
6 先輩女子F
何やら美術部に男子が入部したらしい。
そんなニュースを聞いて、私は口の中のパンをブハッと吐き出してしまうかと思った。マジで、美術部に男子ってマジで。っていうか今の時期を考えてみると、入部したらしい、ではなく、入部していたらしい。である。なんでそういうことを教えてくれないかなー、チクショーチクショー、と後輩の美術部員の頭をぐりぐりしまくった後、私は放課後、美術部に顔を出すことにした。いつも一緒に返っている真田さんには、今日はごめんねー、と手を振っておいた。
私は現在三年生なので、美術部は引退している。別に運動部じゃあるまいし、週に何度かの活動の部だったので、残っている三年生も多いと思うけれど、私はさっさと抜けだした。別にそこまで絵を描きたいと言う訳ではなく、どっちかというと、部活のみんなと漫画やらなんやらの話をしたくて入部したのだ。美術部はそういう、漫画やアニメが好きな女の子が入ることが多い。偏見だろうか?
「さーて、ごかいちーん!」
と言いながら、私はガラガラガラー! と勢いよく美術室の扉を開けた。部員達が、一斉にこっちを見る。初めて見る顔も多い。なんだか恥ずかしい。顧問の先生が、隣の美術準備室から、ひょこっと顔をだした。そしてパーッと顔に喜色を浮かべた。「あ、久しぶりー。絵描いちゃう? ねえ描いちゃう?」
先生は心底嬉しそうに手元にある画用紙をかき集めて私の元に走って来た。先生は生徒の絵を見るのが無類の大好物なのだ。しかしながら今日の用事はそれではない。「今日は描きに来たんじゃないですよー!」スンマセン! と目の前で手刀を切る。先生は「あ、そう? まあでもいいよ。大歓迎だよ」と一瞬しょんぼりした後に、またへらりと笑った。
「先生、なんか男の子が入部したって聞いたんですけど、ホントですか?」
「うん、入部したよー、期待の新人だよー」「おおー!」 どれですどれです、と教室の中をぐるっと見まわした。「あの子だよ」 先生は、手洗い場付近を指さした。ガチャガチャ絵の具セットを洗っている茶髪の男の子がいる。あの子か!
私はだかだかと歩いて行って、「やあ新人! 先輩にご挨拶しろー!」 力の限り可愛がってやるぜー! と体ごとアタックする。「うおっ!?」 男の子はなんとも見事な運動神経で、私のアタックをかわした。私は強かに、床に体を打ちつけた。なんてこった。「てめぇ! 何をするこの後輩め!」「そりゃあこっちの台詞だー!!」
茶髪の後輩は手に持った筆から水滴をぼたぼたとこぼしながら、カッと瞳を見開いて怒った。なんだこいつ、短気な後輩め……、とむっとしつつ体を起こそうとすると、近くにいた男の子が、「大丈夫っすか」と声をかける。「おっ、大丈夫大丈夫。アリガトー」と、しゅぱしゅぱ手刀を切ったものの、私は一瞬妙な違和感に襲われた。男の子が二人いる。
私は床にお尻を乗せたまま、ハッと口元を覆った。
「まさかの後輩二人ゲッツ!? しかも片方ジャニーズ顔ー!」
「意味のわからんこと言うなー!」
茶髪のジャニーズ顔が、もう片方の手に持ったパレットから、水滴をぼっとぼとこぼしながら怒鳴った。後輩に怒鳴られた。
「なんだ違うのか……後輩くんはこっちオンリーね」
「っす」
「まったく早とちりにもほどがあるぜ」
「あんた一応私が年上なんだから敬語使いなさいよ……」
ほんの少し呆れてため息をつくと、本物の美術部員の男の子の方が、「すんません」とぺこりと頭を下げた。いや、君はもともと使ってるでしょうが。なんだか眠そうな目でぼーっとしているし、この美術部期待の新人は不思議くんらしい。
「年上っつっても一年じゃん。俺せんせーにも、ゴリラっちにもタメ語だぜ?」
「そ、それはさすがに敬語で話してやんなさいよ……」
ゴリラっちというのは、うちの学校きってのゴリラ教師である。まんまである。あのいかつい顔にため口をきくこの男はただものではないかもしれない。
私はゴクッと唾を飲み込んで、茶髪のジャニーズ顔を見た後に、そいつの名前を名札で確認した。若菜。「…………U-14の若菜?」「そうだけど」
私はハッとした。そしでまさかまさかと手のひらがぶるぶるした。そう、まさか。学年が違うから、会うことはない、そう思っていた。しかしながら、もし機会があればと想像していた。私は背中の鞄から、ササッとノートを取り出す。「……お願い、若菜くん」「なんだよ」
「サインしてー!!」
もう、この数学のノートの表紙に、ガッツリと!!
