15 わんこのおんがえし



この場所は変わっている。 
何度も考えるけど、変わってる。



(…………本当に、私はタイムトリップしたのかな……?)
おかしい、と思う点はいくつもあるけれど、どれもこれも、思考を決定的にするものではない。噂に聞く、武将の名前がおかしい。横文字が通じないと思えば、まさかこんな時代にある訳がないだろう、と思うようなものがぽろりとあったり、町人が親指を立ててきたり、佐助さんのように、髪の色がひどく明るい人がいたりと、もし歴史考察家がこの場にいれば、目玉を飛び出すこと間違い無しなのではないだろうか。自分なんかがいて、ごめんなさいという感じである。

「まあ、そんなことぶつくさ言ってても仕方ないなぁ……」

元の世界に戻りたい。そう思うけれど、どうすればいいのか分からない。右も左も分からない場所で、女将さんと旦那さんのようないい人に拾ってもらったと、幸運を喜ぶべきなのだ。
わかってる。
わかってるけど。

ぎゅ、と体を硬くした。釣り下げた腕が重くて、関節が固まってしまったらしい。治ってきている。なるべく、重い物は持たず、これからは少しずつ腕を動かしていくように。医者にはそう言われた。
(わかってるけど)

もし、今すぐ帰ってもいいと言われたら。

     全部ほっぽり出してでも、家に帰るんだろうなぁ、と思った。





(…………恩知らずだ)
まったく、恩知らずな女だ、と、人知れず、ちょっとだけ凹んだ。けれどもまあ、本当に帰れるかどうかなんて分からないし。戻れるものなら戻ってみたいけれど、一体どうやってこっちに来たのかも分からないし。
(朝、目を覚ましたら、だもんなぁ)

そしたら寝たら元に戻るのかなー、と首を傾げてみたのだけれど、それなら毎日戻り放題なはずである。ファンタスティックすぎて、現代っ子にはついていけない。「ちゃーん、悪いんだけど、お使い頼めるかねー」「あ、はーい」

分かりました。と女将さんに頷いて、三角筋を外した腕をぶらりと揺らして、私はてくてく道を歩いた。「団子の串、団子の串、団子の串……」 ぶつぶつ頼まれたものを口にしながら、辺りにきょろりと目を向ける。私なんて、関係ないよとばかりに横を通りすぎていく人を見て、改めて不思議な気持ちになった。自分の足元でひらひらする着物を見下ろして、ちょいちょいと足の先で鼻緒をいじる。下駄なんて、夏祭りのときに着るのを楽しみにしていたくらいだ。
(おねえちゃーん)

ふと、の声が聞こえた気がした。
もちろん、気のせいだ。夏祭りの日に迷子になって、ぶわーっと鼻水を流しながらひんひん泣いてた。私がいなくなって、は泣いていないだろうか。ちゃんと、ろくもんと一緒にお留守番できているだろうか。

考えると、じわ、と鼻の頭が熱くなった。「あー、ハンカチ、ハンカチ……」 私が今泣いたって、仕方ない。泣くならせめて、お使いを終えて、一日を終えて、お布団に入ってからだ。
片手に抱き込むようにして持っていた袋から、ごそごそとハンカチを出した。ごしごし、と目頭をぬぐっていたとき、ふと、片手が軽くなった。ひゅっと風が通り過ぎ、「え」と瞬きをして、通り過ぎる男性の背を見て、その後に空っぽの片手を見つめる。「ええええっ」

「ちょ、ま、待って! スリだー!!!」

大声で叫んだ。辺りがざわっとざわめいたものの、男の人は人垣を泳ぐようにして消えていく。対してこっちは、片手をかばって、ついでに慣れない下駄に四苦八苦しつつの追いかけっこである。勝てる道理の方が少ない。
(あ、あのお金は……!)

