4 少年D


好きな女の子がいる。



僕はクラス委員長をしていて、中々真面目な方で、教師受けもいい。もう一回言うけど真面目だ。成績だっていい。そんな僕は一人の女の子が好きだった。さんと言って、美術の先生の妹さんだ。中学一年生のとき、同じクラスになってからずっと好きだった。



ごほん、ごほん。僕は何度か咳をついた。喉の方は問題ない。いける、いける。クラス全員のノート配りをしているときに、意図して彼女のノートを、そっと一番下にまわしておいた。そして一番最後に彼女に配るのだ。終わりの会の時間が近いから、みんなは自分の席についている。ごほん、と僕はもう一回咳をついて、「さん     」と声をかけた。けれども同じクラスの男子の声で、僕の声はかき消された。

「なあシスター! 明日までの数学の宿題、見せてくれよー!」 その身勝手極まりない台詞を吐き出す男は、同じくクラスメートの若菜結人だ。

僕はばしん、と若菜くんにぶつかった。「あ、ワリ」と若菜くんは僕へと適当に謝って、すぐさまさんの席へと手をついた。ぶっちゃけムッとした。僕は若菜くんをかきわけるようにして、さんの前へ移動した。「さん、これノート」「あ、委員長ありがとう」「どういたしまして」

にこっと笑われると嬉しい。僕もにこにこし返していると、今度は若菜くんが僕をぐいっと押す。「だから、シスター、数学見せてよ、数学」
ちょっと若菜くん、今は僕がさんと話してるんじゃないか。

なんだか焦った。だから無理やり二人の会話に割り込んだ。「若菜くん、さん、迷惑そうじゃん。空気読みなよ」「んなことねーよ、な、シスター」「迷惑だよ。あとシスターって言うな」「アレッ!?」

まじで!? まじで迷惑!? なあなあシスター! とさんの肩をがっくんがっくんする若菜くんを、さんは「そろそろ先生来るからどっか行って」とスパリと切り裂いた。しょぼしょぼ背中を丸くしながら去っていく若菜くんを見て、僕は胸がすかっとした。そしてその後さんと目が合った。彼女はもう一回にっこり笑って、「委員長、ノートありがとう」と言い直してくれた。
いえいえ、こちらこそ。どういたしまして。





思うに、若菜くんってちょっと失礼じゃない?

というか、若菜くんはもっと真面目に生きるべきなのだ。そりゃあ、サッカーがすごいということは知ってる。けれどもそういうところと、学校生活は別だ。そうだ、僕は委員長として、彼に断固として主張すべきである。「あのさぁ、若菜くん」 たまたま、移動教室にて若菜くんがある日一人になっていたところに、僕は声をかけた。

いっつも周りに人がいて、ぎゃいぎゃい楽しそうに暴れている若菜くんにしてはとても珍しいことだった。「何? 委員長」と、若菜くんは頭の後ろに腕をくんで振り返った。「さんのことなんだけど」「うん?」

「宿題、毎回見せてって言ってるでしょ。そういうの、やめた方がいいよ」
「ハ?」

若菜くんは、心底不機嫌そうな声を出した。なんだってんだ。僕が正論を言っているから、腹が立ったのだろうか。そうだ、正論だ、僕は間違ってない。正しいことを言われた方が、人間って腹が立つと聞いたことがある。

「だから、やめた方がいいよ。ああいうのは自分の力でやるべきだと思う。だからさんから見るの、やめた方がいいよ。彼女、迷惑してるよ。ついでに、さんが嫌がってるのに、シスターとか変なあだ名で呼んでるでしょ。やめなよ」

言ってやった。
ついに言ってやった。

なんだか興奮する。言ってやったぞ。
若菜くんは相変わらず不審そうな顔をして僕を見ていた。なので一瞬頭が冷えて、ささっと一歩後ずさる。「なんだよ、怒ってんの。でもきみが不真面目だから、僕が言ってんだよ」「いや、ちょっと待てよ」 ちがう、と若菜くんは眉をひそめた。

「別に、俺が不真面目とかさ、そういのは認めるんでさておき。……なんでそれを、委員長が言うわけ?」
「なんでって」
「シスターが、迷惑してるとか、お前がわかんの?」
「げんに彼女はそう言ってたろ」
「うん、それだよ」

何がそれなのかわからない。

「あいつは自分が嫌ってんなら、自分でそう伝えるし、本気で嫌がってんなら本気で抵抗するよ。それなのになんで、お前が、俺に言うんだよ」


カッと耳が熱くなった。


どう考えたって、若菜くんの言葉はヘリクツだった。彼女が本気で嫌がってるかどうかなんて、彼に分かる訳がない。嫌だから、嫌って毎回言ってるんじゃないか。なんでそんな風に、自分の意見が一番正しいんだぜ、という言い方をするんだろう。何もあんな言い方をすることないじゃないか      とか、授業の間中、僕は彼を悪者にしようと必死だった。

