25 わんこのおんがえし





「んぐ」

んぐんぐ、口元から奇妙な声があふれた。手に持った筆を勢い良く振り上げる。けれどもすぐさまぶるぶると震えながら腕を落とす。「修行をしたい……」 修行をしたい。そしてそれよりも。
どのの団子がくいたいー!」

おーん、おんおん、と額を机にくっつけた。





いくら書簡をみつめたところで、数が減る訳でもない。「俺は……手習いは、好きではない……」 なんて言葉を呟いたところで、何がうまくいく訳でもない。わかっている。畳の上に、どっかりと座りなおして、閉められた障子から、外の光を覗いてみた。
閉じ込められて、はや3日。普段からちょっとずつ確認しておかないからこうなるんでしょうよ! とちゃぶ台をひっくり返す勢いでどやされた言葉を思い出して、うおん、と畳の上でまるまった。犬であったときの癖が、また勝手に出てしまったと、慌てて立ち上がった。そして座った。やってられぬ。

「親方様に、気合を入れていただきたい……」 思いっきり、平手を入れて頂きたい。「どのに、会いたいぃ……」 団子をもぐもぐと食べさせて頂きたい。
うおん、うおん、と泣いたところで仕方がない。これも修行、忍耐、根性。崩れた足を直しながら、じっと書簡と見つめ合う。カタリ、と障子が開く音がした。「入れ」 どうせ昼の知らせか何かだろう、とそちらに目を向けずに答えた。

どのと団子を食いたい。

ポッと浮かんだ煩悩に、ぶんぶんと首を振った。カラカラカラ、と障子がまた開く音がする。しかしながら、なんの声がかけられる訳もない。奇妙だ。刺客の割には、ずさんに気配を主張している。
「なんだ、昼飯なら、もうしばらく後に     」 言葉を失った。


団子の包みをいくらか抱きしめていた殿が、むっつりとした表情でこちらを見下ろしていた。
殿……!!?」
むすっ、と殿の瞳が、きょろりと動いた。可愛らしい。いやいや。(殿と団子を食いたいと思っておったら、まさかのそのままに……!) 嘘か、まことか。慌てて立ち上がりながら、彼女に近づく。わずかに殿は後ずさった。本物だ。いやそんな。(願いがかなったと!) 

「バタバタ、暴れないでください」
「い、いや。驚いておるのだ。どののことを考えている最中でござった」

ぽっ、と殿の頬が赤くなった。ひどくうれしくなって、パッと笑った。「丁度、殿を食いたいとおもっておったのだ!」 あ、いやいや、どのではなく、どのと団子でござったな、ハッハッハ、と否定をしようとした瞬間に、股間を蹴りあげられた。



   ***


「今のは、……言葉のあやでしてな、どのではなく、団子をと、それがしは……」
「す、すみません、条件反射に」

やりすぎました、すみません、と幸村様の背中をさすると、うおおう、と幸村様は内股のままに机に手のひらをついて、座布団の上に座り込んだ。幸村様の言葉が足りなかったこともあるが、今のは少々やりすぎたと反省した。


幸村様の部屋に、私がお持ちします。そう答えると、ほんの少しだけ嬉しげに口元を緩めた佐助さんは、「それじゃあ俺様の案内はここらへんで。後はよろしく!」と手のひらを振るだけ振って、消えてしまった。まさかのマンツーマン! さすがにそこまでは了承できてないよ! と主張したくても、する相手がいないときた。忍者のすばやさをなめていた。


やっとこさ痛みもひいたのか、バタバタと机に手のひらを打っていた幸村様は、「して、どの、何故こちらに?」「え、幸村様が頼んだんじゃないんですか?」「んむ?」 違うらしい。

あ、忍者だ。
絶対忍者だ。と抱えた団子の包みを見つめて、ため息をついた。まあいいか。「佐助さんに、お団子を持ってくるように、と言われて、お届けに来たんです。あと、代金はまだもらっていません」 幸村様なら、つけでも構わないとおもいますけど、と伺うと、「いやいや、それはいかん」慌てて幸村様は懐を探った。探り続けた。「…………次にお店に来たときに、いただけますか?」「も、申し訳、ござらぬ……」 しょぼくれている。

「はい、幸村様」
どうぞ、と竹の包みごと渡すと、慌てて幸村様は両手を伸ばした。パッと嬉しげに笑う表情を見て、一瞬緩みそうになった自分のほっぺをひっぱった。「どの」「はい」「某は、うれしい!」「…………そうですか」 ちょっとでも、かわいいと思ってしまったことが悔しい。

いただきまするー! と、お店で変わらないようにほっぺをふくらませながらもむもむとお団子の串をくわえる男の人を見て、こうして見れば、やっぱり幸村様は可愛い人だし、良い人であるんだろうな、と自分の価値観がカッコンカッコン、と天秤のように揺れてしまっていることに気づいた。

