子狐、こんこん




狐が来たぞ!


誰かが叫んだ。狐が来たぞ、狐がきたぞ、蔵馬の息子の銀狐がきたぞ!


四足の獣がかけた。口元からあふれる魔界の息が、白くにごる。振り返る敵の背に、爪を振り下ろした。ギャッときこえた悲鳴とともにおしたたんで、首元に噛み付いた。ぐちゃりと肉と血が飛び散る。あちらもこちらを殴った。蹴った。刺した。血みどろの顔をして、背後から襲う卑怯な自身を罵倒した。結局、動かなくなったのはあちらだった。他のやつらはこいつを贄に差し出して、さっさと逃げ帰ってしまったらしい。

ぐずぐずと鼻をぬぐうと、べとついた血がついた。死体の荷をはがして、こぼれた宝石をじろりと見下ろす。蹴り飛ばした。(いらねえ) 父は盗賊だった。けれどもおれはいらない。こんなものいらない。あいつらみたいに逃げこむ場所もいらない。なんにもいらない。


俺は、なにもいらない。




   ***



ワッとでかい歓声に眉をひそめた。「殺せ!」「今すぐ殺せ! なぶり殺せ!」 周りの妖怪たちの叫び声に、鼻の頭に皺がよった。見下ろす丸いリングの上では、見慣れた赤毛が無抵抗に殴られ続けている。小さい背なものだから、前が見づらい。変化の一つでも使ってやろうかと考えたが、ばかばかしくなった。

「キーッ!!! なんなのよー! 目ぇさましなさーい!!!」

酒瓶をパリンと投げ割る温子さんの声が聞こえる。でも別に、俺は心配しているわけじゃない。幾度か瞬いた。
なんの術を使ったのか、あっさり相手を殺してしまった親父を見て、息をついた。「よしきつねちゃん! 勝ったわよう、やったわねえ!」「温子さん、おめーんだけど」「なにおー!」 親父は勝つ。そう知っている。妖力の差を見ればそれはわかるし、いちいち親父を心配するくらい、俺は心配症じゃない。もともと、親父が参加するだなんて知らなかったのだ。(俺がここに来たのは) この人達が気になったからだ。

ぎゅっと両手を握って幽助達を見下ろす、螢子さん達を見た。(幽助が、何をしてるのか知りたかった) ただそれだけのつもりだったのに、自分たちが決めたこととはいえ、温子さん達がこんなところまで来てしまったことに、俺はちょっとくらいの後悔をしている。(番犬程度には守れるだろ) 狐だけど、と面白くないことを考えた。それから、守るという自分の言葉に瞬いた。

何にもいらない。俺は何もいらない。昔はよくそう考えていたのに、今の俺は尻尾を太くして、周りを警戒しながら犬歯をむき出しにしている。
(変だな)


親父は奪う妖怪だった。だったら俺は、何もいらないと思っていた。とるものは命くらいで、あとは食い物さえあれば別にいいと思っていた。少しだけ、俺は弱くなったような気がした。今の弱っちい親父みたいに、ヘボくなったような気がした。(一匹の方が楽だった) いや違う。なんにも考える必要がなかったんだ。
けれども、それもまためんどくさくなって、俺は人間界にやってきた。


「あのさあ、きつねちゃん」

ものすごく今更なんだけどさあ、と俺の背中にのっかったままの温子さんがぽそりとつぶやいた。酒臭い息は、なんだか少し安心した。「やっぱさあ、ちっさい子がこういうとこに来んのはイカンとあたしは思うのよ。いやまあ、あたしも結構色々やんちゃしてたし、幽助も放任だしね。でもさ、帰る場所があるなら帰った方がいいと思うの。そうしてから、けじめでもなんでもつけて、もっかいうちに来たらいいんじゃないかしら」

まああたし、やっぱよくわかんないけどねえ、とぐってりと頭を落とす温子さんに、ちょっとだけ楽しいみたいな、くすぐったいみたいな、変な気持ちになった。この人は、ちょっと勘違いをしているのだ。「俺、今は帰れない」 帰る場所はない。今の南野家は、俺がいる場所じゃない。「でも、いつかは絶対帰る」 未来はやって来る。

つぶやいた言葉は、案外力強かった。「あらそお?」 そうなの? と温子さんはほんにゃりとつぶやいた。「そんならいいかー」とぐってりして、息子の出番となると、また勢い良く顔を上げた。「いっけー!!!! 幽助ー!!!! ぶっとばせーいっ!!!!」

温子さんの応援に、こいつら人間側かとじろりと視線をこっちにむけた妖怪達に牙をむいた。すごすごと視線をそらすC級以下に、フンッと鼻息をでかくする。

俺は、いつか必ず帰る。



   ***



「お前らも来てたのかよ!?」

だったらさっさと言えばいいのによー! と泥だらけの顔をけらけらと笑わせる浦飯に、螢子さんはちょっとだけ不満気に頬をふくらませた。親父もいる。ぱたぱた、と無意識に振りそうになる尻尾を両手で押さえて、俺は口元をへの字にしながら親父を見上げた。「やあ、くんだね」 久しぶり、と続いた言葉に、「んっ」と返事をした。けど、それだけじゃ淡白だっただろうか、でも、何度も返事をするのもちょっと変だと色々考えて、代わりとばかりに俺は何度もコクコク頷いた。

「あ? お前蔵馬のこと知ってたか?」
「ま、前に一緒に会ったろ」
「あー?」

そうだったっけ、と猿みたいな顔をする浦飯からぷいと顔を逸らした。それ以外にも、ときどき病院に遊びに行ってるなんてことは、ちょっとだけ言いづらかった。「くんは、ときどき俺の母さんのお見舞いに来てくれますしね」「ばっ、それは言わなくってもいいだろー!」 あほー! と叫んで浦飯の背中に逃げた。

「つーかってなんだよ」
「俺の名前だ! ばか!」
「知らねーよ。つーかお前、耳ついてるぞ」
「耳くらいついててもいーだろっ!」
「いや、尻尾もついてんぞ?」
「ちょっとくらいぱたぱたしたっていいだろー!!」


そんなの俺の勝手だろーっ! とひぎゃあと叫ぶ俺に、「まあそうか?」と浦飯はめんどくさげに頭をひっかいて、試合のあとで胴着を汚して、口元に血をつけたまま、親父はちょっとだけ笑っていた。それを見ると、ぴゃっと嬉しくなって、ぱたぱた振りそうになる尻尾を、俺はまた思いっきりに掴んだ。
全然俺は喜んでもないし、嬉しくもないし、楽しくだって、ちょっとくらい。