子狐、こんこん
ひたひたと雨が降った。くしゅんとひとつくしゃみをして、ため息をつく。
ぴくりと眉を上げた。前髪から溢れるしずくを拭って、俺はひょいと立ち上がった。濡れた土がスニーカーにくっついて、気持ちが悪い。
「あんたら、どこに行くんだ」
見覚えがない妖怪たちだ。馬鹿でかい体をどっしりとさせて、口元から無数に生えた牙が蠢いている。「なんだ、お前」「こいつ、見たことあるぜ。あの浦飯チームの女と一緒にいたチビだ」「人間じゃねえな、妖怪か」
なんにしても、手間が省けたわけだと笑うそいつらの人数を、いち、にい、さん、と数えていく。途中でめんどくさいな、と雨に濡れた片手を服で拭った。「一応確認するぞ。間違ってたらわりーしな。お前らは大会の参加者か協力者で、浦飯チームが負けてくれりゃ嬉しいと思ってる。だから俺とか温子さんたちを人質にして、なんとか自分たちが有利になりたい。間違ってるか?」
パーカーのポケットに手を突っ込んで確認すると、げしゃげしゃとそいつらは笑った。「ちげーよ、俺達は大会に参加なんてしてねー。でも浦飯のやつらをぶっ殺せば、俺達の評判が上がるってもんだ」
寝入りばなでも、なんでも関係ねぇ、むしろありがたいってもんだ、と笑いあう妖怪に、「そうかよ」と頭をひっかく。「さっきのは前のやつらの言い分だった。そういうのもあるんだって覚えとく」「あん?」 前のやつら? 首を傾げた妖怪が、俺が飛び降りた腰掛けを見て瞬いた。「おいお前」 言葉を紡ぐ前と、くるりと飛び出した。「あ」 鮮血が雨とともに降り注ぐ。
くそまずい血を口元から吐き捨てた。首の皮一枚をくっつけて、ぐらぐら頭を揺らしていたそいつは、「ぐげ」と妙な奇声を最後にして、ばたんと倒れた。邪魔な腰掛けがまた増えた。何しやがる、とお決まりなセリフが聞こえる。怒り狂った妖怪達に、俺は真っ二つに殺された。
「ばか、そっちにゃいねーよ」
「へ?」
狐の幻術だ。
ひっかくように首を狙う。一人、二人、さんにんめ。「なんだよ、くそう!」「おれ、卑怯者は嫌いなんだ」 首ばかりになっても口が動くとは、器用なやつだと思った。「まあ俺も卑怯なんだけど」 勝てばなんだっていい。闇討ちだって立派な戦法だ。「でも、自分にやられるのはむかつくよな?」 ぐしゃり、と頭の中身を踏みにじった。
くしゅん、とくしゃみが出た。
増えた腰掛けによじ登って、ぽたぽた溢れる雨を見上げた。
(浦飯たちは、おやじは)
これから、どう変わっていくんだろう。
瞬きをする間に、どんどんあいつらは変わっていく。俺はゴールを知ってるはずなのに、知らないような気もした。
雨ばかりが降っていた。水を吸ったパーカーと靴が重くて、あんまり気持ちがよくない。帰ったら風呂に入ろう。ここから帰ったら、俺は風呂に入る。お湯が出るのに時間がかかる、古いシャワーで、頭をごしゃごしゃと洗うんだ。
***
「ちょっとしゃれになんねーな」
優雅な観戦といそしみたかったところだけれども、そういうわけにはいかないらしい。俺はあくびをしながら、ごろごろと魂を飛ばしていく妖怪達を見下ろした。「雪菜ねーちゃん、いざとなったら逃げる準備しとこうぜ」 ぼたんさんの知り合いだという氷女のねーちゃんに声をかけると、「え、ええ」 こくこく、と美人の着物のねーちゃんは頷いた。
「あの、さん、あんまり動くと、ぷーさんが作った壁から」
「だいじょーぶ」
腹の底に妖気をためた。ふう、と長く息を吐き出す。雪菜さんはきょとりと瞬いて、「あっ」と口元に手のひらをあてた。「その、あなたも、妖怪……」「おーいえーす」 この頃新たに覚えた言葉である。グイッと親指を付き出した。
「俺としてはちゃっちゃか逃げたいんだけど……」
そうはいかねえみたいなんだよなあ、と溜息をついた。優勝は一体誰になるか。あふれる妖気の遮断ができなければ、人間なんて存在もできない。「そっちの人たちが帰ってくれなさそーだしよう」「ゆーすけー!!!! 死んだらぶっころーす!!!!」 おいかーちゃん矛盾しとるぞ。
ぷーとかいうよくわからんマスコットみたいな青い鳥に、がんばれよう、と手を振った。「ぷ」と青い鳥は小さな声を出して、ぼんやりと壁の厚みを太くする。残念ながら、俺はそっちのやり方はよくわからない。代わりとばかりにポシェットからどんぐりを取り出して、中身を確認した。
「……それは?」
「おれ、花火って好きなんだ」
特にすっげーでっかいやつ、とどんぐりをころころと手のひらの中で転がした。氷女のねーちゃんは、白い頬にぺたりと細い指先をのせて、ゆっくりと首を傾げた。
***
「浦飯選手の勝利です!!!」
重なりあった司会の声に、会場がどよめいた。残念ながら、称賛の声ではない。助かった、命知らずなはずの妖怪たちは、口々にそんな言葉を漏らした。噴き出る戸愚呂の妖気に、すでに多くの妖怪たちが命を落とした。ぐちゃぐちゃにくずれた仲間の残骸を踏んで、うおお、と彼らは踊り狂う。まあしかし、そんな喜びも長くは続かない。ドームの頭から落っこちた岩に、一人、妖怪が潰された。ついでに二人目がぺしゃんこだ。
轟音とともに崩れ落ちようとするドームの中で、「ふっざけんな!」 浦飯は叫んだ。
「あー!!!! 雪菜さんがあぶねえ!」
「桑原お前……死にかけたくせに元気だな……」
「どこだ!!! うおおおおお雪菜さんはどこだあああああー!!!!!」
知らんがな、と返答するわけにもいかない。大勢の妖怪たちが、押し合いへし合いながら出口へと向かう。こんな中では、たかだか数人を見つけるなど至難の業だ。「くっそ、おふくろたちもそこにいんだろうな……!」 口元を付き出した。そのときだ。
ぱんっ!
とドームの中に、でかい花火がひとつ、ふたつ。
「あれは……狐火だな」
「きつね?」
それなら一匹知っている。ちらりと浦飯は蔵馬を見た。ええ、間違いない、と頷く彼に、桑原はすぐさま駆けた。「あそこだなー!!!! どけどけてめーらああああー!!!」 愛の力は偉大だった。
「おっせーぞ!!!」
ぶい、とこっちで二本指を立てている狐がいる。ぼんやりと見えていたはずの耳と尻尾は、今でははっきりとうつっている。「さっさとにげんぞー!!!」 狐の掛け声とともに、彼らは駆けた。
瓦解するドームの中で、小さな狐はぴょんとはねた。