子狐、こんこん
奇妙な子どもがいた。
その子はぶるぶると拳を握りながら、俺を見上げていた。むっとしたつり目をこっちに上げて、口元から犬歯を出して、恨むようにこっちを見た。
見たことがある。幽助と一緒だった子どもだ。少年はぴしりとこっちに指をさした。俺はパチクリと彼を見下ろす。
「だ」
ん? と首を傾げた。「俺の名前はだかんな!」
それだけだ。少年はふうふうと息を荒げて、ぷいと背中を向けて駆け抜けた。一体全体、と瞬く間に姿を消して、俺はポリポリと頭をかく。まあいいか、と近くのドアをくぐり抜けた。「あら、秀一」「おはよう、母さん」
元気にしてた? と問いかけると、彼女は笑った。俺も同じく頬を緩めた。「さっき、元気な男の子の声が聞こえた気がしたんだけれども」 気のせいかしら? と首をかしげる彼女に、さあ、と俺は口元に指をのせる。「らしいよ」 え? と傾げた首と一緒に、ぱらりと髪が揺れた。
「名前は、って言うんだって」
***
はっは、はっは!
俺は何度も口元から息を吐き出した。どきどきと叫ぶ心臓をぎゅっと握って、病院から抜けだした。走っちゃだめよ、と白い服を着たお姉さんに注意をされて、「ごめん!」と謝って逃げた。
勇気を出した。叫んだ。
「は……」
てくてく、と両手と足の動きを少しずつ小さくして空を見上げた。「言った」 言ってやったぞ。
ばばっと両手を上げた。「うっしゃー!!!!!」 自分でもなにを言ってるのかわからなかった。周りの目がちらちらとこっちに向く。俺は少しだけ伸ばした腕を折り曲げて、きゅっと口をつぐんだ。でも笑った。
なんでか分からなかった。とにかく嬉しかった。よし、やったぞ、やったぞ。
うらめし、おれ、やったぞ。
別に親父に名前を名乗ったところで、何が変わる訳でもない。親父の家はもちろん知っているし、親父の母親がいる病院だって知っている。昔悪いところがあって、入院していた。そう言って、かあちゃんは笑ってリンゴをむいてくれたことがある。
けれども俺は親父に話しかけることはやめておいた。ときどき近くの木に登って、かあちゃんの部屋を見た。照れた顔のとうちゃんがいる。そしてときどき親父もいた。
ぶらぶらと足を振って俺は3人の様子を眺めた。くあ、とあくびを一つして、そんな彼らの様子を俺はぼんやり見続けた。
「み、みみみ、みみみみ耳がはえてるだとぉ……!?」
あ、作り物か、作り物なのか。なんだなんだ、ビビったぜ、と汗を拭う男を前にして、俺は無言でピコピコ耳を動かした。ついでに尻尾も揺らしてみた。「うおおお!!?」 ビクッとでかい男が大げさに後ずさって、そそくさと俺の周りを回る。
「最近のおもちゃはよくできてんなー」
「…………リーゼント、お前……」
俺、お前のことちょびっと見なおしたかもしんない、ととりあえず耳を動かす。ついでに尻尾をぱたつかせる。「は? 何言っとんの?」 リーゼント頭の桑原だとかなんとかとか言う男は、相変わらず頭の先をぐんと伸ばして、をつんつんくるくるにさせながら、「おもしろいもんつけてんなぁボーズ」と俺の周りをぐるぐる回る。
「まさか最初に見られたのがおめーとはなあ……」
さすがの俺も、ちょっと予想がつきませんでした。浦飯を待って学校に行ってみて、見覚えのある顔があると声をかけてみるとこれである。お前案外霊感強いのなあ、人間のくせに、結構やるんだなあ、となんとも意外な気持ちで息をついた。「あ? お前。つか俺、坊主に会ったことあるっけか?」「んんー」
んんんー、と俺が腕をくんで、うんうん頭を頷かせると、まあいか、と桑原はどうでも良さげに俺の耳を引っ張った。おいやめろ。「うーむ。紛れもねえ耳だ。……お? 桐島ー! 大久保ー! ちょいと来てみろこのガキおもしれーぞー!」 金髪のイケメン兄ちゃんたちが、ひょいと顔を上げてこっちを見る。
こいこい、ここい、と両手のひらを振って仲間をこっちに呼ぶ男を見て、おもしろいのはお前だよ、と自由になった耳を、俺はまたピコピコと動かしてみる。
「うっほ! すげなこれ、どうなってんだ?」
「……桑原さん、何言ってんすか?」
ぴこぴこぴこ。