「旦那ってさー、なんでちゃんのことが好きなの?」
わっかんないなー、と首を傾げながら主に問いかけると、自身の主人はブボホォ! と勢い良く口から米粒を吐き出して、げほげほ咳き込んだ。「やだちょっと、汚い」「ささささ、佐助ぇ!! 何を言い出すか!!」「言い出すって」 純粋な疑問?
少しでも女性の肌がはだけたものなら、破廉恥でござると顔を真っ赤にして叫んでいたこの主が、いやあ大人になったものだねぇ、と思いつつ、疑問に思うものは仕方がない。「いやさ、てっきり俺様、超絶美人ないわゆる傾国の美女ってやつにでも旦那が惚れちゃって、やだぁ、やっぱり旦那も男の子だったんだねー、お赤飯炊かなきゃいけないわー、とか思ってたんだけど」 だけど。
「ちゃん、ふっつーの子だったしさー」
別にけなしている訳でもない。超絶すぎる美人ではなく、ふつうに可愛い子だった、とそれだけの話だ。まあ、この旦那が女の子の顔目当てに惚れてしまったという事態も想像し辛いので、こんなものか、と言えばこんなものなのだが。
一体全体、彼の中でどんな転機が訪れたのか、と興味半分、今後のお家の重要半分で食事中の主人に訊くと、彼は口元に米をつけたまま、ぽかんとしてこっちを見た。「…………あ、会ったのか」「うん?」「殿と! 会ったのか!!」「そりゃあ会わないとどんな子かわからんでしょ。そんなに会ってないよ、片手の指ほど」
何でそんなに顔を近づけるのとそそくさと離れると、旦那は茶碗を台の上に乗せ、がっくりと床に膝をついた。「ご、五回も……」 なんでそんなに凹んでるんだ。「俺など、一度として顔を見たことがないというのに」「へー、そうなん……ってマジで!?」 あんた何回もあそこの店に行ってたじゃん! と思わす叫ぶと、旦那は悲しげに眉を寄せたまま、「何故か機会が合わず……行く度におらぬのだ」 なんとも寂しい話であった。
「え、でもさ、会ったことがないってんなら、何でそんなに興味持っちゃってんの。っていうか、うん? 好きなんでしょ?」
「ちちちちち、ちがうっ!!!! 佐助、破廉恥だぞ!!! お、俺が気になっているのは、殿の名前だ!」
「な、名前……? 名前惚れとは珍しいっていうか、新しいっていうか……」
「ち、違う!!」
だから違うのだー! と両手の拳を握り締めながら、旦那は叫ぶ。これ以上興奮されては部屋を破壊されかねない。「どうどう、どうどう」と彼の目の前で両手を前後に押すと、ふーふー、と荒い鼻息だった旦那はさすがにちょっとずつ落ち着いてきたのか、最後に、「うおおおおお!!!」と一吠えして、よっこらせと席についた。最後の吠えは一体なんだ。
「この間、言っただろう。夢に二人の男女が出てきたと」
「ああ、旦那の好みの女の子とその弟」
「違うと言っているだろう! ……名が同じなのだ」
どっちの。と冗談交じりに訊こうとしてやめておいた。ふうん、と俺は片手で顎をしゃくり、軽く瞼を閉じる。「なるほど、腑に落ちましたよ。旦那が女の子に気をかけてるだなんて、ちょーっとおかしいと思ってたんだよねぇ」 うるさい、とでも言うように、旦那は口元を尖らせて、ずるずると味噌汁をすする。
「でもさー、名前がおんなじだなんて、まあ、なくもない偶然じゃない?」
目玉が飛び出るほどの話という訳でもない。「む、まあ、そうなのだが」 旦那もそこら辺に納得するのか、多少気まず気に声を出した。「でしょー? そこまでおっかけることのものかね」
あの純情侍、真田幸村が、どうやらおなごにお熱らしい。
横文字好きな某風に言えば、今現在、市井で一番ほっとな話題であった。だからこそ、自身も行商人だと偽り、彼女の姿を一つ拝みに行った訳だが。
旦那は片手を口元に当て、何か言葉を探しているようだった。やはり、理由があるのか、と主の言葉を待ったとき、彼はふと顔を上げた。「ここまで機会が合わぬと、寧ろ気になって仕方がないというか」 案外しょうもない理由だった。
「……逃げられると、追いかけたくなるみたいな?」
