茶屋に、新しいおなごがやって来たらしい。とは言っても、俺はそのおなごを見たことはなく、ぼんやり店先で茶をすすりながら、もぐもぐと団子を頬張っていたときに、「旦那、旦那、真田の旦那、知ってますか」と隣に座る男に声をかけられ知ったことだ。
「この頃ね、若い女の子が茶を入れてくれるんですよ。やー、やっぱりいいねぇ、若い子を見ると、心が浮き立つね」
「うむ、店主はまた腕を上げられた。このみたらしのたれがたまらぬ!」
「あ、全く聞いてない」
俺の首元でちゃりちゃりと音を立てる六文銭の所為からか、いつのまにやら自身の名と顔が知れ渡ったことも含め、そうほいほいと来れる場所でもない。はじめは遠巻きにされていたが、今では慣れてきたらしく、隣の男のように気安く話しかける町民も多くなった。特にそれを不快だと感じる訳ではなく、寧ろその反対だと甘い団子の後に茶をすすり、「はーっ」と俺はほんのり息を吐き出した。そしてすぐさま、もぐもぐと幸せの咀嚼を再開する。
ちらりと辺りを見回した。市井に活気が溢れる姿を見て、なんとなく口元を和らげる。いい陽気だ。「旦那、旦那、聞いてませんね。そろそろ色っぽい話の一つや二つもないんですかい」「む、なんだ、のっけから。破廉恥だぞ」「決め台詞だよ」 アーア、と男は息を吐き出して、薬と書かれた箱を膝に抱える。どうやら男は薬売りらしい。
別に、おなごに興味がないとなると、嘘である。
ただどうしても生来の基質の方の問題で、おなごの前に立つと、頭の方がうまく動かなくなる。苦手なのだ。だからこそ避けてしまう。特に接する機会のないまま、今の年になってしまったという訳だ。これはいかん、と自分自身思うのだが、どうしようもない。花より団子、着飾った慣れぬ異性よりも、文字通りのこちらの方が俺にはよい。
(……いや、一人だけ)
頭の中に思い出した女性の姿を、俺はすぐさま頭を振って打ち消した。
このところ、思い出す回数もてんで減った。けれども彼女と、弟の姿をはっきりと脳裏に思い描くことができる。胸が寂しくなる。
いわく、夢とは欲望の産物である
夢を見た。ある日、重い口で、俺がそう告げると、佐助は口元を面白げにさせながら、そう人差し指を伸ばした。『夢ってーのは、その人の欲望とか、望んでたことだったりするわけ。全部がそうって訳じゃないけどね。旦那がいつまで経っても、その人のことを忘れらんないってのは、つまりその女の子が、旦那にとって理想の女の子だったてことじゃない?』
旦那もこっちの方面にちょっとくらい興味があったってことだね。やー、今日はお赤飯お赤飯、と軽やかに去っていく背中に、「ま、まてーい!!」と激突していったのは、記憶に新しい。
本当に、そうだろうか?
好みであるから、丁度よいからと俺は好感を持っているのだろうか。違う気がする。俺は、彼女とその弟に恩を感じている。夢に恩を感じるなど奇妙なことであるが、まるで現実に起こった過去の出来事を思い返しているような、そんな気分にさえなった。いや、なっていた。(……そんな感覚も、消え失せてきたのだがな)
ただの夢にせよ、現実にせよ、過去とは少しずつ、霞のように消えていくものだ。薄ぼんやりとした感覚を、ときどき不思議に思い出し、こうしてもぐもぐと団子を食している。「その子がね、どうにも悪い連中に襲われて、怪我したらしくてね、薬を渡してやったんだけど……嫌なもんだねぇ」
薬売の独り言を聞きながら、俺はほう、と軽く頷く。なんとも不憫なことだと眉を顰めた。この間の野盗を含め、けしからんことだ。残りの団子を全て口の中に含み、よしと俺は立ち上がった。「それではな、薬売り」「はいな」 軽く手のひらを振る男に背を向けたそのときだった。「はやく元気になるといいねぇ、ちゃん」
・ ・ ・ ・ ?
「今、なんと」
「え? だから、ちゃん。ここのお手伝いの子ですよ」
可愛い子だよ、と口元を和らげる男を見つめ、いいやまさかと首を振る。ただ同じ名なだけだ。よくある偶然、訝しむほどでもない。このようなことでいちいち動揺していては、男として、武士として情けない。
しかし、何故だろうか、どうにも俺は気になった。それからというもの、ちょくちょくと店の主人に「殿はおられるか」と声を掛けてみたが、間の悪いことに、俺が訪ねる度に、彼女は出かけているらしい。店主は奇妙に、困った様な顔つきで頭をかいた。
常連の客達からは、何やら含んだような笑いを貰うようになったのだが、何故だかよく分からなかった。
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