5 後輩男子E

中学生になったので、美術部に入ってみた。

生徒はどこかの部活の強制入部だったし、もともと絵を描くことが好きだったので、迷うこともなかった。仮入部もせずに入部届けを出して、美術部員が全員女子だということに多少後悔したけれども、そもそも男子の文化部は肩身が狭いのだ。男で文化部と言えば、理科研究部か吹奏楽部で、あとはときどき演劇部。そのどれにも興味はないし、運動もそんなに好きじゃないので、なるべくしてなったのかな、と今では考えてる。


顧問の先生はおっとりした人だった。優しい顔付きをしていて、新任で若いので、結構生徒から人気がある。先生は、生徒の絵を見るのが好きらしい。僕が美術室の、教室の二倍くらいの広さの机の上で絵を描いていると、先生は僕とは反対側に椅子を持ってきて、僕が描いている様をじーっとみている。

さすがに女の子相手にはそうはいかないらしいが、僕にはまったく無遠慮だった。あんまり至近距離で見られると見られると緊張する、という人もいるだろうけど、僕は特に気にすることなく黙々と鉛筆を滑らせていく。先生はにこにこしていた。「君は色を塗らないんだねぇ」「そうっすね」 くあっと僕はあくびをした。丁度僕は、目の前のりんごのスケッチ最中だった。

「何かこだわりでもあるのかな?」
「別に、めんどくさいだけっす」

鉛筆の種類を変える。美術部に入って知ったけれど、柔らかい部分と固い部分で色々鉛筆の濃さを変えるテクニックがあるらしい。難しいなあ。
そのまま無言で、がりがりがり、と濃淡をつけていった。りんごはもう何回も描いた。がりがり。出来上がりだ。「うん、よく描けてるねぇ」 先生はちらりと壁にかけられた時計を見る。まだまだ部活終了までに時間がある。

じゃあ次は何を描こう、と目をきょろきょろさせていると、先生が、「ぼくぼく、ぼくぼく」と言いながら自分を人差し指でさしていた。何をしているんだろう、と考えて自分を描いて欲しいのか。と気付いたいので、僕は「いやっす」とすっぱり返事をした。「人間とか植物描くのはめんどいんで」 動かないものがいい。柔らかいものよりも、硬いものの方が好きだ。

先生は、そうかー、としょんぼりした後、「じゃあ何があるかなぁ」と教室の中を見て回った。同じく美術部の女子がカリカリと鉛筆を動かしている。「硬い……硬い……あ、時計にしよう、時計時計」「はぁ……いいっすよ」 まあ、針は動いてるけれど、そういうのは最後にちゃっちゃと描けばいいから、僕は頷いた。

先生は自分が座っていた椅子を壁にかけている時計の下に置いた。そして椅子の上にのぼって、「よいしょ」と手を伸ばす。なんだか危なっかしいなぁ、と思った瞬間、先生は見事にすべってこけた。大きな音が美術室に響いて、部員達が一斉に顔を上げる。「ぎゃー、せんせぇー! なにしてんのー!」「うわぁ痛そう。保健室行く? 先生」

女の子たちに心配されながら、先生はたはは、と頭をひっかいていた。おっちょこちょいな人だ。





女の子ばかりの美術室に、男子がいるとは珍しい光景だ。
僕は美術室の扉をがらがら開いて、茶色い髪の、見覚えのない生徒が筆を動かしている光景に目を見開いた。1ミリくらい。
どういうことだろう、と思って近くの部員に訊いてみると、別にその人は新入部員と言う訳ではなく、ただの授業の居残りだそうだ。先生はいつものごとく、男の子の絵にべったり張り付いてニコニコしていた。楽しそうだ。


僕は気にせず適当な席に座って、絵を描くことにした。いつも通り鉛筆を出して、モノクロ画である。「しゃー、おわったー!」 暫く絵を描いていると、唐突に歓喜の悲鳴が聞こえたので、僕はくあーっとあくびをしながら叫び声の主を見た。男の子は腕をぐいっと宙に突き出していて、先生が、「おめでとー」とパチパチ拍手をしている。

男の子は「あざっすあざっす、おつかれさんっす」と呟いて絵の具セットを持ちあげた。パレットを手洗い場で洗うんだろう。僕は丁度、その手洗い場の横の席にいた。男の子は僕の横を通り過ぎるときに、「ん?」と首を傾げた。僕も彼を見て、「んー?」と首を傾げ返した。その人は名札を見てみると、一つ上の学年の人だった。クラスのバッチと一緒に、若菜、名前が書いてある。

「お前美術部?」
「ういっす」
「なんだハーレムだな」
「うっす」
「反応薄いなぁ」
「よくいわれるっす」

「っていうかお前何年?」と言いながら、若菜先輩は僕のバッチを見た。そして「なんだ一年かー」と言った後に、「ん?」ともう一回首を傾げた。「うちの委員長の名字と同じなんだけど。兄弟?」「多分」「ふーん」
別にそこまで興味はなかったらしい。若菜先輩はくるりと僕に背を向けて、水道の蛇口を開いた。そしてパレットを水に浸し、ごしごしと洗う。僕はそんな先輩の背中を見つめながら、若菜ってどっかで聞いたことのある名前だな、と思った。(……ああ、U-14)か。
そういや、学校の校舎ににでかでかと先輩の名前と一緒に垂れ幕が貼ってある。

