それはとても謎だった。


第6話   準備期間中 1





『なんていうか、俺も、ソイツのこと知んないけど、カンケーないが、悩む必要とか、全然ないと思うよ』
こないだまで悶々とああどうしよう俺どうしようなんだか気持ち悪い最悪だー! と考えてたはずなのに、あんな軽い藤代の一言ですっきりしてしまいだなんて、情けないような、泣きたいような、そんな気持ちだった。だって藤代。なんたって藤代。

オネーチャンは、『ふふん、凄いでしょ、うちの子』と妙な自慢をしてくる。そんな自慢に、ああそうやね、と相づちを打っている間に、ふと気づいた。

(俺、藤代に何回触ったっけ?)

ぶらぶらイスに座りながらズボンの端を掴み、真っ白いテープで覆われた足を見詰めてみた。確実に、俺はアイツに触ったし、触られた。
時々不意打ちに、後ろからガバリと抱きつかれる事だってある。けれども今の所、ただの一度も“アレ”を見ていない(おまけみたいに、オネーチャンなら見たけど)
おかしいなぁ、と自分の膝に肘をついて、ふむと藤代を見詰めてみると、ヤツは直前へと近づいた文化祭準備として、にかりとした笑みを浮かべ、トンカチ片手にカンカンカン。張り切るのはいいけど、人様にぶつけるんじゃないぞ。危ないことするんじゃないぞ。

「ちょっと、さぼるのもいい加減にしなよ」
「笠井くん」

随分男子どもにこき使われたのか、笠井は青筋をたてながら、俺の横へと座る。文化祭準備のために机とイスは俺が使っている分をのぞいて後ろへと送っているので、もちろん地べたにどかっ、と座った。床の埃なんて気にしないぜとどかっと。笠井って見かけと違って男らしいよなぁとかいえば、鉄拳が飛んでくるんだろうか。正直殴られたくもないし、触られたくもないので、それは勘弁して欲しい。


「さぼってるんちゃうよ。ほら俺足ひねってもーたやん? せやから藤代くんみたく屋台なんて作られへんしな。こないしてぼけーってしとんの」

へらりと笑いながら、俺は言い訳を口にした。もちろんそんな訳はなく、ズボンの下ではテープくんが頑張って、俺自身に痛みなんてこれっぽっちもない。
そんな俺へと笠井は眉間に皺を寄せて手に持っていた白い布と裁縫道具を、俺の胸めがけてガスッ! と投げた。右手で裁縫道具、左手で布をチャッチしたものの、右手の中身がガチャンと中が崩れる音がする。


「だったら俺の代わりに地道にエプロン作っててよ。ほんとヤになる。何が悲しくて俺が男のエプロン作んなきゃならないんだよ」
「そりゃあ、笠井くんが器用やから、こっちの仕事になってもーたんやろ」
「ああああもう腹が立つ! 誠二にやらしてみたらホントアイツ何したいのって感じだったんだけど。雑巾量産してんのかって訊いたらひよこの刺繍してんだってアイツバッカじゃないの!」
「おちつき口調が荒れてんで」


それでもイライラしながらも、無言で黙々とエプロンへと針を通す笠井に見習い、俺も仮縫いを始めた。家庭科なんて小学校卒業してから習ってもいないけれど、体は覚えているらしく、小さな針の穴へぶっとい仮縫い用の糸は一発で通った。ちくちくちく。無心に。ちくちくちく。

これが終われば笠井は女子校舎にある家庭科室のミシンを借りてタンタンタンと縫いつけるのだろう。ミシンに向かい合う笠井って、なんだか似合うなぁ、と思っていながら、エプロンにひよこちゃん縫いつけようとするって藤代どんだけ馬鹿なんだ、と思考が飛んでしまった。ちくちくちく。


玉結びをして、きゅっ、と糸を固定させた後に、歯で食い千切ろうとしても、中々上手くいかない。しょうがねぇ糸切りばさみでも、と裁縫具の中身を見ようとしても、ぐちゃぐちゃでよく分からない状態だ。この中に糸切りばさみは埋まってしまってるんだろうか。けれども何処にもお目当ての物体は見つからず、なんでだと笠井の手元を見てみると、丁度いいタイミングだったのか、パチンッと音を立てて笠井が糸を切る音がする。

「笠井くん、かしてーな」
「ん、ああ」


パチンッ
糸が切れた。綺麗に切れた糸口に満足して、俺は新しい場所へと針を通しながら、藤代を見てみた。

相変わらず、振り回したトンカチが、釘を斜めに打ってしまったらしく、折れ曲がった様に、「ぎゃー!」と一人奇声を上げている。さっきから何本釘を無駄にしてしまったのか訊いてみたいような、訊いてみたくないような、なんとも微妙な感じ。
つん、と口をとがらして、次こそはと叫ぶ藤代に、クラスメートは、「ばーか!」と頭をはたいた。それなのに、ソイツはどこか幸せそうにヘラリとした顔をして、「ばかはないだろー?」

そんなマヌケな光景を見ていると、俺はどうにも不思議な気分になってしまって、ズボンの裾からチラリと見える白いテープを、また見詰める。相変わらず白い。

「手、止まってる」
「あ、わるい」

再び手を動かしてみても、不思議は気分はちっとも消えることはなかった。なんでアイツはあんなににかにか笑っているんだろうか、笑っていられるんだろうか、俺が触っても、何も、見えないんだろうか。そんな事を考えているうちに、ふと、ああもしかして、と針が止まる。

「なぁ、笠井くん」
「なに」
「藤代くんって、悩みとか、ないん?」

もしかして藤代には悩みとか、トラウマなんてもんがないのかもしれない。だからあんなににかにか笑って、楽しんで、俺がペタリと触っても、問題なくて、まぁただちょっと問題があると言えば、小さな幽霊の女の子が見えてしまうだけだ(いいやそれでも十分か?)
そうなのかなぁ、という考えは、そうなんじゃないか、という妙な確定へと変わっていった。だから藤代は、そうなのか。


笠井は、「へ」とどこかマヌケな声を上げて、黙々と縫っていたはずの手をピタリと止め、床へと座ったままの体勢から、俺を見詰めた。
パチパチと何度か瞬きを繰り返した後、「あー」喉から震わせたような、男らしい声を出す。

「………どうなんだろ。本人に、訊いてみたら?」
「………まぁ、暇やったらそうするわ」


藤代誠二という男は、案外謎に満ちた生命体なのかもしれない、とエプロンを縫いながら、思った。取りあえず、藤代の分のエプロンには、可愛いひよこちゃんの刺繍でも入れといてやろうと考えて、

「もし、悩みとか、ないんやったら、羨ましいなぁ」


どうなんだろうね、っともう一度、笠井が呟いた。



  

2008.07.07