20 わんこのおんがえし




     今日も今日とて、忍はため息をつく。



殿お久しぶりでござる! お加減の方はいかがでござるか!」
「お久しぶりも何も、数日前にお会いしたばかりです、幸村様」
「ぬぬっ、幸村様などと! そのような他人行儀な! 幸村とお呼びくだされ! いいやろくもんと、ろくもんとお呼びくだされ!!」
「わかりました真田様」
「遠くなったと!?」


何故に!? と旦那はわきわきと両手を動かした。「相変わらず、こりないねぇ」と思わず俺はため息をついて、その様子を見下ろした。団子屋の娘さんと、お武家様の恋物語、「なーんてことになればいいのにねぇ」 そりゃあなったらなったでめんどくさいかもしれないが、旦那の女嫌いというか、純情加減がちょっとでもなくなれば万々歳というものである。「俺様ったら上司思い〜」 なんちゃって。木の枝にどっかと腰を乗せ、ははんと鼻歌を歌ってみた。下の景色にゃ、娘がぷいと男を袖に振った。相変わらず、進展はしない模様である。

     さすけ、さすけ。殿はいったい俺がどうすれば喜ぶのであろうか。

ふと彼の言葉を思い出した。
旦那が女のためにと腰を上げるとは、大した進歩である。「さあねぇ。花の一つでもやればいいんじゃない、と言いたいとこだけど、旦那が一番いいと思うものがいいんじゃないかねぇ」 こんな言葉を返しながら、団子屋の娘に団子を渡すのではないかと一瞬杞憂に思ったものの、案外彼も武将であり、考える頭がある。(薬っちゃあ、いい考えだと思ったよ) 彼女自身も受け取ってくれたそうである。
しかしながら、上手くいかない。

(旦那のあの猪突猛進が悪いのかねぇ……)
けど、それが旦那のイイトコだし? と珍しく褒めてみることにした。おとなしい旦那なんて、そりゃあちょっと、旦那じゃない。(武士が怖いか) 自身には、その気持ちは分からない。

口を挟むべきだろうか。

ほんの暫く、瞳を閉じて考えた。恋路に首をつっこむなど、野暮の極みというものだ。しかしこれは、そもそも恋の始まりなのか? それともまたくもって違うのか。
「俺にゃあ、わからんねぇ……」


だって旦那のことだもの。とぽつりと呟く忍者の声は、かさかさと葉っぱに乗って、消えていった。





   ***

幸村様に、おくすりを貰った。

   ***



     先日、女将から傷も随分よくなったと聞いたのだが、それでもやはり、まだ肌がひきつるのではないかと、持って来申した。
幸村様は、そう言って、私にこれを手渡した。「…………う、うう、ううん……」 私はその巾着袋を手にしたまま、唸った。唸った。ひどく唸った。そしてごろんと畳に体をうつ伏せにした。

確かに、腕はよくなったとは言っても、ときどきくいっと引っ張られたように肌がひきつる。幸村様の言う通りだ。さすがお武家様、なんて大して彼のことがわかる訳でもないのに、こそっと心の中で呟いた。これは彼の好意なのだ。そうわかっているのに、私はこうして唸っている。この気持ちはただの意地であり、ひどく子どもっぽいことであると知っていた。
(だってさぁ……)

困る。
全部が困る。
ごろりと私は倒れこんだ。頬に畳があたり、ちくちくする。手の中の小さな包みを見つめ、長くため息をはいた。そして、ぎゅうっと手のひらで握りしめた。そして、また長くため息を吐き出した。
そんな私の気持ちも知らず、真田の旦那様は相変わらず「どのー!」と嬉しげに手のひらを振ってやってきた。このやろう。来なくていい。

相変わらず肌はひきつるし、彼の姿を見ると薬を使わないことに、ちょっとの罪悪感がやってきた。けれどもこの巾着を開けるのは、なんだか“負け”のような気がしたのだ。勝ちとか負けとか、そんなのがあるのか分からないけれど。
まあそのうちよくなるだろう。と私は腕を抱えて、「ちゃーん」と響く声の元へ、ひょいと足を伸ばした。お客さんだ。「はいはい、なんですかー……って、佐助さんか……」「あからさまにがっかりした顔しないでよ……これでもリッパなお客っしょ?」

どっかりと椅子に腰をかけた佐助さんを確認して、幸村様は? と私は思わず用心深く辺りを見回した。佐助さんはカラカラと笑って「旦那はいないよ。あんなんでも、一応お仕事はたんまりあるからね。今頃すずりと格闘してるさ」「あ、そうですか……」 茶を渡しながら、思わずホッとした声を出してしまった。ちらり、と佐助さんが私を見たものだから、私は慌てて自分の口を盆で隠した。なんだか見透かされているような気がしてしまったからだ。

そんな風に、急に腕を動かしたものだから、「あ、あたたた」 また腕がひきつった。刺された方の腕を抱え込んで、眉をしかめると、「ちゃん、やっぱりまだよくないんだねぇ」 はい、と頷くことはためらわれた。「お薬、使ってなんだね」 やっぱりね、と彼はちょっと苦笑した。

