隣の部屋に、お隣さんが引っ越してきたらしい。


 第9話  私とお隣さんの引っ越し事情 1




隣の部屋の、特に誰もいない空き号室のまま、季節が一巡りくらいしたあるとき、がさがさと妙な音が一つ壁の向こうから聞こえてしまったのだ。(こ、これは、ど、泥棒……っ!) すぐさま、はっとその思考に行き着いた私は、慣れ親しんだ獲物を持って、ドアノブに、がちゃりと手をかけて、「………いやいやいやいや!」 そういえば、お隣に、新しい人が来るよと管理人さんがいっていた事を思い出した。




妙に難しい漢字で書かれた表札をじっと見詰めて、どうしようかな、と人差し指が軽く宙に揺らせる。
(……ごあいさつ)

実は隣人に人が越してくるなんてこと、初めてな経験で、一体全体どうしたらいいものか全然分からない。敢えていうなら、聞こえてくる足音で、うん、多分一人暮らしの人なんだろうなぁ、なんて事ぐらい。けれども。(仲良く、なれるかな、なんて)


手にもったおなべ一つに、今日の晩ご飯のおかずが敷き詰められて。くんくん、と匂いをかいでみると、ほんわかとしたあったかさに、ううん、大成功だ。と自画自賛してる場合じゃなくって!
「引っ越しの、挨拶代わりに、晩ご飯の差し入れって、おかしいかな……」

普通なら、おそばを差し入れするところなんだけど、あいにくスーパーへお買い物へと行かないといけない(あれ、私差し入れされる方?)

ごくり、と唾をのみこんで、ぐっぱ、ぐっぱ、と右手を、開いて閉じて。「えいや!」 ピンポーン!
ガタッ! という音が部屋の中から聞こえた。きっと隣人さんだと思う。変な人だったらどうしよう、とか、恐い人だったらどうしようとか、ぐるぐる頭の中で回るばかりで、インターホンから返ってくる声を、目をぱっちりと塞いで待っていたはずなのに、


かちゃり、と聞き慣れた音がした。「おい」響いた低い声に、思わず目を開けると、銀色で、ピンピンとはねた髪型に、口にくわえたタバコ。つん、としたかぎなれない匂いに、思わず顔を歪めてしまった(………た、タバコ)(お、おかしいな、管理人さんが、私と同い年ぐらいっていってたのにな!)
「んだよ、お前」

彼はというと、めんどくさそうに、くいっと首を横に倒して、眉間にぐいぐいと皺を寄せ、不機嫌そうな声でぽつり。はっとしたのは、その声と、手に持つお鍋の重さだったりして!

「うあ、はい! 私となりのっていいます! なにか手伝う事とか」
「ねぇよ」


早かった。彼の反応は、早かった。思わず聞こえた、ひゅるりという風に、「それだけか? じゃあな」 くるりと返した踵。ギイイ、と音をたてて、引かれるドア。思わず。
思わず、ガッ! と、片足を突っ込んでしまっていた。

後一歩の、私の靴一個分の空間を残して、扉が閉まる。「………」お互い、半分くらいしか見れない顔を、じっと見合わせて、「………なにしてんだ、お前」「え、いやあの、条件反射で、」
どんな条件反射なんだよ、と聞こえた声に、耳を塞いでもいいんでしょうか。茶色いローファーが、ギリギリと扉にこすれた。「あの、晩ご飯のおかずとか差し入れに来たんですけど!」「いらねぇよ」
返答は短い。

「お腹へっとませんか!」
「へってねぇ」
「あの、何年生ですか、私中一なんですけど」
「どうでもいい」

思わずうっ、と息をのんでしまうと、ちっ、と小さな舌打ちが、彼から聞こえる。「どけよ」
きっと、扉の向こう側で、眉間に皺を、もっともっと寄せながら呟いたんだと思う。「す、すみません」
ほんの少し、開かれた扉から、しゅるしゅると足をどかす自分が、ものすごく、情けない。


「ごめんなさい、新しい住人さんが来るって思って、ちょっと舞い上がっちゃってました」


相手の気持ちを、考えるべきだったなんて、今更だけど。ほんの少し、響いた声は、随分情けなくて、ほんの少し、開いたままの扉の、奥にある彼の顔が、ぐいっ、とまたうざったそうに眉毛を寄せた。手に持つ、お鍋が、ものすごく、重たい(か、空回りって、恥ずかしいなぁ)「ごめんなさい、ごくてらさん」     ちっ「ごくでらだ」

また、舌打ちが、聞こえた。



がっと、開かれたドアに、ぐっ、と彼は右腕を出して、「かせよ」「へ」「不味かったら捨てるからな」

「間違えてんじゃねぇよ。獄寺だ。中一」

バタン。

半分回らない頭で、てんてんてん、と見えない扉の先を見詰めて、はっとしたとき、「お、おなべは玄関前にでも置いといてくださいねー!」
なんの返事もないお隣さんに、その声が聞こえたかは、ちょっと謎。
(というか、同い年だったんですか!)




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2008.03.01