二人一緒に向きあうように座り込んで、膝の上に肘をついて、幸村様を見つめた。そうしていると、こっちの視線に気づいたのか、「すみまふぇぬ!」ともごもご口の中にお団子を入れたまま、幸村様が自分の座布団を私に渡した。別に、そういう意味ではなかったのだけれど、ありがたく受け取って、またぼんやりと彼を見つめた。幸村様は、やっぱり不思議気に私を見つめていた。

どの、腕の調子は、いかほどでござろうか」
「すっかりよくなりました。ありがとうございます」
「そうでござったか。うむ、いや、嫁入り前の身でござるしな。安心し申した」
「貰い手は特に決まってないので、そこら辺は気にしないでください」
「それならば某が。冗談でござる。すみませぬ」

さすがに空気を読んでくれるようになったらしい。もぐもぐ、と幸村様が団子を咀嚼する音が聞こえる。わずかに開いた障子の隙間から、庭の向こう側が見えた。緑がひどく目にやさしい。「どの」 幸村様が、串を手にしながら、じっとこっちを見ていた。「今日は、逃げませぬのか」 そう自分で言った後、どうにも違うなあ、と言いたげに首を傾げた。「いや、逃げるではなく、うむ、避ける? 遠ざかる?」 上手いニュアンスが見つからないらしい。

けれども、なんとなく、幸村様の言いたいことがわかった。「今のところ、その予定は」 ないです。ときゅっと体育座りをし直す。
幸村様は、きょとんと瞳を大きくさせた。それから、じわじわと口元を喜ばせるみたいに手のひらを当てて、「どの、某、抱きしめても構いませぬか」「嫌です」「そ、それならば、舐めても」「問題外です」

ううう、と悲しげに声を出して、指折り数えながら、「そのさん、殿の調子に合わせること、合わせること、合わせることぉ……!」 何やら自分に言い聞かせている。

「あの、前から聞きたかったんですけど、それ、なんですか?」
「ん? どのを嫌がらせぬようにと決めた約束でござる!」
「はあ……」

なんだそりゃ、と思ったけれども、変な顔はしないでおいた。幸村様が、幸村様の精一杯でこっちのことを考えてくれるようにとしていたとわかったからだ。「別に……」 手のひらをいじった。「嫌では、ないですけども……」 声が小さすぎたらしい。見えない尻尾をパタパタさせる幸村様は、私のことなんて聞きもせずに、ほっぺをいっぱいにふくらませていた。

「ん? どの、何か申されましたか?」
「別に! なんでもないです!」




忙しいのだから、そんなことをはしなくてもいい、と言ったのだけれど、「入り口まででござるから」と幸村様はへらりと笑って私を屋敷の外まで見送った。幸村様が歩くと、周りの使用人の人たちもペコリとこちらに頭を下げる。今更ながらに、彼が偉い人なのだと認識してしまった。

茶色い尻尾をぴろぴろと垂らして、こっちでござる、と幸村様は門前を指さした。
私はなんとなく、彼の背中を見つめながら、ひょいと手のひらを伸ばした。指先がちょんと絡んで、その瞬間に、幸村様はぼふんと顔を爆発させた。そんな彼を見ると、面白くてもう一度、きゅっと手のひらを握った。

どの、と幸村様が口元をぱくつかせた。私はカラカラ笑いながら、彼の隣を過ぎ去るみたいに手のひらを振った。「幸村様、ツケ、忘れないでください!」 またお店で、なんて言葉を言うのは悔しかったから、それだけ言って駆け抜けた。

とんとん、と胸の中で、妙な音が聞こえる。
ひどく唐突な音のように思えたし、今更のような気がした。きゅっと口の端があがったと思ったら、今度は勝手にへの字になった。ぺちぺち、と何度もほっぺたを叩いた。
(こわくない)

武士だけど、こわくない。
パッと目の前の景色の色合いが変わった。
そんな風に、簡単に変わってしまう自分が嬉しいような、恥ずかしいような気持ちになって、パタパタと忙しく動かしていた両足を落ち着けて店先にすとんと腰を下ろした。とんとんとん、とやっぱり胸の奥で音が響いている。心臓を抑えこむようにぎゅっと手のひらを握りしめた。


     お姉ちゃん、具合、悪いんか」

瞳を見開いた。
「…………!」
そう思ったのは一瞬だ。男の子は歯抜けの顔をきょとんとさせて、ボロボロの着物の裾をひきずっている。「ううん、ちがうよ、ありがとう」「そうかー」 そんならよかった、と男の子はけらりと笑って、消えていった。その背中を私はじっと見つめていた。

色合いは、いつの間にか元の風景に変わっていた。雑踏の声が聞こえる。私はただぼんやり、知らない店の屋根の下で、ゆっくりと静かに呼吸を吸い直した。



  

2012/08/09