑巾を持ったまま生ぬるい笑みを浮かべた。 ふう……とため息をついてごしごし机拭きの作業に戻った私を見て、李桂さんは「あ、悪い。間違えた? 俺やっぱり間違えちゃった? リーペンレンってスモーが好きなんだろ? だからさぁ、スモーのこと言ってんのかって思ってさー。トイプチー!」 な、な? ワリーワリー。と李桂さんは両手を合わせてへらへら頭を下げる。李桂さんの言葉はときどき他の言葉が混じってわかりづらいが、なるほど、私もここで数週間いれば、ちょっとは理解してくるものである。リーペンレンが日本人で、トイプチーがごめんなさい。ウォーが私でニーがあなた。ううーん、中国語? 「母国語でさえあやしーのに、まったく、わからぬです……」 「え? どったの」 「なんでもないます……ハードルが、ベリーハイ……超たかい……」 「ってホント英語下手だよな」 「ぐぬう!?」 事実をぐっさりと射抜かれた。 どうやらこの李桂さんというのは、びしりとその人の痛い場所をつくのが得意らしい。それが悪気がないようなので怒れないし、事実でもあるので私はしょぼんと頭をたれたまま雑巾をぎゅっと握った。これでもちょっとはマシになったんだけどなぁ。 多分中国だろうなあ、と思いつつ、いったいここはどこなのか。私は黒の教団に売られたんじゃないか。いろんな確認をしたくって李桂さんに訊いているというのに、彼は首をきょとんと傾げるだけで、全然意思の疎通が図れない。なんてこった。 せ、せめてボディーランゲージぃー! とばたばた両手を動かしてみたものの、いったいこのボディーで、何を表せというのか。しょぼ……しょぼ……と動かしていた両手を床につけて座り込んだ。 「お、おおお?」 李桂さんはひたすら頭にクエスチョンマークを乗せていた。やってられぬ。 李桂さんはそんなしょぼくれていた私を見て、ほんのちょっと視線をふらふらさせた後、「なんだ、すねてんのか。よしよーし」 わしゃわしゃわしゃ。「ふぎゃー!」 私、犬じゃないよ! 乱暴な手つきでわしゃわしゃするものだから、髪の毛が崩れてしまった。もしこれがラビさんだったなら、もっと優しく、気遣ってくれるはずだ。ぷっと頬を膨らませて、いない人物を考えてもむなしくなる。「ラビさん……」 でもちょっとだけ、口から洩れてしまった。 いっつもにこにこしていて、優しくって、根気よく言葉も教えてくれた。ぎゅぎゅり。雑巾を力いっぱいに絞る。 気づけば李桂さんが私の前に座り込んでいた。「まあよくわからんが、元気だせや」 またわしゃわしゃ。 でも私が先ほど抵抗したからか、さっきよりも優しかった。「元気だせー」ともう一回言って、ぽんっと力強く私の頭を押さえつけて、彼は白衣をひらひらさせながら背中を向けて去っていく。ついでに片手もひらひらさせて、ばいばいの合図だ。 どうせみえていないだろうけど、私も片手をひらひらと振る。 とっても早口で、ときどき中国語で聞き取りづらくって。 けれどもどうやら私は、お友達が一人できたみたいですよ、ラビさん。 ちょっとだけ、さみしくありません。 と、思っていたのだけれど。 「え? 日本人?」 「そ、シィフ、日本の文化に興味があるって言ってたじゃん。ほら、日本語がわかるやつ連れてきたぜー!」 「え、えええ!」 ほんとますかー! と私は目をひんむいて驚いた。シィフ、と呼ばれた李桂さんと同じ白衣を着た目が細い、真面目そうな男の人は私の顔を見て、ううん、とうなった後頭を下げた。おお、と感動しつつ、私も頭を下げる。久しぶりの日本式の挨拶だ! 懐かしくって嬉しいぞ! 「、です!」 「あ、えっと……ボクはシィフだけど」 「しふさん!」 「シィフ」 「しふさん……?」 「シィフ」 「し、しふ、さ」 「もう許してやれって……」 こいつ中国語も英語もへったくそなんだからさー、とフォローにもならないフォローを李桂さんが入れてくれる。ふーん、としふさんは頷いた。そして「日本人って、小さいんだね。中国人とも似てるけど、ちょっと違う」と言いながらまじまじとこっちを見てくる。しふさんの言葉は落ち着いていて、李桂さんよりもききやすい。 それで、だ。 「しふさんは、日本語が、わかるますとさきほどおっしゃいました」 「うん? ちょっとだけだけど」 「そ、それならばっ、おしゃべりをばっ」 そう、私の言葉が下手ならば、あっちの方にこちらの言語に合わせてもらえばいいじゃないか! そうしてくれるのならば、この英語では話せないもどかしい気持ちを受け取ってくれるに違いない! 私は瞳をキラキラさせながらしふさんを見つめた。彼は細い目をさらに細くさせて、こほん、と咳をつく。「それじゃあ……」 うんうん。 「スシー、ゲイシャー、スキヤキー、ハラキリー、ジャパニーズニンジャー」 スシー、ゲイシャー、スキヤキー…… 「おお、なんだシィフ、今の妙な呪文は!? 日本人の間だけ伝わる呪文か!? かーっすっげぇ、おもしれぇ!」 「まあそんな感じかな。前に話したことのある日本人がこれと同じことを言っていたよ」 「おおお、マジモンだー! 、どうだ!?」 ただただしょっぱい顔で彼らを見つめる私を、李桂さんは不思議そうに首をかしげて、「スゥシー、ゲイッシャー、スキヤァキー。こうかー!」としふさんと同じ呪文を唱え始めた。やばい。どうしよう。泣けてきた。 BACK HOME NEXT 2011.08.02 |