俺はソイツの一番の友人だった。


第5話   詰め合わせ 1




「お前って、」

俺の体のサイズは小さかった。何故小さいのか分かるのかといわれれば、ソイツの隣にちょこんと置かれた机のサイズが、教室に比べると小さかったからだ。俺よりほんの少し高い目線の彼が、そのサイズなのだから、俺は同じより、少し小さいであろう事はすぐに分かった。

俺が口に出したセリフを、ソイツは目を大きく開けて聞いて、ぐ、と唇を噛みしめるようにした。おそらく。何故おそらくなのかというと、そんな彼の表情をじっくりと観察する前に、真っ黒い影が俺の目の前を覆ったからだ。違う、正確にいえば、彼の拳が、飛んできた。
正確にきっちりぶつかったはずなのに、痛くもなんともない。耳の奥で机が倒れたであろうガラガラガッシャン! という音が、まるで水の中で聞いたぶよぶよとした感覚そのままで伝わる。
痛くない。だってこれは、夢だから。随分昔の、夢だから。







俺は寝ぼけた頭のまま、今朝の事を考えていた。一定の周期で、同じ内容で、何度も。覚えている。その瞬間の事を、俺は頭の中ではっきりと覚えている。痛くもない頬を、左手でさすりながら、右手で、カンカン、と軽く机を指先で弾いて、肺の中に詰め込んであった息を、はき出した。しっかりと、アレは俺の心の中で、しこりのように凝り固まってしまっているのだ(あの時まで俺は、自分を魔法使いだと信じていた)
バカバカしい話だ。


「オッス頭爆発してんぜー!」
「爆発させとんの。これ最近のおしゃれやの」

やっぱり当たり前の顔をして、俺の目の前の席にどかりと犬は座り込んだ。その隣では、またまた当たり前の顔をして、猫がにやついている。ぴろぴろと優雅に尻尾を揺らす幻影まで見えてきそうだ。イライライラ。今日は寝坊しちゃったもんで朝洗面所に長々と立つ時間がなかったんだよ!

カチカチと刻む時計のリズムが、あと3週ほど回ればチャイムがなる事を示してくれる。にかー! と笑ったまんまな犬と無愛想に見える猫と、それからさっさとおさらばだ。
教室の向こう側で、小さく俺へと手を振っていた女の子が、慌てて廊下を駆けぬけるのが分かる。文化祭の時期が近くなったからか、この頃近くの廊下に異性がうろつく。男臭い校舎にとって、これは潤いだ。バンザイ。でもローテンションな俺。バンザイ。

「いいの
「なんやの猫ちゃん」
「(猫?)キミ今日、日直だよ」


ぼけっ、と手を振ってきた女の子の後を見ながら、白い縁取り壁掛け時計を、また見てみる。カチッ。音は聞こえなかったけれど、きっとこういったに違いない。キンコンカンコンと聞こえるチャイムを尻目に、もうちょっと早くいってくれりゃいいんじゃね? とほんの少し思った。




俺は怒られた。朝の日誌をきちんと取りに来いと怒られた。ついでにその頭はなんだ新手のパーマかとも怒られた。「すみませぇんセンセーこれ生まれつきやねん」なんていう勇気は俺にはなく、「トイレ行って水ぬらして来ますわ」と愛想笑い攻撃しか出来ない。

気づけばどっぷりと持たされた配布プリントに配布ノート。あまり男としてでかくないサイズの俺だからなのかもしれないけれど、これでもかと積まれた量は、俺の目の前の視界をことごとく防ぐ。(ああ、厄日だ) やくび。やくび。約ビー!

