18 わんこのおんがえし



「平手打ちは駄目だよね、平手打ちは。ちょっと手が早いよねー、女の子として、アレはだめだよねー……?」

俺が頬に手をつけながら、縁側に座り込みジッと足元を見つめていると、「まあ、あれだよ? 旦那も悪かったと思うけど、あっちもあっちってことで、どっちもどっちだよね? ね、ね?」 っていうか、旦那もビックリしすぎちゃって、避けられなかったんだよねー。と先ほどから妙に気を使った発言をする佐助に、俺はどんよりと暗い声を出した。「違う」「え?」「避けなかったのではない、甘んじて受けたのだ……」「はい?」


「不可抗力とは言え、おなごの肌を見てしまうなどと……俺は……俺は……最低だ……ッ!!!」
「え、ああ、うん、そうだねぇ……」

最低である。最悪である。
そして一番辛いと感じたことは、俺は今の今まで、そのことに対する罪悪感を、すっかりどこぞに無くてしまっていたからだ。
(犬だから、構わんと。問題がないと) ひっそり心の中で、そう感じていたに違いない。最低であった。「は、破廉恥でござるうううううう…………!!!」「ま、まあまあまあまあ、まー」
 見ちゃったものは、しょーがないんじゃない? と両手を前に出して口元を緩める従者を見上げ、確かに、と俺は頷きそうになり、ぶるぶると勢い良く首を振った。「ぬううううん!!!」「ちょ、ちょ、ちょおおおお!!!???」 佐助の首根っこをひっつかみ、両肩に乗せ、
「ふんっ、ふんっふんふんふんふんふんっ!!!!」
「ひ、人を!!! 重しにして!!! 唐突にうさぎ跳びを!!! 始めないでちょーダイ!?」
「ふんぬー!!!」


ふう、いい汗をかいた、と額を拭うと、佐助は庭の端で、「うえっぷ、うえっぷ、うえーっぷ」「なんだ佐助、だらしがない!」「準備もなく旦那みたいな化物に、唐突に胃を揺さぶられまくったら誰しもこれくらいなるからね……!? 寧ろ俺様だからゲロッってないんだよ感謝してようえっぷ」「それにしても、どうしたものか……」「激★シカト!!」

殿が殿であることは分かった。それは確かだ。あの夢は、ただの夢ではなかった。そうして今、あのとき俺が犬となり、途方にくれていたことと同じように、殿はこちらの場所にいる。場所。それとも、彼女のように、世界と言うべきなのか。あまり頭を使うことは得意ではないし、好きでもない。

俺は殿に殴られた、大して痛くもない頬を撫でた。落ち着いたのか、口元をぬぐいながら、松の木にもたれかかった佐助がううんと唸る。「ま、取り敢えず旦那一人の妄想って線はなくなったね」「初めからそうだと言っているだろう」「一応。念のため。いきなり、ハーイ、主人の言うことなんだから全部信じまーす。って従者は信じられんでしょ。疑い過ぎも駄目だけどさー」

まあ確かに、と俺は苦い顔のまま頷いた。「その……ろくもん? だっけ。そのことをちゃんが知っていて、旦那も知っている。お互いの情報に、恐らく差異はない。もしかしたら幻術だって線は……」「ありえぬ」

何でさ? と佐助が首を傾げた。
確かに、俺も、もしかしたらそうかもしれぬ、と何度も思案した可能性だ。しかし、しかしだ。「そんな幻術などと生易しいものであったのならば、この真田幸村、気合と根性ではじき飛ばしておったに違いないッ!!!!!」
「ああうん。なんだか旦那が言うと、すごく馬鹿っぽいのに説得力を感じちゃって俺様嫌になっちゃう……」

旦那ったら……旦那ったら野生的なんだから……と何が悲しいのか両手で顔を覆った後に、木にもたれかかった。なんなのだ。

「とにかく。俺と殿は、同じく情報を共有している。互いに嘘はついておらず、真実であると理解もしているはず。……それなのに、何故殿は、俺をろくもんだと認めてくれぬのか」

そこである。
恩を返そうにも、あちら側がこちらを認識してくれなければ、話にならない。正直、別に俺がそこらの犬であったろうと、猫であったろうと、もぐらでも猪でも、毛虫でも、つまりは殿にとって、俺が何者でも構わぬのだ。いや毛虫は俺が困るが。とにかく、何か困ってはいないか、彼女は俺に教えてくれさえしたらいい。そうすれば、出来る限りの力を尽くして彼女の望みを叶え、あの犬であった頃の恩を返すことができる。

なのに現実は、彼女は武士を恐れ、近づけさせてくれさえしない。
一体どういうことだ。
俺はどうすればいいのだ。
俺はろくもんである。何故、こんなに簡単なことを、彼女は信じてくれぬのか。

「あのねぇ」 どんより思考に明け暮れていると、佐助は呆れたように声を出した。「確かに、旦那の言う通りだろうよ。旦那の不思議な夢をちゃんは知ってるし、どっかで何かがつながってる。それは確かだろうけどさ。それって、ただの理屈でしょ? いきなり飼ってた犬と、ひょっこり出てきた人間を結びつけるだなんて、普通の人間にはできないと思うけどねー」

それこそ、旦那が目の前で犬になれば、納得できるんじゃない?

うぐ、と俺はうなった。「…………それは……無理だ」「でっしょー」 佐助は訳知り顔で頷いた。「旦那がさ、どんだけ犬だったときの記憶を言ったって、常識的、ついでに感情的な問題なんだよ。人が犬になる訳ない。いきなりコンニチハーってお話する訳もない。それもかわいがってた犬なんでしょ? 寧ろそんなの信じたくもないんじゃない。ただでさえ、ちゃんは武士が苦手なんだし……おっと」 しまった、と言う風に、佐助は口を押さえた。

まあ、しかし、おそらくそれは失言ではなく、わざとなのだろう。
俺はふと、空を見上げた。青い。あちらの、殿と、がいた場所も、こればかりは同じだった。けれどもそれ以外は、何もかもが別であった。(不安に違いない) どうだろうか。それはただの、押し付けなのだろうか。うむ、と俺は瞳を閉じた。「感情論か……」「そうそう。特に女の子って、そういう気持ちで判断しちゃうの多いしね」「つまり、気持ちか……」「そうそう」

なるほど、理解した。と俺は頷いた。「ん? そう、そんならよかった」 佐助はほんの少し口の端を吊り上げ、笑った。「つまり、これからも俺がろくもんであると主張し続けたらいいのだな!!!??」「今どうしてそうなった!?」

いきなりだったから、彼女はビックリしてしまったのだ。
ちょっとずつ俺がろくもんである、犬であったと主張し続ければ、いつか殿も納得するかもしれぬ。「そうだ、これだ!」 俺は力強く、拳を握り、天へつき出した。「俺は、殿の、犬だー!!!!」「だから!!! それは!! ヤメテー!!!」

そんな馬鹿でかい声で叫んだら、ご近所に変な噂が立っちゃうー!! と涙声で俺の叫び声を打ち消そうとする従者に、負けてたまるものかと、俺は叫んだ。俺は、真田幸村は。「犬であるぞー!!!」「だから、やめてぇー!!!」





  

2011.11.26