
7 イトコG
友人の数学ノートに、何故だかでかでかと『若菜結人』と描かれていた。その上なんだかサインっぽい。
私は目をパチパチさせて、「ねえねえ」と友人の方を叩く。彼女は、「なんすかい真田さん」と私を呼んだ。「それ、なに?」「ノート」「に、描かれている」「サイン」「何で」「売るから」「売るの!?」
何故!? とビックリしていると、彼女はニヤニヤ笑っていた。まあ若菜くんのサインと言うのなら、将来価値が出るかもしれないけれど、それはちょっと失礼なのでは?「あ、もしかして真田さんも欲しいの? あげないよーん」「い、いらないよ」
私が若菜くんのサインをもらったところでしょうがない。なんてったって、身近に他のU-14がいるからだ。とは言っても、彼は私のイトコなんだけれど。若菜くんと郭くんと、よくよく仲良くさせてもらっている、と聞いている。追記させてもらうが、私は直接彼らと話したことはない。
私のイトコ、真田一馬は目つきが悪い男の子である。
しかしながら、そんなの彼が生まれた時からそうだったし、分娩室に置かれた一馬くんを見て、親戚一同は大爆笑したそうだ。一馬くんのお父さんと、あんまりにもそっくりな目つきの悪さに、「こりゃあ大物になるでぇ」とゲラゲラ腹を抱えて看護婦さんに怒られたとか。
いくら一馬くんの目つきが悪かろうと、その中身はいたって平凡なピュアポーイということは、周知の事実である。小さい頃からサッカーが大好きで、今では14歳以下日本代表となってしまった彼だが、親戚の集まりがある度に「一馬くんはすごいなぁ」「ほんにすごさぁ」「いやあ、自慢の子だで」と、おじいちゃんおばあちゃん達によしよし可愛がられていた。そんなとき、一馬は激しく眉間に皺をよせながら、照れた顔をしている。照れる度に眼光がきつくなるのだ。
かく言う私は、親戚の人達はそろって困った顔をした。「真面目だなぁ」とか「おしとやかだぁ」とか、「いい嫁さんにならぁ」とか言われるけれど、まあ、それくらいしか言うことがないのだ。平凡なことは自覚している。別にそのことに対して何か文句がある訳ではなく、反対に、いつも私から見れば年下で普通の男の子の一馬くんが、結構すごい男の子なのだと思うと不思議で、微笑ましい気持ちになった。
中学校の名前を一馬くんに行ったとき、「あ、結人と同じだ」と彼はぽつんと言葉を漏らした。若菜結人くん。なるほどあの子だね、と時々こっそり見ている。うちの一馬がお世話になっています、と心の中で挨拶した。さすがに直接声をかけるのはためらわれるからだ。
「真田せんぱーい」
後輩の女の子に呼ばれた。
彼女の名前はちゃんで、私の陸上部の後輩だ。一応私も真田の血族だからか、運動神経は結構いいセンいってるのだ。ちゃんは陸上部のユニフォームに着替えていて、「先輩、そろそろ引退ですねぇ」としょんぼりした声を出した。「うん、そうだねぇ。楽しかったね」 もちろん、辛いこともあったけど。
ちゃんは、クシャッとした顔をした。あらあら泣きそう、と私は慌てて彼女の頭を撫でようとした。そのとき、見覚えのある学生服の男子生徒が、慌てたようにこっちへと近づいてきたのだ。男の子は、若菜くんはガシッとちゃんの両脇を掴んだ。「ひゃわーっ!?」とちゃんが大声をあげて、びくりと体を震わせる。そして勢いよく振り返った。
若菜くんは背中の鞄を暴れさせながら、サッとその場から飛び去る。「なーに凹んでんだよー!」と片手をひらひらさせて、ついでにぺしん、と自分のお尻をこっちに向けてひとたたきし、あっかんべーをした後、さっさかと校門へと消えていく。「こここここコラァー!」とちゃんは拳を握って若菜くんを追いかけようとしたけれど、部活中ということを思い出したのか、ぐっと唇をかんだ。その目からは、しょんぼり涙なんてどっかに消えていたのだ。
私はその光景を、ぽかんとして見ていた。ちゃんはハッとして、「すみません先輩、さっきのはえーっと、クラスの悪ガキでして!」「え? ううん。気にしてないよ。若菜くんと、仲がいいんだね」「えっ」
ちゃんは目を大きくさせた後、「いやいやいやいやっ!」と激しく首を振った。そこまで振ることないんじゃないかな、と思ったのに激しかった。「いやいやいやいやまさかそんなっ!」まだ続いている。
