16 わんこのおんがえし

同じ名の、他人であると考えていた。
まさか、そんなはずがないと思っていた。
あれはただの夢であり、それ以上でも、それ以下でもない。わかっていたのだ。けれどもほんの少し、僅かにすこしだけ。

     もしかしたら、とも、思っていたことは否定しない。






「…………それで? 噂のちゃんに、そっくりな子がいたって?」

へーえ、そりゃあビックリだねぇ、と佐助はポリポリと頭をひっかきながら、言葉の割には、さして驚いた様子もなく欠伸をした。「佐助ェ!! 何故驚かぬ!!」「何故って言われてもさー」 そうだねぇー、びっくりだねー、ともう一回言葉を繰り返して、そっぽをむく。(…………つまりは) 「信じておらぬのだな?」「え? あー、えー、うん?」「おらぬのだな!!」

ぬっ、と佐助に顔を近づけ、がしりと肩をひっつかみ、ガクガクと揺さぶると、「ええええ、あー、まあ、そうとも言っちゃう……かも? あ、ちょ、旦那待って、ガクガクやめて、ちょ、ちょ、だんなー!」 がくがくがたがたがた


まあ、仕方ないことだ、とも思う。
俺でさえも、あれはただの夢ではなかったのか、と頭の中身をぐるぐると混乱させているのだ。それで他人の理解を得ようなどと、何をたわけたことを考えるか。「あれ、だんなー? だんなー? あら、珍しくおとなしくなっちゃってまあ……まあ……なんか面白いな」「面白がるな!」

まったく! まったく! とバタバタ両手を動かしながら手元にあったすずりを投げつけると、忍は見事に片手で受け止め、「それで、そのちゃんは、茶店のちゃんとおんなじ訳?」「うむ……それはわからんが、俺が茶店に向かう途中の近くでな。スリに遭ったらしく」「ほほう」「それで俺が、代わりにそのスリをひっつかまえたのだが」「ほうほうほう!」

何故だか佐助は頷きを深くしつつ、両手をパチリと叩き合わせた。「旦那! なっかなかやるじゃないの! そりゃあときめく出会いだねぇ! それで、どうなったのさ」 うむ。と俺は両手を組み、神妙に頷いた。「殿を見て、あまりのことに混乱してしまい、逃げ帰ってきたでござる!!」「印象最悪すぎる!」

やっぱりそういうオチだよねもうホントにブレがないねこのご主人はー! と顔を両手で覆ってぶんぶん首を振る佐助の言葉に、一体何をいっておるのだ、と俺は首を傾げた。「ほらもう不思議そうな顔してるし!」「む」

とにかく、確認はしておらぬが、おそらく彼女は茶屋にいる殿と、同じ女性であろうと感じていた。名が同じであるということはもちろんだが、この間、情けなくも面をかぶりながらちらりと聞いた声と、記憶の中でがっちりと符合したのだ。うむうむ、と俺が頷いていると、佐助は呆れたようにため息をついて、ぶるぶると頭を振っていた。

「あのねぇ、旦那、そういうときは、大丈夫かと声をかけてあげて、一緒に店まで送ってあげるのが男の礼儀でしょうが。そっから恋でも愛でも発展させておいしく料理して頂いちゃうのが、また様式美でもある訳で」
「佐助、腹が減った」
「なんでよ!? 会話の流れからまったく関係ないじゃん!? ああごめん料理とか言葉から連想しちゃったんだねちくしょう!!」

旦那との会話に比喩とか使うべきじゃなかったねごめんなさいねぇ! と叫びながら佐助は障子を開け、「そういうことは、女中にでもお言いなさいよ」と唇を尖らせながら、のそりと外へ足を踏み出した。そしてちらりと俺を見返すと、「旦那ぁ」「んむ?」

佐助はほんの少し考えたように瞳を伏せ、「行った方がいいんじゃないの」 どこに、と訊くほど、馬鹿ではないつもりだ。「……俺も、腹を決めた」「そうかい。頑張ってくださいな」「しかし一人では不安だ」「…………」「不安だ」

じっと佐助を見つめていると、佐助は口の端をひくつかせた。そしてひらひらと片手を振る。ぽんっ、と弾けた音と共に消えた従者の後を見つめて、俺はのそりと歩を踏み出し、昼飯はどこだと鼻をひくつかせた。
俺は覚悟を決めた。




