今更ながらに僕は思った。
このばかは一体なんなんだって。


第9話  野球ボーイVSツンデレボーイ




「なぁなぁひばり、野球しようぜ」

なぁなぁなぁなぁ。黒髪のよくわかんないこいつは、僕の肩をぐいっと掴んで、なぁなぁなぁなぁ。正直うるさいなもう黙ってよしないったら今すぐどっか行けとか思うけど、そんな事をいったら姉ちゃんが、ぐっと眉毛をよせて悲しそうな顔をするからいわないことにした。「なぁ、ひばり」「しない」

だいたいグローブも、ボールも、バットもないってのに、こいつはどうやって野球なんてするつもりなんだろうとか思う。僕が本当にコイツの相手をするのがめんどくさくて、ごろごろ姉ちゃんのソファーの上に転がっていると、そいつも諦めたように、ごろごろと転がってきた。ちょっと待ってよあっち行ってよ。

そういう前に、このばかは「どーん!」とか意味の分からない効果音と一緒に僕の上に、ぷちっ
「やめろっ」

僕と同じサイズくらいのこいつに踏みつぶされて、ばたばた手を暴れさせても、バカはきゃっきゃと嬉しそうな声をあげて、ごろごろごろ。
ふかふかなはずのソファーが、まるで硬い鉄板みたいに思えてくる。
あっち行けよ! と叫ぼうと、ぐっと息を吸い込んだとき、姉ちゃんが、台所からにゅっと顔をのぞかせる。
「きょーやくーん、武くーん、ちゃんと仲良くしてるー?」


その声に、ぱっとバカは立ち上がって、「おう!」 おうじゃないよおうじゃ。けれども違うと叫ぶのも、どうかと思って、ぐ、とソファーに顔を押しつけた。「なーひばりー」 なーひばりーじゃないよ


やっとどいたバカから逃げるようにして、ソファーから、とん、と右足をつけて、左足をつけた。姉ちゃんのところに行こう、と足を進めようとして、すすまない。ぐぐぐ、とバカに引っ張られた僕の右手が少し痛い。

ぶんっと振り回しても、バカはにかにか笑ってるだけで、ぶんっ、ぶんっ

にかっと笑ったまま、そいつがまた遊ぼうぜ、と口を動かす前に、力一杯、左手で、そいつの手をぶったたいた。
バチンッ! と予想よりも、大きな音がなったけれども、姉ちゃんには聞こえなかったらしい。ほんの少し赤くなった自分の手をそいつは、見詰めて、放した瞬間、僕はさっと後ろに飛び退く。



「おまえ、なんなんだよ」

思わず、口から出ていた言葉を、自分の中でごっくんと飲み込んだ後、バカを見た。バカは、赤い手から僕へと視線を移動させた後に、なんともない顔で、ん? と首を横へと傾げる。「だから」
伝わってない

「だから、お前、なんでくるんだよ」


知らないやつが、姉ちゃんと一緒にいると、イライラする。当たり前みたいに、隣に居座ることも、腹が立つ。むかむかする。
姉ちゃんは、仲良くしろっていった。学校の先生も、みんなと仲良くしなさいといった。
(よく、わからない)
一人でいいじゃないか。たくさんと、たくさんと一緒にいる意味なんて、ないにきまってる。一人の方が、掃除の時間とか、授業中とか、他人に足を引っ張られたりしない。いらいらしない。むかむかしない。
ぐるぐると、お腹の中あたりで、何かが渦を巻く。


「なんで、来るんだ、よ」


絞り出したみたいな声は、まるでテレビか何かでみた、ぐるるるる、と唸るような、獣の声に似ていると思った。頭の中で、じんと響く、僕の低い声。きっと、目の前のばかにも、響いていると思う。バカと僕はそのまま、仁王立ちみたいな姿勢で、じっと見た。見られた。
手の中が、ほんの少しじとじとする。「なんでって」

僕が唇を噛みしめている間に、口を出したのはバカだった。相変わらずあっけらかんとした口調で、ううん? と首を横に倒して、ポリポリと頭をひっかく。そうか、とそいつは、呟いたのだ。


「すきだからだろ」

何が。そう、僕が聞く前に、「おれ、姉ちゃんも、おまえも、すきだぜ」 うん、だから楽しいし。
なっ! と、さっきと変わらない口調で、ぐ、と僕の両手を、そいつが握り上げた。
意味がわからない。すきってなんだ。楽しいってなんだ。ぶん、ぶん、ぶん。また、そいつは両手を振り上げる。


     意味が、わからなかったけど。ぐるぐると、やっぱりお腹の中で、何かが渦を巻いていたけど。
何故だか、そのままお腹の中から、僕の胸あたりを、ぐいっと引っ張られるような感覚がして、ぎゅ、と苦しくなった。どくり。どくり。音が耳の辺りで、大きく聞こえる。どくり。どくり。
「僕は、おまえなんか、すきじゃない」

そう、呟いたけど。どくり、どくり、とやっぱり音が消えない。響く。ぐ、と唇を噛んで、おまえなんか、すきじゃない。と頭の中で、もう一回呟いた。すきじゃない。すきじゃない。すきじゃない。………でも、きらいでも、ない。

「おまえなんて、バカだ」


なんだひばり、ひでぇ。とからから笑う声が聞こえる。あれ、どうしたの恭弥くん、とお盆を持った手で、ジュースを運びながら、姉ちゃんがにっこりと微笑む。
ぐるぐるした、やっぱり、胸の方がひっぱられる。

(あした、またこのバカがきたら、野球を一緒に、やってやっても、いい)
こっそり、そう思った。





靴を脱ぐ。たくさんある靴の中で、真っ直ぐに揃えて、その中に、いつも母さんが履いている靴が、一つ足りないな、とふと思った。
出かけているんだと思う。もう少ししたら、大きなスーパーの袋を抱えて、恭弥ただいま、とにっこりと微笑んでくるのかもしれない。そう思って、リビングの扉を開いた。
何故だか、妙な空気だと、ほんの少し思った。ほんの少し、肌寒い。窓が開いてる所為だと思う。窓のでっぱった部分を、引っ張って閉めようとしたとき、ばっと、大きく、風が吹いた。カーテンが大きくはためいて、僕の前を過ぎ去る。

そのときの風で机の上にあったものが飛んでしまったのか、一枚の紙が、僕の頭の上を通り過ぎる。手を伸ばした。小さな紙だ。電話の隣に置いているメモ用紙と同じだと思う。

真っ白い紙に、それは細っこい母さんの字で、恭弥ごめんね、と書いてあった。



  


2008.05.05