「うむ、それだ!」
「旦那って、こう、犬属性だよね。野性的だよね」
「そうなのだ、俺は犬なのだ、ろくもんなのだ……」
「ねえちょっと大丈夫? 何言ってんの?」
い、犬なのどぅわ〜、と頭をかかえてウンウン唸っている姿は、どうにも筆舌に尽くしがたい。何か心に触れるものでもあったのだろうか。それにしても、「旦那さー、どう考えたって避けられてるよね」 ぽろっと漏らした俺の言葉に、旦那はびくりと固まった。(お?) 「もー何回も行ってる訳でしょ? それなのに、看板娘がいないってのは、ちょっとねー」 ぶるぶるぶる、と今度は小刻みに震えた。(おお)
いくら人から鈍い鈍いと言われる主でも、さすがにほんのちょっぴり気づき始めていたらしい。「さ、佐助も、そう、思うか……」「うん。かなり」「何故どぅわー!!!」 がらがらがらーん! と食べ終わった茶碗が、ひゅーんと天井向けて体を回転させる。こらこら危ないでしょうがと手を伸ばして宙を舞う茶碗をパシパシ受け取りながら、いや絶対、それが駄目なんだって、とは言えなかった。これだけ激しい勢いで近づけば、大抵の女の子は逃げるんじゃないだろうか。異性に不慣れな主に、ウッと目頭が熱くなる。
「旦那もさー、もうちょっと静かにっていうか、普通に行ったらいいんじゃない? そうすりゃ逃げられないと思うよ」
「む? どういうことだ? 俺の何が普通でないというのだ」
「うん、まあ、なんかもういいや」
ウーン……と俺はポリポリと頭を引っ掻いた。正直従者が首を出す問題ではない気もするのだが、旦那にせよ相手にせよ、このままではほんの少しばかり不憫である。取り敢えず一回会って、軽く会話に花を咲かせて、ついでに言えばこのまま旦那が女の子に耐性をつけてくれれば、万々歳で、真田の未来も明るい。「よし」 ぱしん、と手のひらを打った。
「旦那、ここは一つ、素敵無敵な猿飛佐助にお任せくださいな」
「…………さ、さすけ、本当にこれでいいのか?」
「ダイジョーブダイジョーブ、任せてくれって言ったでしょー?」
ううう、と珍しく体を小さくしながら不安げな声を出す旦那を見下ろして、俺はにまーっと笑った。「いいよー、超似合ってる。さすがは旦那、何でも似合うねー!」 と、栗色の着物を恥ずかしげに着こなした旦那に向かって、口笛を吹いた。ひゅーひゅー。恐らく旦那は照れたのだろう。頭をかしかしとひっかいたが、その表情は窺えない。仕方がない。分からないのだから仕方がない。
なんたって、顔にはひょっとこのお面をつけていた。
頭の後ろで茶色い尻尾をぴろぴろとさせながら、「う、うむ。そうか、そうか……そうか?」 さすがの旦那も、少々おかしいと気づいたらしい。しかしすかさず俺様はビシッと人差し指を伸ばして、「今の旦那が近づくと逃げられちゃうんでしょ? だったら顔を隠す格好も変える、抜き足差し足、忍びのように、怪しまれずに近寄るにはこれっきゃないでしょう!」「いやしかし、この面はどうにも怪しい気がするのだが」 今日の旦那はちょっと賢いらしい。
「そこはそれ、取り敢えず旦那はちゃんの顔を確認すれば任務は完了なわけだし、一回くらいならやけっぱちになってもいーじゃない? もし気になるっていうんなら、設定をつけりゃーいい訳よ。顔に傷があるとでも、役者の卵とでもなんとでも言えるって!」
ねっ! と親指を突き出すと、「う、うむ……」と旦那はしばらく唸っていたが、うん、と力強く頷いた。覚悟を決めたか、と思った瞬間、彼はよいしょと面を外して、「やはりいかん。俺は武士だ。このような格好をすべきではないな」「旦那のバカヤロウッ!!!」「ぬぬ!?」
「旦那の武士って、外見だけのことなのかよ! 外っ面さえしっかりしていれば武士か!? 違うだろう、中身があってこそ武士、たとえ頭が金髪だろうと外っ面がカカシだろうとそこらの猿だろうと、心が武士ならば武士だ! 旦那の武士道はその程度のものなのかッ!!」
「そうか、そうだ! たとえこのような面をかぶろうとも、俺は武士、武士なのダァアアアア!!!」