若菜くんはしばし瞬きを繰り返した後、ほんの少し照れ気味に頭をひっかいて、「な、なんだよ俺のファンかよ! それならそうと始めっから言えよー」「いや、全然違うけど」「!?」「あんたが有名になったら売ろうかと」「お前本気で失礼だな!?」
ありえねーだろ! と激しく文句を言っていた彼であったが、なんだかんだいってしっかりとサインを描いてくれた。その横では後輩の男子くんが、「でも先輩いいんすか。そんなノートの表紙とかにがっつり描いちゃったら、『あれー、このクラスに若菜なんていないのに、誰だこいつー』なんて宿題提出したときに、悲劇が待ってますよ」と若菜くんが描き終わった後に助言してくれた。確かにそうだ。そういうことはもうちょっと早めに言って欲しかった。
まあいいや、と気の所為か描きなれているサイン(多分家で練習したんだろう)を見て、満足しつつ美術室を去って行った。いやあ、ラッキーだった。
その数日後に若菜くんを見かけた。
廊下をぽてぽてと歩きながら、手の中の紙を見て、ニマニマしている。一体何をしているんだろう、と私はそーっと覗き込んだ。誰だか知らんが、女の子の絵だ。「どなた?」 ぽそっと呟くと、若菜くんはギクリとして体を反転させ、紙を背中に隠した。何その反応。
「え、あ、なんだお前か。失礼な3年女子美術部員」
「あんたも大概失礼だけどね。そいでどなた」
「誰でもいいだろ」
「2次元キャラ?」
「ハァ?」
なんだそれ。と若菜くんはパチリと瞬きを繰り返した。そうか、こういうのは通じないか。一瞬見てみたところ、うちの後輩美術部員くんの絵のタッチだった。あの子は描き込み方に特徴があるので、一度見ればわかる。この間、ついでとばかりにスケッチブックを覗かせてもらったのだ。
「好きな子でも描いてもらったの?」
いやあ、そんな訳ないかー。と思いながら、冗談混じりに言ってみた。「なんちゃってぇー、そんなの純情系男子みたいなの、ありえないよねー」 若菜くんジャニーズなのにねー。とケタケタ笑って片手をパタパタ動かすと、若菜くんの顔が耳から頬まで、じわじわ少しずつ赤く染まって行った。見れば瞳孔が開いている気がする。瞬きをしていない。視点が動いていない。
やべぇ。
さすがにこれはちょっとやべぇ。私は、「嘘嘘、なんちゃってなんちゃって! そんな訳ないもんね! うんうん私の気の所為気の所為! アッ、誰にも言わないから、ほんとーに誰にも言わないから。気にしないで! それじゃあね!!」と早口でしゃべって、だっだかだー! と廊下を逃げる。後ろで若菜くんが、「お、お前ちょっと!」と叫んでいる気がするけど無視した。これは本当に悪いことをした。罪悪感がズッキズキである。
しかしながら家に帰る頃にはそんなことはすっかり忘れていて、お笑い番組を見ながらゲラゲラと笑っていた。それが私の長所であり、短所でもある。
とまあ、私は天下のサッカー少年とお話をした訳だけど。
数年後、サッカー少年はサッカー青年へと代わり、ときたまテレビを見るようになった。貰ったサインは、一応未だに売っていない。サッカー好きな友人に、「私は若菜結人と同じ中学で、何度か話したことがあるんだぜ」と自慢することが、ちょっとした楽しみだ。
ある日テレビをつけると、記者会見をやっていた。若菜結人が、一般人の女性と婚約したらしい。ほほう、若菜くんもそんなお年になったのだなぁ、私も頑張らんとなぁ、とテレビを消した。中学の同窓会にて、その話が話題になったとき、婚約相手の女性の名前が、どこかで聞いたことのある名前だった。椅子の上からすっころげてへらへら笑っていた、美術部顧問の先生を思い出したのだ。
まさか先生と婚約した訳もなく(というか先生は男の人だ)、サッカー選手と婚約たぁ、相手の女性さんが羨ましいですなぁ。とぐびぐびチューハイを飲んでいると、中学時代からの友人、真田さんが、なぜかケラケラ笑っていた。「そうねぇ、ちゃんがうらやましいねぇ」
まあ私たちも頑張りましょう。と真田さんはおしとやかにオレンジジュースを飲んでいて、そんな彼女を見ながら、ぐへへへ、と私は笑った。「真田さぁーん、オレンジなんかでちびちびやってないで、飲もうぜ飲もうぜ、ぐへへへへ」「ちょっと絡み酒はやめなさいよ」「いいじゃないすか。ぐいっとぐいっと」
あの数学ノートのサインは、お宝としてとっておこう。もしかしたら自分の息子がサッカー好きになるやもしれん。まあ今はまだ、相手もいない訳だけど。
年下には負けてられんです。
2011.06.05