(結局、いつも通りか)

別に厄日な事がいつも通りといいたいんじゃなくて、藤代と笠井は、いつも通りだった。彼奴らの先輩の前で、ぷっつんと一瞬理性がキレてしまった俺。ちょこっと短気な俺。反省はしてるぜ俺。
本気の逃亡を遂げた後、藤代のオネーチャンと人生相談ののち、「大丈夫よあの子あんまり気にしないから」のセリフを微妙に信じて、ため息と一緒に教室のドアをくぐった時だった。
『オッス遅かったじゃん!』 藤代はイスに座ったまま、ガタガタと上半身と右腕を振り回して、にかっ、と俺に笑った。

つられて俺も、「お、おう」と、にかっ、というよりは、にやりに近い感じで、口元をほんの少し引きつらせて、右手を、小さく、パタパタ。(これは、気にしてない、というよりは) ただの馬鹿?

けれどもそれから、サッカー部に入れとはいわれなくなった。ただ一つのほんの少しの変化だ。けれども、あんだけうざかった理由の一つが減って、ほっとする反面、何故だか小さな罪悪感が、チクチクと俺のハートを突き刺す。どんな理由があっても、力一杯他人に怒鳴りつけるなんて、最低もいいところだった。

「ああチクショウ」


忘れるものなら忘れたい記憶も、俺の頭の中にははっきりと残っている。都合のいい所はすぐ忘れる藤代の脳みそを、ほんの少しでいいから別けてもらいたい。お前ならちょっとくらい減っても、全然問題ないだろ?

ぐ、と掴んだ、一番下のノートは、ほんの少し折れ曲がっている気がする。ふらふら揺れる体で目の前の階段を一段一段克服していく俺。足下が見えない俺。誰か手伝えコノヤロウ


そんな矢先だった。ふっ、と軽くなった自分の手の重さと、はっきりと開けた視界が、ここは踊り場なのだと初めて知った。未だにぼやけた頭は、そのまま気にせずに階段に足をかける。量が減ってラッキーだとでも考えていたのかもしれない俺。


「おいお前、シカトかよ」

中学生にしては響きのいい声を聞かせて、垂れ目で黒髪なお兄さんが、ほんの少しのノートを抱えて、首をぐいっ、と傾げていた。なんだか上から目線だ。今から俺様とかいいそう。俺様のビキニに酔いな! 間違えた、俺様の美技に酔いな!


「あー、すんません、ありがとーございます」
「寝ぼけてんのか」
「寝ぼけへんですよ、ちょっとボケとるだけです」


それが寝ぼけてるっていうんだ、と垂れ目の人は、ほんの少しため息をついて、俺の隣の階段を、のしのしと歩く。「藤代の教室か」と一言呟かれて、はい、と首を縦に頷いた後、「あ!」


「すんません」
「ああ? ふらふら階段上がってんのが気になっただけだっつの」
「ちゃいます、こないだの、学食、昼飯で」


頭の中で、またあのシーンを思い返してしまった。確かこの人は、キャプテンと呼ばれたのは渋沢だったか、穏やかな顔をしたその人の前に、座っていた男。名前は思い出せないが、食べていたのがカツカレーだった事は覚えている。もの凄くどうでもいい。


名前も思い出せない男の人は、「ああ」と思い出したように頷いて、「別に。どうせ藤代がなんかバカやっただけだろ」と本当にどうでもいい事のように、顎を突き出すように、首をぐいっ、と動かした。もしかしたら癖なのかもしれない。「や、でも空気わるうしたんやないですか」

別に俺はマゾでもないし、自分の傷口に塩を塗り込む趣味もない。けれどもずきずきと染みる音が、ある。ああチクショウ。きっと多分、これは夢の所為だ。殴られもしなかったはずの頬が痛い。


ほんの少し、垂れ目の人が、「あー」と喉の奥から声を出す。「別に。バカ犬だしな」 それでいいのかとほんの少し思ったけれど、垂れ目さんはやっぱりニヤっと笑ったまんまで階段を上りきった場所で、俺の手元へ、ノートをダイブさせた。どすん。大して重くもないけれど、やっぱり塞がれた視界に、ほんの少し、意識がふらつく。
「つーか俺、お前のこと知ってたし」「え」


「藤代が、、うるせぇんだよな」 ちゃんと手綱にぎっといてくれや、飼い主さん、と囁かれた耳の奥で、飼い主さんは笠井くんです。と呟いてみた。







  

2008.06.23