中身は大して入ってはいない。今日は取り敢えず、お店の人に頼むだけの頭金を渡す予定だったからだ。(それでも) 「あ、預りものなんです、返してー!!!」 叫んだとしても、あっちが待ってくれる訳がない。

なんてこった。信じられない、なんてがっくり落ち込むよりも、私は必死で足を動かした。着物がバタバタ翻って、足がむき出しになった。けれども止まる訳にはいかなかった。「ああもう……!」 脱ぎ捨てた下駄を片手に抱えて、「またんかーい!!!」

足の裏が痛い。
大きな石ころを踏んだらしい。「ひだっ」と、変な悲鳴を上げて、それでも走った。もしあれをなくしてしまったら、女将さんに、旦那さんに顔向けできない。きっとすられたと言って店に帰れば、「そりゃあ気の毒に、怪我はないかい、大丈夫かい」と女将さんは言うだろう。でも、もしかしたら怒られるかもしれない。店を追い出されるかもしれない。でも、そっちの方がよかった。大丈夫、大丈夫だよと甘やかされるだけなんて、辛くて辛くて仕方ない。


     本音を言うと、毎日が辛い

できる限りのことでいい。
無理なんてしなくてもいい。
うちは、丁度子どももいないし、好きなだけいてくれていいんだよ。

彼らが、本当にそう思ってくれているから、辛い。私はいつか帰る、絶対帰る。帰ってみせる。お父さんとお母さんと、がいる家に帰る。そう思っている自分が悔しくって、悲しい。でもしょうがないとも思っている自分もいる。
悔しい。
でも、しょうがない。繰り返しだ。
「かえして!!」

誰か、私を家に、「かえしてー!!」


ひゅっ、と誰かが通り過ぎた。


ひらひら茶色い尻尾が目の前に見えた。ぴょいっと飛び跳ね、伸ばした腕で、男性の腰紐を掴んで、ぐるんと引っ張る。「ぎゃっ!」と男の叫びが聞こえた。その尻尾のように髪をくくった人が、ずでんとバランスを崩した男の人の関節を押し込めて、その人の手から私の袋をひったくり、後からもたつくように、やってきた男の人がロープを取り出して、スリの両腕をむすんだ。

警察か誰かだろうか。いや、岡っ引き、と言った方がいいかもしれない。私が叫んでいたものだから、誰かが知らせてくれたのかもしれない。
私は息をついて、そのまま地面に、へたり込んだ。体中の力が抜けて、今さらながらに足の裏がひりひりしてきた。

茶色い尻尾の男の人が、ふと私に気づいたように、てくてくとこっちに歩いてくる。近づいてくるその顔をよくよく見れば、男の人というよりも、男の子と言った方が正しいことに気づいた。私と同じ頃の年頃かもしれない。整った顔つきで、佐助さんと同じく、髪の色素が薄い。(ん?) 何度か似たような髪型を見たような気がしたのだけれど、喉にひっかかって上手く思い出せない。

「怪我はありませぬか。某、たまたま通りがかったものでござるが……」 そこまで言って、その人はポトンと私の袋を地面に落とした。顔を真っ赤にさせて、口をパクパクしているものだから、私が何かしでかしてしまったのかと不安になって首を傾げた。その人は、ぼたぼたぼたっ、と大量に汗を吹き出した。「え、あ、ちょ」 大丈夫ですか。

殿……?」
「はい?」 どっかでお会いしましたっけ。

まったく覚えがないなぁ、と自分の記憶を探っている間に、その人はずりずりと後ずさった。「え? あの」「う、あ、あ、あ、あ、うおやかたさまぁああああああああああ!!!!!」「え、あ、ちょ、えー!!!」

こっちがお礼を言う間も無く、うおおおおー!!! と余韻の悲鳴を残しながら、全力疾走で去っていくその人の背を見つめた。ついこの間、同じように叫んで、同じように消えていった人を知っているような、どう考えても気のせいでないような、と何度もパチパチ瞬きを繰り返して、「え、ええええ……?」 一体どういうこと。

変な人もいるものだなぁ、というか、親方様ってどちら様? 
(わっかんないなぁ……)
やっぱり、記憶にない。
ううん、と首をひねりながら、彼がおっことした袋へ手を伸ばし、ついでとばかりに下駄をいそいそ履き直した。「うあたっ」 足の裏の傷がしみて痛い。「あいたたたー……」 涙目になりながら、お金が戻ってよかったなぁ、と大きなため息をついた。
それにしても、変な人だった。



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「さすけぇええええええ!!!! 殿が、殿がいたでござるー!!!」
「もー、ちょっと旦那、なんなのさー」





  

2011.11.24