子狐、こんこん



浦飯が帰って来た。

「あー、疲れた。とにかく飯だ飯」なんて言いながらばったんと部屋で倒れるものだから、「もー、あんたいい加減にしなさいよ。ただでさえバカなのに、またバカになってんじゃない!?」と、ガツッと温子さんの蹴りが飛んだ。
とりあえず生きてっけどしばらく帰らねーから、じゃーな! なんて浦飯からの電話がきてから半月。「まったくあのバカはいい加減勉強の一つでもしなさいっての! あたしはしなかったけど!」 なんてぷんすかしていたので、しょうがないと言えばしょうがない反応である。

俺はいたって他人ごとに、ずるずるとりんごジュースをすすっていた。個人的なことを言えば、きつねうどんを頂きたいところであるけれども、3時のおやつには合わないチョイスである。


「……ん?」
アップルアップル。新鮮果実。なんて思いながら俺が幸せにストローをすい上げていると、んん? と浦飯が首を傾げた。「あ? 気のせいか」「なにがだ?」「いや、今尻尾が」 浦飯は何度か眉間に皺を寄せたあと、とんとん、と自分の額を叩いて、「んにゃ。なんでもねえ。眠いんだな。ばばあの地獄の特訓のせいだ。俺は寝る」 そう主張して、ぐごお、ぐごお、と熊のような寝息をたてて眠ってしまった。

俺はそんな浦飯を見下ろして、ちょいちょい、と自分の耳を触ってみた。ついでに尻尾を確認する。「うーん」 浦飯は、随分強くなって帰って来た。半月かそこらのくせに、ものすごく生意気な成長だ。だから俺の耳も、うっすらと見えてしまったのかもしれない。「ううーん」

俺は考えた。けれどもまあいっか、とアップルを美味しく頂くことに集中することにした。そっちの方が、俺としては重要なのである。





てくてくてく、と浦飯と一緒に街を歩く。
「ついてくんじゃねーよ」 なんて浦飯に言われたので、「おまえが俺についてくんじゃねーよう」と言いながら俺は浦飯の後ろを歩いた。生意気な口をきくガキだなこのやろ、と拳でガツガツ殴られながら、うるせえばかばか相手しろ、と浦飯のケツをひったたいた。基本的にこっちは暇すぎて大変なのである。

「あー、めんどくせ。おこちゃまは公園の遊具で遊んで満足しとけっつの」
「俺があんなおもちゃで満足できるわけねーだろ。すーふぁみくらい持って来い」
「スーファミはお前の中ではおもちゃじゃねーのか」
「当たり前だ! 死闘をかけた争いだ!」

ばあちゃんの恐ろしいフィンガーテクニックをしらんのか! と俺が叫ぶと、「お前は何をいっとるんだ?」と浦飯はため息をついてぽくぽく歩く。俺はむ、と頬をふくらませながら、相変わらず浦飯のズボンをひっつかむ。
ふと、顔を上げた。ピタリと俺は止まって体を固くした。浦飯がどうしたんだとばかりに振り返って俺を見る。けれども俺はぎゅっと唇を噛んで浦飯を見上げた。それだけだった。
懐かしい匂いがする。

「やあ、幽助」

ぱた、と男は片手を上げた。浦飯はひょいと俺から視線を逃して、「おっ」と嬉しげな声を出す。「蔵馬じゃねーか! おふくろさんはどうよ!」「ありがたいことにも、順調だよ」 君には世話になったね、とくすりとキザに笑うその人を俺は見上げた。そいつは俺に気がついた。ぱちぱち、と何度か瞬きを繰り返したあと、何かを考えるような仕草をして、「君とは、どこかで会ったことが……」

「ない」

俺は口を開けた。首を振って、じっと地面を見つめた。「そんなのない」 ぎゅっと握った拳が痛い。「そう」とそいつは呟いて、「それじゃあ俺はこれで。ちょっと野暮用がありますから」「おう、またな!」

多分、浦飯はぱたぱたと手を振って見送ったんだろう。俺は浦飯の服を握った。鼻から息を吸い込んだ。わかってた。「……きつね?」 いつまで経っても俺が動かないから、浦飯はきょとんとした声を出して俺の頭に手を置いた。俺はじっと地面を見た。それだけだった。「うらめし」「おう?」「俺、あぶらあげが食いたい」

冷蔵庫にもうない。と呟くと、「あー?」と浦飯は面倒くさ気な声を出した。なんだかひどく、腹が減っていた。「俺、うらめしのラーメンくいたい」 ずっと前みたいに、あつい、あついなんて言いながら、でかい箸を折って、ずるずるとラーメンの上にあぶらあげをのせて。「帰りたい」 ずっと前に、親父の家に。「帰りてーよ」

ずる、と鼻をすすった。気がついたら喉がひくついて、ぽろぽろと涙があふれていた。浦飯は、「なんだよお前、どっかいてーのかよ」と困ったみたいに座り込んで俺の顔を見上げた。俺は首を振った。「泣くほど腹へってんのかよ」 俺はちょっと考えて、うんと頷いた。しゃあねえなあ、と浦飯が呟く。ひっぱられた。俺は気づいたら浦飯の肩にのっかって、両足をぶらつかせた。

ぐしぐし、と泣きながら浦飯の頭にくっつく。たぶん、俺の耳はぺたんとしょげて元気がなくて、情けないことになっているんだろう。でも見えない。誰にも見えない。ほんのちょっとだけ、浦飯には見える。けれども親父には見えない。

あの人は親父だった。蔵馬という名前の親父だった。帰りたい、と言った俺の言葉を、浦飯は勘違いをしていた。俺たちは一緒に浦飯の家に帰った。
気づいたら、俺には新しい家ができていた。けれども、やっぱりそこは違う。
帰りたいと思った。あの場所に帰りたいと思った。


     だから、俺は。ほんの少しだけ、勇気を出すことにした