なんてったって、僕には負い目があるからだ。僕は彼に、純粋な気持ちで注意した訳じゃない。そう、彼の言ってることは全部が間違ってる訳じゃない。もし若菜くんが、クラスのおとなしい、断ることができない子から無理やり宿題を写してるっていうんなら、僕は断固として抗議する。けれども実際は違う。さんは嫌なことは嫌だと言える子だと、僕は知っている。僕が口をはさむ隙間なんて、始めっからないんだ。

なのにむりやり口を出した。
悔しかったからだ。若菜くんとさんが一緒にいる姿を、見ていて嫌になるからだ。
男の嫉妬は醜い。ついでに言うなら、自分を正当化しようとする僕の思考も醜い。もっというなら、僕の余計なお世話の言葉を、若菜くんからさんに伝えてしまうんじゃないかと心の底でずっと心配している僕は最低である。その最低さを上塗りするように、さんへの言い訳の言葉を、ずっと頭の中で考えている僕は激しく最低である。

泣きたくなった。


僕は放課後、ぼんやりとした顔をして学校の花壇を見つめた。何かにつけて自己嫌悪をしてしまって、何にも手につかなくなってしまうからだ。花壇の中ではコスモスがゆれている。綺麗だなぁ、お前ら植物は悩み事がなくていいなぁ、とまでとうとう植物まで羨ましくなった。

はぁ、とため息をついて、体をくるりと反転させた。そしてグラウンドを見つめた。お尻が一瞬冷たくなったので、「ギャッ!」と叫ぶと、見覚えのある男性教師がジョウロを片手にきょとんとした顔で僕を見ていた。
生徒からゴリラっちと呼ばれている先生だった。理科教師であることが詐欺である、とうわさされるほど顔はいかつく、体もごつごつとしている。そんな先生は陸上部顧問だった。柔道部とかの方が似合うのに。

「……お、2組の委員長か。もしかして尻に水がかかったか」
「あ、はい、まあ。でもすぐに乾きますし」
「悪いなぁ、ちゃんと確認しとけばよかったな」

先生は、そういいながら、また、じょーっと花壇に水をやった。なんだか似合わない。特にすることもないので先生を見ていると、彼は水をやり終わったらしく、白衣のポケットに片手をつっこんで、いかつい顔付きをしながら僕を見た。「なんだお前、悩み事か」「え、なんで」「顔見りゃわかる」

思わず自分の頬に手を置くと、先生はげらげらと笑った。「友達と喧嘩だ。そんな顔してるな」「友達じゃないし、喧嘩でもないです」「そうなのか? まあでも似たようなもんだろ」

先生は一瞬顔をにやつかせた後、「まあなんていうか、お前は真面目だからなぁ」と唐突に言葉を出した。一瞬、馬鹿にされたのかと思った。
      僕はクラス委員長をしていて、中々真面目な方で、教師受けもいい。もう一回言うけど真面目だ。成績だっていい。
でも、それだけだ。


若菜結人はサッカーが上手い。つまり運動神経もいい。その上、得意のサッカーは全国に通用するレベルで、あいつが話すと、いつの間にか会話のリーダーになっている。その上イケメンだ。ジャニーズ顔だ。

勉強ができて真面目で、教師受けがいいってことが、一体将来なんの役に立つのか。いい子ちゃんぶっている自覚はある。よく、真面目だなあ、と他人に言われるけれど、実はこれは僕のことを褒めているんではなく、呆れて言っているんだろうな、ということにも気づいている。もしかしたらそれは被害妄想なのかもしれないけど、そういう思考をする自分が嫌だ。
若菜結人みたいな人間になりたかった。天真爛漫で、かっこよくって。そうしたら、さんにだって、いちいち緊張しないで話しかけられたかもしれない。僕は駄目だ。

しょんぼり顔を落としていると、先生は慌てたように「いや、真面目が悪いって言ってる訳じゃないぞ。お前は責任感が強いんだ。だから、あっちもこっちも両方が悪いってのに、自分ばっかりが悪いって落ち込んじゃうんだよ」 と、フォローをしてくれた。しかしながら、そんな先生の言葉で浮上するほど、僕は簡単じゃない。

「いや、本当に僕が悪いんです。一方的につっかかっちゃって」
「どうせクラスメート同士のけんかだろ? そんな100%どっちかが悪いなんて滅多にないぞ。もし本当に100%お前が悪くっても、あっちが怒るかどうかなんて、あっちの人格次第だろ? お前が悪くっても、ケンカした相手が良い奴だったんなら怒らないさ。もし、あっちも腹にすえかねてんならあっちの性格も悪いんだ。お前もあっちも両方悪い。ほら、そう考えると楽になるだろ?」

