23 わんこのおんがえし





どのー! どのー! どのー!!」

あいかわらず、幸村様はわふわふ幻覚の尻尾を携えて、にこにこ嬉しげにお店へとやってきた。私はチッと舌打ちをしながら、ビシッと勢い良く指を向けた。「おすわりィ!!!」「うぬううゥ!!!!」 滑りこむような、見事なお座りだった。幸村様は地面の上にぺったりと座って、わふわふ、わふわふ、と尻尾を振っている。ような気がする。幻覚だ。

「幸村様、立ってください!」
「うむ!」
「ちゃんと台に座ってください!」
「うむうむ!」
「お団子は!」
「よもぎで!」

よろしく頼みまするー!! と片手をあげる幸村様は、一体どこで覚えたのか、ぐいっと親指を立てている。周りのお客さん達は、いつものことだとばかりに苦笑していて、私がのっそり店の奥からよもぎまんじゅうを取り出して、乗せた皿を持ちながら彼の前に立つと、パッと幸村様は立ち上がろうとした。しかしながら、すかさず、「待てィッ!!!」「!!!!!」 スタッと幸村様は座り込んだ。「お手!」「うむ!」「よしっ!」「いただきまするー!!!」 がうがうがうっ

一つ任務を終了した気分になり、むんと腰に手のひらを当てた。口いっぱいに頬張って、「美味でござる!」と嬉しげに声をあげるわんこもとい幸村様が、パッと飛び上がろうとした瞬間に、手のひらで眼前を遮った。「待て!」 シッダウン。

幸村様は、ただ静かに台の上に座っている。はたはたはた、と揺れる尻尾が見えている。完璧だ。完璧だった。




しかしながら、私は一体何をしているんだろうと自分自身まったく理解できない状況でもあった。




   ***



「おすわりとか! 待てとか! ありえないじゃないですかー!」

もう一体なんなんですか、どういうことなんですかと顔に手のひらをつけて、ぶるぶると震える女の子を見ながら、俺はもぐもぐと団子を咀嚼した。ありえないじゃないですか、なんてこっちが言いたいっていうか、俺様ほんとこのごろこれ専用っていうか、いいのかなあ、給料泥棒じゃないのかなあ、と色々と疑問に思いたいと年頃である。二十過ぎてる。

「おすわりやらシッダウンやらストップ、ハウスとか、人様に使う言葉じゃないですよ!」
「ちょっとちゃん待った俺様横文字はよくわかんないんですけども?」

でもまあなんとなく言葉の響きでわかっちゃうけどさあ、熱いお茶をずるずるすすると、「怒ってください!」 ちゃんは、顔を真っ赤にして腕を振った。「……えー?」「大の男が、小娘にこんなこと言われちゃってるんですよ! 失礼きわまりないです、お願いですから佐助さん怒ってくださいー!」

小娘なんて自分で言っちゃってるし。
(うーん、まあ、城主を相手にするにしちゃ、ちょっとどうかなあ、という態度なのは否定はしないけども)
自分個人としては、うちの旦那が申し訳ないねえ、という気分の方が勝ると言うか。「まあ、ちゃんは気にしなくってもいいんじゃない?」 なんだかんだと奇妙な形ではあるが、ある程度の対話が試みられている訳である。前よりも面倒くさくなくて、ありがたいことである。どうぞどうぞ、このままなんとでも、と他人ごとのような気持ちになって、口元でぴろぴろ串を動かしてみた。ぴろぴろ。


空が青いなあ、とぼんやり顔を上げて、もうひと息ついたら、仕事に向かわせていただきましょうかね、と息を吐き出した。さておあいそしますか、懐から財布を出そうとしてみると、奇妙に彼女が静かなことが気になった。
ちゃんは、きゅっと唇を噛み締めて、その上ふくっと鼻をふくらませていた。必死で息を抑えこむように、ぷうぷう動く丸い鼻を見つめた。ぽりぽり、と頬をかいて、よっこらせ、と俺は立ち上がった。小さな彼女の頭を撫でた。くしゃくしゃと髪の毛はやわらかくて、白いほっぺをぺちりと叩いた。




「旦那は、もっと相手の気持ちを考えましょう」

どーん、とつきつけられた言葉に、旦那はぽかんと瞬いた。「き、気持ちを、考える、とは……?」「そのままです。今のちゃんとの関係はなんだかちょっとおかしいなあ、とかちょっぴりくらいは思うでしょ?」「うぬ? とくには? ろくもんのときと変わらぬしなあ」「犬時代の記憶は置いといて! 旦那は現在進行形で人間なんですけど!?」 あっ、そうだった。というような顔をしているこの主人の横っ面を、ときどき思いっきりひっぱたきたくなる。
ひょっとこみたいな顔をしながら、旦那はううん、と唸って、「気持ち……気持ち?」 ちょっとは思考の端にひっかかったか、と考えると、なんだか苦笑してしまった。