「佐助、こ、これで問題はないか」
「ないない。ぜーんぜんダイジョウブ。後は旦那がふっつーにしてたらいの。ふっつーに」
「ふ、ふつう……」

普通とは一体なんなのだ? 俺は常に普通であり、これが常であり普通である、などと禅問答を考えても仕方がない。とにかく、うんうんと俺は頷き、ぎゅっ、と着物の帯を、もう一度きつく締めなおした。気持ちの表れである。


     いーい? 旦那。旦那はちゃんの、大げさに言うんなら恩人なんだから、下手なことをしない限り、好意的に迎えてくれるはずだよ。とにかく、スリで大事がなかったか確認して、急な約束があって、気にはなっていたけど、どうしてもその場を離れなきゃならなかったとか適当なこと言って謝るの。そこまで言えりゃー、後は問題ない。次につながる一歩につながる!

     とにかく、俺はそっと見守ってるから、旦那も子どもじゃないんだし、一人でなんとかしないよ!!


佐助の台詞を胸中で繰り返し、「大事はなかったか……非礼をわびる……わびる……」と両手の指をおりおりしつつ、うんうんと何度も頷いた。
来慣れた茶屋の前にて、ごくりと唾を飲み込む。どこからか佐助が見守っているらしい。どこだろうかとキョロキョロ確認しようとしたとき、「あれ、あのときの」 ふと、盆を抱えながら、こちらにコテリと首を傾げる女性がいた。

どの、と俺は小さく唇を動かし、もう一度、唾を飲み込んだ。ごくり。

俺は殿と対面している。している。彼女はニコニコと笑っていた。「この間、助けて下さった方ですよね? あのときは、本当にありがとうございました、助かりました」 そう言いながら、ペコリと頭を下げた。俺も慌てて頭を下げ、「い、いやいや、大したことではござぬ」 勢い良く出そうとした声は、不自然に棒読みであった。

なんということだ。俺が、殿と話をしている。自身でも、今を信じることができず、カッと頭にのぼりくる血を抑えようと、ぶるぶると唇を噛んだ。「……あの、お顔が、真っ赤ですが、どうかしましたか?」「はっ。なにもっ、ござらぬっ!!!」「そ、それならいいんですが……」

お気分が悪いのでしたら、座られます? とゆびさされた台に、俺はガクガクと頷きながら、硬い動作で座り込んだ。「あ、女将さんも呼んできますね。ぜひとも、お礼を言いたいと言ってましたから!」「そ、そうでござるか」

む、と頷きながら、膝の上に両手をついた。そのとき、ふと、大丈夫だろうか、と考えた。(ん? なにがだ) 自分でも、何を心配したのかわからない。何がいけないのだろうか。「まあまあ、こちらできちんとしたお礼もできずと思っていたところで……あら?」 ふと奥から顔を覗かせた女性は、パチリと瞬きを繰り返した。「…………真田の旦那さま?」「…………え?」

殿は、女将と同じく、きょとりと瞬きをして、俺を見つめた。「え」 眉をハの字にして、盆を力の限り抱きしめながら、ふらりと一歩、後ずさる。「どの、そ、それがしは」
     旦那さー、どう考えたって避けられてるよね

そうだ。
そうであった。すっかり忘れていた。
俺は何故だか理由はわからぬが、彼女によくは思われていない。名を言うべきではなかったのだ。(さ、佐助) どこにいる、と探そうにも、しょうがない。それよりも殿であった。女将は困ったように殿を見つめ、殿は何度も首をぶるぶる横に振った。けれども瞳は俺から逃げることなく、じりじりと距離を開けた。まるで、小動物が獣から逃げ去るように、目を逸らしては、食われるとでも思っているかのようだった。(どういうことだ)

(おびえている)
わからない。しかし、彼女は怯えていた。
俺を恐れていた。

「ち、っ……」 何が、違うと言えばいいのか。
どう彼女に説明すればいいのか。
俺は彼女に、好意を持っている。もし、彼女が、あの世界での殿と同じなのだとしたら、俺は恩を返したい。あの姉弟にもらった気持ちを、そっくりそのまま、いいやそれ以上の大きさにして、返してやりたい。

それをどう言葉で伝えてよいのか、俺にはわからなかった。
ただ、一つの事実のみしか、その言葉で伝えることができなかった。

どの!!!」 ぎくり、と彼女は肩を強ばられた。俺は叫んだ。

「俺は、殿の犬でござる!!!!」






空気が固まった。



  

2011.11.25