子狐、こんこん
俺は目の前のねーさんを見上げた。
口元にタバコをくわえて、じろりとこっちを見ている。「静流さん」と誰かが呼んでいた。細い瞳のまま、ふう、と彼女はタバコの煙を吐き出して、首を傾げた。ぶぶぶ、と尻尾が膨らむ。なんかよくわからんがこわい。
「うごっ!?」
「ふうん」
ぎゅむっ、と耳をひっぱられた。「いた、あの、いた、いたい、いてーから、いてーから、いてえよー!」 やめろよー!!! とひぐひぐ目の前が滲んでくる。「静ちゃん何してんの?」「まあちょっと」 うおー、と男泣きする俺を見て、温子さんはきょとんと瞬いた。そうしてすぐに、まあいっか、とばかりに背中をむけた。放置である。
ぐりぐり、と耳をひっぱられて、ついでに尻尾もやられた。「満足した」 それだけ言って、静流のねーさんは酒瓶を片手に温子さんへと歩いて行く。桑原静流、その人のフルネームを頭の中で呟いた。「リーゼントのねーちゃん、おそるべし……」 姉弟そろって、耳をひっぱられた仲である。「と、いけねえ」
妖怪たちがそこらにいるのだ。俺は慌ててねえさん達の元に滑り込んだ。ときどき面白げにこっちを見る妖怪に、がう、と牙を出して威嚇する。(人間のくせに、よくやるよ)
のほほんとする彼女らにため息をついて、眉をよせた。
暗黒武術会
金好きな人間たちが、妖怪を戦わせて金儲けをする。なんとも暇人極まりない大会である。
***
(親父も“ゲスト”として参加するってのはな)
正直、そこまで驚きはしなかった。
浦飯に、桑原に、おやじに、あとは名前しか知らないやつ奴が一人。人間側の代表として邪魔な人間を参加させて、ぐっちゃりと殺してやろうという作戦らしい。参加を断ってもぐっちゃりとは、あんまり趣味がよくないことだと俺の尻尾がぶんぶんする。
ぼたんさんから話の全貌をきいた螢子さんと温子さんは、そんならとこのトーナメントの観戦に乗り出した。ついでに知り合いであるリーゼントの姉をひっぱって、客船の中で揺られながら俗世間から切り離された島へとどんぶらこというわけだ。ケタケタと楽しげにトランプをする様はなんとも微笑ましいが、俺はその端っこで腕組みをして、グルグルと喉をならしていた。
この中に人間は彼女たちだけだ。
あとは全部妖怪で、ついでに性悪の方が多いらしい。さすがにちょっと、ここまでとは俺も予想はしてなかった。「ほらー、きつねちゃんもどーお? 大富豪」「おれ、今はらいたいから」「……あらそう、おトイレ一緒にいったげよっか?」 大丈夫、と首を振って、めんどくさいとばかりに妖気をじわじわ放出した。どうせみんなC級以下の妖怪だ。びくりと肩をすくめてそそくさと消えていく妖怪たちに、フンッと鼻から息を吹き出した。
「それにしたって、なんだかこのあたりは空いてるわねえ。乗るときはもっと人がいなかった?」
「別の部屋に行ってるんじゃないかね? いやはや、広くてラッキーだよ」
それもそうね! と酒瓶を持ち上げる温子さんと、トランプのばばを差し出すぼたんさんの二人を見て、俺はちょっとだけ口元を緩めた。「きつねくん、大丈夫?」と問いかけてきた螢子さんに、うんと頷く。静流さんは相変わらずのマイペースにタバコをすって、ときどきぽいぽいトランプをシャッフルしていた。この人はやっぱりちょっとよくわからん。
(暗黒武術会か……)
ここが過去だというのならば、オヤジたちが死ぬことはないだろう。(けれども) ふと、前から気になっていた疑問が首をもたげた。けれどもすぐに息を吐き出す。
(無事に終わればそれでいい)
俺にしてはめずらしく、殊勝に。そんなことを考えてみた。肩にかけたポシェットをいじる。安い船の中での揺れを意識して俺は瞳をつむった。