「そうだよその息だよ決して面白そうとかそういう理由で激しく押してるんじゃないんだから!」
「武士なのダァアアアアア!!!」
「よし、方向が決定したところでそろそろ静かにしようか、そろそろ茶店が見えてきたよ! 武士武士主張してたら面をしてる意味がないからねー」
「うむッ!!!」
ていよく丸め込んだところで、俺と旦那はてこてこ茶屋までの道を歩く。旦那も珍しく緊張しているらしく、かぽっとはめたひょっとこ口のお面の向こう側で、息をごきゅっと飲み込む音が聞こえた。「あ、佐助さん、いらっしゃいませー」「はいはいちゃん、こんにちはー」
俺が片手をひらひら振ると、ちゃんはにこっり笑って、相変わらず片腕を布でつりながら、器用に盆を片手持ってそそくさと厨から茶を運んでくる。はいどうぞ、おすわりくださいな、と台の上に吊った方の手のひらをかざし、「そいじゃあ失礼」と俺と旦那がどすんと座ると、彼女はほんの少し不思議気に、ちらりと旦那を見つめた。「あれ、佐助さん、そっちの方は?」「ああ、こっちは
」 どうしようかな、と一瞬首を傾げて、「役者の卵。真面目な奴でね。普段から面をかぶって、役に成りきりたいってことでさ。あんまり気にしないでやって」「あ、はあ……」
さすがに少しだけ困惑気味な顔をされたが、まあいいだろう。バレてはないらしい。旦那は台の上に足を開いて座り込み、じぃっと自身のわらじを見つめていた。「ほら旦那、挨拶挨拶」「う、ああう、うむ……」 もごもごしてるし。
そんな旦那の様子にちゃんはきょとんとした後、微笑ましげに微笑んだ。おっ、悪くないぞ、と口元をにんまりさせながら、「それじゃあちゃん、草餅いっこ」「はいわかりました。それじゃあそっちの旦那さんは?」 ひょいっとちゃんが、旦那を覗き込んだ瞬間だった。
「う、うおおおおおおおおお!!!!!!!」
「!?」
「!!?」
がばぁっ! と旦那は勢い良く立ち上がった。
激しい仁王立ちに、ぽかんと周りの客たちが瞬きをした一瞬の間の後に、「い、いかん。いかんぞおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ」 声を響かせながら、全力疾走で去っていく。
「…………」「…………」
ぴろぴろ揺れる茶色い尻尾を見つめて、ぼんやり瞬きを繰り返した。ちゃんが、何か言葉を欲しいとでもいうように、ちらりと俺を見つめた。「…………えー、ちょっと、彼、どこかしこで発声練習を始めちゃう癖が……あって……」「ま、真面目な方ですね……」 精一杯の善意的な台詞が、なんだか悲しい。軽くため息を吐いた。
「あ、まあちゃん、とりあえず草餅よろしく」
「はい、頼まれました」
その前に、と彼女の盆からお茶を受け取りながら、ふと俺は気になったことを訊いてみた。「ちゃんさー、真田の旦那に気に入られてるって話でしょ? ちゃん的にはどーなの? 運がよけりゃー、玉の輿よ?」 女の子の夢なんじゃないの? とごくりとお茶を飲んで、ちらりと彼女を窺い見ると、ちゃんは心底嫌そうな表情をしていた。「……ハ?」 心持ち、声が低い。
「あ、いや、うん、そういうのって、人それぞれだよね、あは、アハハー」 テヘヘッと笑いながらお茶を飲み込み、旦那、道は険しいそうだぜ、と従者として、なんとも涙が溢れるような、悲しくなるような。
それで結局、旦那はちゃんの顔を見たかどうかというと。
「うむ、緊張しすぎて顔は見ておらぬ!!」
駄目じゃねーか、とこれが主人でなければグーで殴っていた。「っていうか、何でいきなり逃げちゃったのさ」「ぬ、俺は思うのだ。あのようなこそこそとするなど、はやり真田の、武田の武士として言語同断、正々堂々とすべきだ!」「あ、そう……」
なんていうか、もう好きなだけしてくれよ、とほっぽり出すことにした。
面倒見きれん。
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