8 わんこのおんがえし

「お母さんが帰ってくる」

俺の目の前で、殿は正座をして呟いた。俺の隣では、同じくが正座をして、ごくりと唾を飲み込んでいる。「先ほど、お電話がありました。お父さんとお母さんは、あと数時間後には帰宅するそうです」「ね、姉ちゃん……」「……」 ごくり。

姉弟二人が見つめ合いながら、うんうん頷き、お互いの肩を抱き合っているのだが、俺にはまったくもって分からぬ話だ。「くうん?」 そんなに母上と父上殿は恐ろしい人なのか? と首を傾げると、がぐわしっと俺のふわふわほっぺを両手でばしっとつかんだ。なんでござるか。「…………ろくもんが、追い出されちゃうかもしれないんだよー!!」 なんと!?



よくよく考えてみれば、彼らが何度も言っていたことであった。ご両親が帰ってきたとき、いつの間にか家の中に居座っていたわんこ。つまりは俺は、一体どうすればいいというのか。
俺はしばらく頭を下げていた後、覚悟した。わふっと顔を上げ、今まで世話になりもうした。この御恩は忘れませぬ、これ以上迷惑をかけることはできぬ! と駆け出そうとした瞬間、に力の限り尻尾をつかまれた。「わ、わふー!?」 なにをするー!!


「わおっ、わおわお、あおーん!!」 ひっこぬけると思っただろうが! 「こらぁー! でてっちゃだめー!」 はぎゅぎゅっと俺に抱きついた。「家族でしょー!?」

なんと、と俺はにひっぱられた尻尾を、はたりと揺らす。不思議気に俺たちを見つめていた殿に、は「ねぇ!?」と言う風に声をかける。彼女はハッとしたように瞬いて、そうだね、と笑って、ゆっくりと頷いた。

俺は何だか胸の中が熱くなるような気がした。そんなにやすやすと、家に人を入れるものではない、と思いつつ、そうか、と俺はゆっくりと瞳をつむった。どうやら俺は、こちらに来て、随分と弱っていたらしい。ゆっくりと暖かくなる気持ちは一体なんなのか。嬉しさだ。

今の自分は、言葉も解せぬ、ただの犬畜生である。しかし、新たな家族に心の底から喜んでいる自分がいる。早く、あの場所へ帰らねばならぬ。もちろんわかっている。親方様は。佐助は、心配しているに違いない。これが何かの幻術というのであれば、今すぐにでも破り、俺はあちらへと戻ってやるのに。
なんとも優しい幻術もあったものだ。
優しい気持ちに、胸が張り裂けてしまいそうだ。

よしよし、とに頭をなでられた。殿は、ううん、と腕を組み、頭を抱えていた。「うん、思いついた」 そしてポコンッと手のひらを打ったのだ。「ろくもんを隠そう」



***


「ねーちゃんそれは無理だってマジで無理だって!」
「と、とととりあえず一瞬だけ、一瞬だけ! 言い訳が思いつくまで、ね!? ほら、ろくもん、タンスの中にお入んなさい!」
「きゅおーん!!!」
「超嫌がってるよ!?」

ろくもんほらほら、はやくぅー! と私はわんこの背中を無理やりに押そうとすると、ろくもんは必死にぶるぶる首を振っていた。気のせいだかこのわんこ、仕草がとても人間くさくなるときがある。まあ今はそれはさておき。「ほら、おかーさん達が帰ってきちゃうってー!」「わ、わふおーん!!」

勘弁してください! という風に、ろくもんは顔を振り続けた。「いろいろ無茶だよ姉ちゃん!!」と小学生の弟にまでつっこまれ、私も薄々そうは気づいてたんだけど、他に方法がないじゃん!? 


「お願いろくもん、良い感じの言い訳が思いついたら出してあげるからー!」
「わおおーん! わふっ、わふうっ!!」
「一生出てこれなさそうだって言ってるよー!!」
「ろくもんの心情をアフレコするのやめなさい!」

私はパパッとろくもんから手を放し、彼に向かい合った。「大丈夫、大丈夫だからろくもん。私を信じて!」 ろくもんのきらきらした黒目が、じぃっと私を見つめる。そしてぶるぶる首を振った。いや、無理なんで。「お約束なわんこめー!!」 うおらー!!

瞬間、部屋の扉がカチャリと開いた。「ー、ー、帰ったわよー、なに暴れてるの?」 私ととろくもんは、ギチギチ嫌な音を立てながら首を振り向けると、ぼんやり顔のお母さんと、その後ろにはお父さんがいる。「なんだか犬の声もしたんだけど、どうしたんだ?」 

お父さんの言葉に、私とは姉弟での連携プレーを発揮し、ろくもんを隠すように、ささっと両手を広げた。しかしながら、そんなもので隠せるサイズではなかったらしい。私たちの背中から、にゅうっと飛び出す尻尾に、お母さんが首を傾げ、「あら?」「わ、わおん……」 ヘロー、というふうに顔を出したわんこを見て、お父さんとお母さんは、ぽかんと瞬きを繰り返した。


「あ、あの、おかあさん、その、この子は、とても、よい子でして……」

私の声は聞こえていないらしい。ろくもんを見つめたままぶるぶるお母さんは震えた。ろくもんも、ぶわっと尻尾を大きくさせた。きゅっと両手を握ったお母さんは、ゆっくりと唇を動かして、「か、かわいい……」「「えっ」」「おお、おとーさん、この子おっきいわよ可愛いわよ」「おお、可愛いなぁ」

やっだぁ、おっきい、わんこおっきい、お父さんこの子乗れるんじゃないの、絶対乗れるわよ、あ、ちょっと乗っていいかしら!? ときゃぴきゃぴテンションを上げる母親を見て、何だか親子の絆を感じた。「わ、わふん!?」「あ、ごめん重かった?」「ちょ、ろくもんが潰れてるー!」「お、お父さんもいいかなぁ?」「無茶言わないでー!」

そうかあ、無理かあ、としょぼつく父親の横で、足をぷるぷるさせたろくもんが、ケラケラ笑う母親を乗せてぐるぐると回っている。なんだかシュールな光景であった。なんだこれ。


  

2011.09.30