まあ本人がそう言うってんならそうなんでしょう、と私はそれ以上その話題に触れないことにしたけれど、さっきの若菜くんは(……ちゃんのこと、慰めようとしたんじゃないかなぁ) わかんないけど。
ちゃんは、適当に話題を逸らそうとしたのか、「そう言えば先輩って、若菜のこと知ってるんですね」と慌てたように目線を逸らした。「うん、そうだね。でも話したことはないなぁ」
「真田せんぱーい」「ちゃん」
ちゃんはパタパタと手を振りながらこっちに向かって走って来た。廊下は走っちゃだめよー、と思いつつ、ちゃんのお兄ちゃん、美術の先生と反応がそっくりだなぁ、と苦笑してしまう。
「先輩、今から帰りですか! 今日は陸上部もお休みですもんね!」
「うん、そうだね。でもちょっと友達を探してて。一緒に帰る約束をしてたんだけどね」
「そうなんですかー」
ちゃんは肩にかけた鞄を握りしめて、私の隣に並んだ。友人を探すと言っても見当もつかないので、取りあえず下足場につくまでに見つからなかったらそのまま帰ろう、と私は友達がいのないことを考えていた。
そのとき、窓の向こうの校舎で、ちらりと友人が見えた気がした。「ん?」 不思議気な私を見て、ちゃんも窓を見る。「んん?」 ちゃんは私とは別の意味で首を傾げた。何故だか私の友人と、若菜くんが一緒にいた。知り合いだったのかなー、と考えて、そう言えばこの間サインをもらったとか言っていたなぁ、と思いだした。売るとかも言ってたけど。
ちゃんはその様子をじっと見ていた。気の所為か、彼女は肩かけ鞄をぎゅっと右手で握った。私は彼女の様子を横目で見ながら、仲がよさそうに(そう見えるだけど)話している若菜くんと私の友人をもう一回確認した。「若菜くんだねぇ」 私は自分の友人が話し相手だということは素知らぬふりをして言ってみた。「あ、そうですね」 ちゃんはほんの少しタイミングをずらして頷いた。「もう一人の人は、見たことないですね。先輩なのかな」「若菜くん、かっこいいもんねぇ。それにすごいし。モテモテだろうね」
まあ実際、友人が若菜くんにラブとかはありえないな、と思うけど。(サインを売るとか言ってたし)「もしかしたら、彼女さんとかかもねぇ」 まあぶっちゃけありえないなと思いつつ。(サインを売るらしいし) 「ちゃん、若菜くんと仲がいいっぽいし。そういうの知ってる? 訊いてみたら答えてくれるかもね〜」 (相手の女はサインを売るとか言ってたけど)
「ね〜」と、もう一回彼女に向かって言ってみた。
ちゃんはふーんと言った表情で若菜くんを見ていた。気づけば、若菜くんは一人になっている。「……さぁ? クラスの女の子とはよく話してるみたいですし、よくわかんないです」「そう」
私は適当に会話を終わらせて、消えてしまった友人はほっぽって帰ることにした。「ちゃん、一緒に帰る?」「え……はい!」 久しぶりに後輩と二人で帰っている途中に、これまた久しぶりの男の子に出会ったのだ。
彼はぎゅっとつり目で、私に「ねーちゃん」と声をかけた。その後、私の隣にいるちゃんに気付いて、パッと顔を赤くした後、威嚇するように彼女を睨んだ。
ちゃんは慌てて私を見て、「弟さんですか?」と小さな声で訊いてくる。まあそんなものだから、私はうん、と頷いた。ちゃんは、私と彼を何度か見比べた後、相変わらずグルグルと威嚇している(ように見える)彼を長く見つめ、「あ、それじゃあ私はこっちですんで。先輩、また明日!」とパタパタ手を振って、去って行ってしまった。
気を使わせてしまったのかもしれない。
「どうしたの?」と私は彼に声をかけた。彼は暫く地面を睨んだ後、もごもごと口を動かして、「ばあちゃん家から野菜が届いて、それでねえちゃん家に届けに来て、そのまま晩御飯食べてきなさいって、おばさんが……」「わかった」 なるほど。だから、帰りが遅い私を、彼に様子を見て来いと頼んだんだろう。
「……ごめん、ねーちゃん」
唐突に、彼が謝った。「んん?」と私は苦笑した。「きみは何か謝ることでもしたの?」 別にしてないでしょ、とポンと背中を叩く。私はそう言えば、と今思い出したかのように話しかけた。「こないだ言ってたよね、結人くんが片想いとか」「いや、それは……英士が言ってただけで、俺はよく……」「そっかぁ。まあ、うまくいくといいねぇ」
私はもう一回彼の背中を叩いて、「さ、おうちに帰ろうか、一馬くん」
2011.06.05