どーよ。なんて先生はニカッと白い歯を見せて笑ったけれども、どーよ。と言われても、である。それはどうかと思う。先生は困ったような顔をして、「言っとくけどな、これはお前だから言ってるんだよ。お前くらい責任感が強いやつは、これくらい楽に考えるくらいで丁度いいんだ」 まあ例えば、若菜みたいな奴には絶対言わんな。と先生は笑った。
僕は若菜、という言葉を聞いただけで、ギクリと肩をこわばらせた。先生はきょとんとした。

「なんだ、喧嘩の相手は若菜か」 なんでそんなことまで分かってしまうんだろう。先生は笑いを抑えきれないように口元に手を置いて、「そりゃあ若菜が相手なら大変だ。ぬかに釘だ」 あんまり凹むなよ、と僕の肩をぽんと叩いた。そのとき、「せんせぇー」と遠くで誰か女の子の声がした。陸上部のユニフォームを着た見覚えのない女性徒が、先生に向かって手を振っている。「おう、真田、ちょっと待てー」と先生は言った。

ぽんぽん、と先生は僕の肩をもう一度叩いた。あんまり気にすんなよ、と言っているように感じた。そして先生は去って行った。
(……これくらい、楽に考えるくらいで丁度いい)
本当だろうか。





家に帰ると、弟がスケッチブックに向かっていた。僕の一つ年下で、中学の美術部に入っている。色鉛筆で、何か一身に色を塗っているらしい。弟は僕に気付くと、「兄ちゃん、お帰り」とぽそりと呟いた。僕はぬっと弟のスケッチブックを覗き込んだ。なぜかそこには若菜くんとさんの追いかけっこの絵が描かれていた。

「……なんで若菜くんとさん?」
「ああ、兄ちゃん同じクラスだもんね」
「うん、そうだけど……だからなんで?」
「見てておもしろいよ、この人達」

弟は「できた」と呟いて色鉛筆を箱へと直した。そして何を思ったのか、スケッチブックから、出来上がったイラストをびりびりやぶる。何をする気だろう、とみていると、絵を折りたたんで、「はい」と僕にそれを渡した。「うん?」「それ、若菜先輩に渡しといて」「え、なんで」「約束だから、よろしくね」
人の話を聞かずに、弟はあくびを一つしてまだ就寝時間には早いというのに布団の中にもぐりこんだ。「え、ちょっと。おーい、おーい」
受け取ってしまあったものを返すことはできない。僕は困ったように折りたたまれた紙を見て、学校の鞄の中にしまいこんだ。





若菜くんとはあんまり話したくはない。正直気まずい。昨日のことがあるというのに、弟よ、とぐーぐー布団の中で寝続けていた弟を思い出した。弟からの頼みを無視することもできない自分は、本当に真面目で、責任感が強いのかもしれなかった。

「……若菜くん」

僕はゴクッと唾を飲み込んで、学校に来たばかりの彼へと声をかけた。「あん?」と彼は僕をきょとんと見上げた。「これ、よくわかんないけど、弟からなんだけど」 最初は「……うん?」と首を傾げていた彼だけれど、かさかさと紙を開いて中を見た瞬間、彼の顔はパッと笑顔になった。なんでさんと、自分の追いかけっこの絵を見て、そんなに笑顔になるのか。一瞬僕は考えたけれど、その理由はすぐに分かってしまった。
というか、初めからうすうす気づいていたから、腹の底でうじうじとしていたのかもしれない。

「委員長、マジありがとうな! 弟にもありがとーっつっといて」
「うん、どういたしまして。あいつにも伝えとく」

多分彼は、昨日のことなんて忘れてしまってるんだろう。先生が、若菜が相手なら大変だ、と言っている意味が分かった気がした。あっちはまったくもって気にしていないのに、僕だけがカッカとしているだなんて、めんどくさい話じゃないか。

ふと、若菜くんはさんを見た。そしてきょろきょろと視線を動かして、何事か考えた後、彼女の元へと歩いて行った。「おっす、シスターおっはー」 ただの朝の挨拶である。さんもおはよう、と適当に返事をしていた。けれども僕は、あの若菜くんの視線の意味がなんとなくわかった。彼は暫く躊躇したんだ。僕も彼の気持ちがとてもよくわかる。さんにおはよう、と話しかける。そんな些細なことでも僕はいつも躊躇する。話しかけても大丈夫か、変じゃないか。何度も何度も確認して、えいやっ! と一歩を踏み出すのだ。

      若菜結人みたいな人間になりたかった。天真爛漫で、かっこよくって。そうしたら、さんにだって、いちいち緊張しないで話しかけられたかもしれない。僕は駄目だ。

なるほど、若菜くんも僕と同じなんだ。そう思ったら、ほんの少しだけ楽になった気がした。

まずはほら、元気に。「さん、おはよう!」



2011.06.04
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