「そう、例えば旦那はちゃんと会うとき、どんなことを考えてるのさ。そっからちょっと考えてみな」
「うむ……そうだな、この頃殿にお会いすると、無意識に股間を守りたくなるな」
「それは多分変なことをしたら股を蹴られるって理解している防衛本能だね微妙に違うね」

っていうかその言い方は聞き取り用によったらちょっと怪しくなるからやめておきましょうね、と待ったを掛けるこの気持ちを一体誰が理解できてか。「とにかく!」 拳を握った。「もっとちゃんと仲良くなりたいでしょ? だったら、ちゃんの気持ちも考えてみるべきだよ」

この台詞は、旦那の心にぐさりと突き刺さったらしい。「う、むうう」と唸る旦那を横目で見ながら「ちゃんが、にっこり笑ってこんにちは」「う」 ぱ、と耳が赤くなる。「幸村様、また来てくださいね。と好意的なさようなら」「う、うおお」 ぼぼっと顔が赤くなった。っていうか幸せを感じる値がものすごく低いなと目尻が熱くなってしまったのだけれどもそこは無視である。

「さーあ! 気合を入れて! 拳を握って! ちゃんと仲良くなろう大作戦、いきますよーお!」
「お、お、うおおおおー!!!!!!」

とりあえずノリに乗せてしまえばなんとかなる軽くてちょろい主人である。



   ***


「その1、団子屋には、ゆっくりまっすぐ歩いて行くこと。その2、自分から殿にはぶつかって行かないこと。その3、殿の調子に合わせること。一人で暴走しないこと」

いち、にい、さん。いち、にい、さん。
指折り数えて佐助の言葉を思い出した。さてゆくぞ。今すぐゆくぞ。走って行くぞ。うぬっ! と気合を入れて足を踏み出そうとしたとき、「そのいち、そのいち、そのいち……」 あぶないあぶない。と首を振った。

ゆっくりまったり、落ち着いて。殿を驚かせぬように。(……驚かす?) そんなこと、まったくもって考えていなかった。自分の新たな思考にハッとした。『殿の気持ちを考えること』 佐助の言葉をもう一度頭に刻んで、ぶんぶん、と首を振る。第一段階は完了した。「その2、自分から殿にはぶつかって行かないこと……」

茶屋はすっかり目の前だ。うずうず動きそうになる両足をしっかと地面に突き立てて、俺はじいっと殿の背を見つめた。今すぐ飛び込みそうになる気持ちを縫いつけて、ふー、ふー、と鼻から息を吹き出す。いやいや、これも殿を驚かせてしまうやもしれない、と呼吸を止めた。苦しくなった。「げほっ、げほほっ」 不恰好な咳が口から出てしまった。殿はちらりとこっちに目を向けて、パッと瞳を大きくした。俺は口元を押さえて、じいっと殿と向かい合った。

(…………あ?)
なんだかおかしい。ぶあ、と首元から汗が吹き出した。顔が熱い。手のひらを握りしめて、何度か瞬きを繰り返した。殿は、相変わらず立っている。どこどこどこ、と心臓が嫌な音を立てていた。ふー、と息を鼻から思いっきりに吸い込んだ。そうしたら少しは楽になると思ったら、そんなことはなかった。

どのはおそらく真っ赤な顔つきでぼんやりと立っている俺を見て、不思議気な顔をした。「……座らないんですか?」 その2、自分からは殿にぶつかって行かないこと。その3、殿の調子に合わせること。「す、すす、座りまする!」

こんな風に、じっと落ち着いて彼女と向かい合うことはなかったのかもしれない。何度も座ったはずの台が奇妙に慣れなくて、また大きく息を吸い込んだ。「幸村様、ご注文は?」「…………」「幸村様?」「あ、う、おう、み、みたらし……で……」 ぱたぱた、と両手を振って、やっとのことで声が出た。殿は、きょとんとして俺を見下ろしていた。そうした後に、くすりと一瞬微笑んだ。すぐさま慌ててパチパチと口元を叩いて、「わかりました」と厨にひっこんでしまった。

俺はぼんやり彼女の背中を見つめた。そうして、笑った彼女の顔を思い出した。
結局、それから彼女が俺の前に姿を現すことはなく、「すみませんねぇ」と頭を下げる女将から注文のみたらしを頂いて、俺はもしゃもしゃと空を見上げた。食べた串は、持って帰ることにした。




「どうだったよ?」
と、隣に立って、こっちを窺う佐助の、そのまた向こうを見つめてみた。どうにも景色が遠かった。「…………佐助」「うん?」「殿は、可愛らしいのだなあ……」 今更ながらに、じわじわと耳の辺りが熱くなった。

佐助は少々呆れたような顔をして、ひょい、と肩をすくめた。「なんだ、なんでそんなに呆れている」「あ、なんだ。わかった? よかった、旦那も人並みだったんだね」「何がだ。俺は人並み以上に修行している」「知ってる知ってる」


俺様、ちょっと安心したよ、と小僧のように笑った忍びの顔は、どうにもすっぱく、居心地が悪いものだった。



  

2012/08/06