「使った方がいいよ。長引けば、季節の変わり目が辛くなる。治せるもんなら、さっさと治してやった方がいいし、薬に罪はないんじゃないの」

どんだけ旦那が嫌いって言ってもね。
そう言いながら、私が渡した茶をずずっと彼は吸い上げた。「あっいや。嫌いとか、そういう」 訳じゃないです。と否定の言葉を口にしようとして、しまったと思った。別にいちいち言うべきことでもない。「でも、好きでもないです」 慌てて言葉を付け足した。そしたらブハッと佐助さんが吹き出した。

「そしたらなおさらだよ。嫌いじゃないってんなら、堂々と使ってやんなさいよ」

私はまた盆で口を隠しながら、ほんの少し目を伏せた。
実際のところ、真田幸村という人が嫌いなのか、好きでもないのか、よくわかっていなかった。いろんな要素が混じりすぎて、まっすぐに見つめることができなかった。タイムトリップしてしまったということ。武士が怖いということ。彼が(おそらく)ろくもんだということ。


(…………どれか一個だったらよかったのになぁ)
そしたらもうちょっと、私の方でも、落ち着いて考えることができたはずだ。
ごろり、とまた畳の上で転がった。目の前には、彼らからもらった巾着袋が転がっている。ほんの少し、肌が引きつった。ぱたん、と私は倒れたまま、それを見つめた。

     薬に罪はないんじゃないの

また少し、考えた。
ひょい、と元気な腕を伸ばして、巾着の紐を手繰り寄せた。私は戸惑うように、それをぎゅっと握りしめた。





「これ、お返しします」

そう言って、巾着の袋を差し出すと、幸村様は団子を口にくわえたまま、ぽかんと私を見上げた。むぐむぐ、と咀嚼して、ごくんと団子を飲み込む。「いや、しかし、どの」 それはどのにさし上げたものでありまして、ともごもご口ごもる彼に、「違います」と私はきっぱりと首を振った。「中のお薬は使わせてもらいます。でもこちらまではもらえません」

こんな高価なものはいただけません。

巾着袋は、パッと見ただけでも綺麗な糸が通されて、そこいらの着物なんかよりも、よっぽどいい布が使われている。
とにかくそんな風に私はつっぱねたのだけれど、おそらくこの薬だって、私の手に届くものじゃないと思う。随分よくなった片腕を、私は軽く手のひらでさすった。幸村様の顔を見るのが、少しだけ勇気が必要で、私はぷいっと顔をそらした。けれどもちょっとだけ考えた後、椅子に座った彼をゆっくりと見下ろした。「あの、お薬、ありがとうございます。あと、少し前に、泥棒を捕まえて下さったことにも、きちんとお礼を言えずじまいで、すみませんでした」

私はペコリと頭を下げた。
彼が悪い人じゃないということは、とっくの昔に知っていた。少し変だけれども、気のいい人で、別に変な意味ではなくて、私に好意を持ってくれているということもわかっていた。唐突に、自分が恥ずかしくなった気がした。私はぎゅっと盆を抱えたまま頭を下げると、「そ、いや、殿、頭を上げてくだされ、困りまする。すべては某が勝手にさせていただいたこと」

殿、お顔をお上げくだされ。そういくども声をかけられて、私はゆっくりと顔を上げた。恥ずかしいということと、やっぱり彼が少し怖いということで、私はガチガチに固まった。幸村様も、おそらく私がそう思っていると気づいていた。ちょっとだけ困ったようにハハ、と笑った。ギクリとした。今更ながらに彼はかっこいいし、年の功だって同じ頃だ。今度は別の意味で赤くなった。幸村様はそんな私の顔に気づいてもいないのか、「いや、うん、なに。その、こうしてまた、殿とお話しすることができるとはこの真田幸村、感動でござる!」

ガガッと顔を近づけられたものだから、私は思わず真っ赤になった。「あ、あの、幸村様」「殿は某の命の恩人、そのような呼び方はやめてくだされ」 そのような、と言われても。

この間も同じようなことを言った気がする。私はガチガチ、とどんどん体が固くなった。「ゆ、幸村、さん……」 呼び捨ても、ろくもん呼びも無理に決まっている。
それなのに幸村様は、嬉しげに瞳を細めた。「うむっ」と頷いて、にゅっと顔を近づけた。そして


ぺろり

     !???      !!!!???」

舐めた。思いっきり、彼は私のほっぺを舐めた。「あ、思わずろくもんの癖が」と幸村様はハッとしたような顔をして私を見た。私は即座に手に持つ盆を振りかぶった。「あ」と口を開けたような表情の幸村様の顔面を激しく殴打し、私は彼を踏みにじった。往来の人々が、ギョッとした顔でこちらを見た。
肩で激しく息をする私を見て、どこからかやって来たのか、腕を組みながら、ううんと首を傾げる佐助さんが「あらぁ、やっちゃったね」 旦那も中々やるねぇ



とりあえず、好感度はマイナスに移動した。







  

2012/05/15