9 わんこのおんがえし

こうして、ろくもんはうちの子になった。



ときどきろくもんは、脱走する。ええ、あれ、ろくもーん! どこいったー! とさんざん探して、数日経つと、しょんぼりした顔をして、全身どろんこで帰ってくる。脱走癖がついてしまったらしく、それを何度も繰り返して、「だめでしょ」と怒っても、しょんぼりした顔をしているくせに、やっぱり懲りない。

一体この子は何で逃げちゃうんだろうか、と考えていると、がちょいちょいと私の服の裾をひっぱった。「ねえちゃん、ろくもんは、戦国の武将さんで、親方さまを探してるんだよ」「んん?」 そりゃあいったい? と首を傾げると、はぴしっとろくもんを指さし、「ろくもんが言ってた」

我が弟ながら、ファンタジーな思考の持ち主だなぁ、と苦笑してしまった。「そうか、それなら納得だね」と私はの頭をよしよし撫でて、「もう脱走するんじゃないよ」とろくもんの前に座り込み、じいっと見つめる。

ろくもんの首には、六文銭がちゃりちゃりと跳ねていた。ろくもんは何かを言いたげに、私を見上げていた。私もじーっとろくもんを見つめた。そしてゆるゆると手のひらを上げた。

ぴくり、とろくもんは驚いたように頭をすくめ、耳を水平にする。「ちがうちがう」 はたく訳じゃないよ、と笑っても、ろくもんはそわそわして逃げ出そうとしていた。にも、お母さんにも、お父さんにもなでられることは嫌がらないのに(いや、やっぱりお母さんには少しだけ苦手そうな顔をするけれど)なんでかろくもんは、私からは逃げていくのだ。ぎゅーっと抱っこをするのも嫌がる。「ろくもんさん、ろくもんさん、私は寂しいでござりまする」

そう言って、片手をろくもんの頭の、ほんのちょっと上に置いたまま、膝の中に自分の顔をうずめる。「よしよししても、いいかなぁ?」 ろくもんは、ぴくんと頭を上げた。そしてまるで、何か考えるようなそぶりをした後、ゆっくりと足を動かし、大きな体をのそっと上げて、ぺろりと私のほっぺたを舐めた。お、おお、おおお!

う、うわあ、うわあ。逃げない。ろくもんが逃げないぞ、と私は思わずぎゅうっと抱きしめた。そして頭もふわふわ撫でた。一週間に一回、きちんとお風呂に入っているからろくもんの体はふわふわで、もふもふだ。「うわー!」 かわいいなぁ、と頭をうりうりさせると、もう一回、ろくもんがぺろりと今度は私の手のひらを舐めた。

「ろくもんは、かわいいなぁ!」
ふん、ふんふん、とろくもんは照れたように顔を逸した。まさか、犬がそんなことを考える訳がないんだけど。あはは、と笑うと、ろくもんは尻尾をぷりぷりさせながら、とてとてと消えていった。


***



破廉恥である。
おなごに抱きつくとは、なんという破廉恥な男か。

しかし、しょんぼりとする殿を見ていると、俺はいてもたってもいられなくなってしまった。俺はなんと難破な男でござろうか。今の俺を見たら、親方様はしんそこがっかりするに違いない。
親方さま、どこにおられるのだ。親方様。

いくら探しても、元の場所に戻ることはかなわなかった。一体、俺はどうすればいい。考えても考えても、俺にはまったく方法など思いつかなかった。そこいらのものには、驚かされるばかりで、せめて佐助がいれば、なんとかよい方法を教えてくれたやもしれぬ、と他人本位に頼ろうとする自身に気づき、またしょぼりと尻尾が落ちた。

わんわん。親方様。いったいどこにおられるのか。
幸村はここである。ここにいますぞ。


いつもと同じく、俺はゆっくりと眠りについた。そのとき俺は、落ちる夢をみた。どんどん下に落ちて行く。ぱっと体を広げた。大の字に広がった四肢をバタバタと動かし、「…………あっ!」 どすん、とどこかに落ちた。


目をあけると、俺は布団の上にころがっていた。「幸村様、朝でございます、幸村様」 障子の向こう側に、女中の影が映り、俺はしばらくこれは一体どういうことであるか、と呆然とした。「幸村様?」「あ、ああ。起きているぞ」「朝餉のご用意をお持ちいたします」「うむ」

なんてことはない。すべてはただの夢であったのだ。
なんとも不思議な夢を見たものだ。俺は布団から立ち上がり、二本の足で立ってみた。なにやら奇妙な気分になる。その次に、四足になってみた。なぜだか落ち着くような。「…………いやいや、俺は何をしておるのだ」 一人赤面した。

さて、と首をコキコキと動かしてみる。なぜだかわからない。ほんの少しだけ、残念に感じる気持ちがあったのだ。「殿」 ぽつりと言葉を落として、いやいや、いいや、とぶるぶると頭を振る。髪の尻尾がぱたぱたと揺れた。夢に見た人間を恋しがるなど、なんと修行の足らぬことか。
甘いものが食べたい。犬に甘いものは食べさせてはいかんと、夢の中の殿はきつくを叱っていた。だからかもしれない。ずいぶん長い間、まるで断食でもしていたかのような気持ちだ。

今日は団子を買いに行こう。そうだ、絶対だ。必ず。
力の限り、頬に甘いものを詰め込めば、ぽっかり開いた胸の気持ちも一緒に埋まっていくと、そう思ったのだ。






          そのとき


一人の少女が




世界に

落ちた



  

2011.10.01
想 像 通 り
とか思われた方すみません。次から雰囲気ガラッと変わると思いますたぶん