ふーん。この人が。僕は頷いた。なんかそれっぽい。





僕は若菜結人の名前を覚えた。中々珍しい名前だし、覚えやすい上、校舎を見上げれば毎回同じ名前が、でっかい垂れ幕で主張されているのだ。「若菜結人、U-14」その隣には、今年水泳部で全国大会に出た人の名前が貼られていた。

よくよく意識を向けてみれば、ときどき、若菜先輩と誰とも知らない女の子が追いかけっこをしている姿を見ることができた。飽きもせず、びゅーん、と通り過ぎていく彼らを見て、元気だなぁ。と思う。僕には兄が一人いるけど、兄も僕も、足はそんなに速くない。
(おもしろい人達だなぁ)

ふと、鞄の中のスケッチブックが叫んだ気がした。僕は即座に鞄を廊下に下ろして、ファスナーを開いた。結構大きな鞄だから、スケッチブックだって余裕で入る。緑と黄色が混じった表紙を取り出して、ついでに筆記用具も取り出す。さっき見た光景を、ガリガリとスケッチブックの中に描きこんでいった。

廊下の端っこにうずくまっていたら、白衣を着た先生が、不審げな目をして通り過ぎて行った。でもまあいっか。と僕は一つあくびをして、ガリガリと鉛筆を動かした。でも最後まで描けなかった。だから次の日も彼らを見たので、同じようにスケッチブックを取り出して、昨日の絵の続きを描く。その次の日も。

そんな風に何日かを繰り返していたら、やっとこさ一枚の絵が出来上がった。なんとなく充実感にあふれて、にまーっと笑った。そしたら唐突に後ろから話しかけられた。「何やってんだ、お前」 びっくりしたので、スケッチブックをぎゅっと抱きしめ、そろりと後ろを振り返る。

若菜先輩がきょとんとした顔つきで座りこんだ僕を、膝を曲げて窺っていた。

「お前委員長の弟だろ? 今なんか描いてたろ」
「描いてないっす」
「嘘つけしらっと答えんな」
「描いてないっす」
「繰り返すな」

見せろよぉー、と先輩は無理やり僕に覆いかぶさった。この人子どもだ。
さすがにモデルに見られるのはまずいと思ったので、全身で抵抗してみたけど無駄だった。「あ、あだだだだだ」「四の字がためだ参ったか!」 なぜかプロレスの技で足を固められていた。

ぽろっと手のひらからスケッチブックが落ちてしまった。先輩はすかさずそれに手を伸ばして、ぴらぴらぴらっとページをめくる。「ああー」と僕はしょんぼりした声を出した。恥ずかしいのかもしれない。先輩は、「おお、中々うまいじゃん」と呟いて、最後の、一番新しいページを見た。「シスター」 何故、修道女?

「おらてめー。なんでシスター描いてやがる。おら、言ってみろ、おらおら」「痛いっす」「だいたいなんだこの男は。何でシスターと一緒に追いかけっこしてんだおら。誰だ」「だから痛いっす」「…………もしかしなくとも俺かー!」「合ってるっす。だから放してください」

若菜先輩は、「俺か! なるほど俺かー!」と何度も同じ台詞を繰り返した。そうだよあんただよ。先輩はスケッチブックを近づけて、そんで遠ざけて、近づけた。そんで斜めにしてみて、反対にした。いろんな角度で見ようとしてるらしい。

僕はもうなんでもいいので、さっさとスケッチブック返してよ。と体育座りをして若菜先輩を見た。若菜先輩は暫く興奮していたけれど、やっと落ち着いたのか、「おい弟ー」とそろそろと僕に近づいて、同じく体育座りをした。学校の廊下にて、男二人が体育座りとは、ちょっと奇妙な光景だ。

「なあ、これちょうだい」

先輩は、先輩と女の子を描いたページを、ちょんちょんと指差した。
自分を描いた絵が欲しいだなんて、奇天烈な人だなぁ。と思ったけど、案外そういう人は多いのかもしれない。いいっすよ、と答えようとしたけど、僕は「嫌っす」と首を振っていた。若菜先輩はむーっと唇を曲げていた。

別に、それくらい上げたっていい。けどまだ駄目だ。「まだ出来上がってないんす」「できてるじゃん」「家に帰って、色塗りするんで」
なんとなく、色を塗ってみたくなったのだ。

若菜先輩は、ぱちりと瞬きをした後、「じゃあその後ちょーだい」「いいっすよ」「ついでにまたシスター描いたら、それもくれよ」「シスターって誰っすか」

若菜先輩は、かかっと顔を赤くして、「そんなん誰でもいいだろォー!」と叫んだ。誰でもよくないし。分かってないのにあげれないし。
まあでも僕は日和見主義なので、「わかったっす」と頷いた。若菜先輩は満足そうにニマッと笑って、「お前は良い奴だなぁー」と僕の頭をなでた。何この状況。

たまたま通りがかった先生が、「お、二人とも仲良しだなぁー」とにこにこして去って行く。若菜先輩は、「いやあ、いい後輩を持ったなぁー」と嬉しそうに笑っている。
何やら僕はいい後輩らしい。
と言う訳で、今度もまた若菜先輩と、あの女の子を描いてみようと思った。
(ん、シスターって、あの女の子のことなのかな)

まあ僕は、絵が描ければ何でもいいや。


2011.06.04
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