予想以上にこの熊はよく食べた。
山盛りに積まれていたはずのスパゲッティがつるつると目の前の大男(熊さんだね)の中に吸い込まれていく。別にそれは妙な光景でもなんでもなく、ただ大柄な男ががつがつと口の中にものをつっこんで行くという言葉にしてしまえばなんの面白みもないものなのだけれど、私には十分、ごごごごっ! と吸い込んでいくように見えた。
あんまりにも一般的なミートスパゲッティを口元にべったりとつけて、フォークと反対に持つのは大人の拳大もある骨つき肉。ぶちっ、と噛み千切る音に、思わず堅いテーブルにほおづえをついたまま、ため息が出そうになった。いや、多分もう出したに違いない。
「おう! 追加でビールも
」 聞こえた野太い声のその男はじーっと見詰めたままな私を見て、おっと、と小さく呟くと、「ガキの前で飲むもんじゃねぇな」 中途半端にきいているらしい気に、ははっ、と思わず声が出てしまった。「どうぞ、お好きなだけ」 かまいませんよ、今更。
取りあえず、食べ過ぎでしょう。
この熊に、助けて貰ったお礼にと酒場へと行きませんか、おごりますよの言葉に、熊は「お、でもこんなガキにおごって貰うなんて悪いなぁ」といいながらも、足はてこてこと店へと向かっていた。悪いもなにも、お礼目当てで助けたんじゃないですか、と思わず出そうになった言葉をぐっと押し込んで、「じゃあお……おにいさん、好きなだけ」
一瞬、おじさんがいいのか、それともお兄さんがいいのか悩んだのは秘密だ。
茶色い、私に対すると大きな椅子に、でこっ、と座って、行儀が悪いかもしれないけれども深く背もたれにもたれながら男を見た。お前も食わねぇのか、坊主。とさっきからしきりに男は声をかけてくるけれども、「アナタのくいっぷりを見て、胸がいっぱいです」なんて正直に言えずに、ははは、と乾いた笑みを浮かべるだけ。
ごくり、と男が何杯目かの泡のでる麦茶を飲み干したとき、そういえば、と言葉を漏らした。
「名前もいってなかったな。俺はビクトール、風来坊だ」
「私は。薬屋です」
「なんだ薬師かい」
「いいえ、そんな大層なもんじゃないですよ」
聞いた知識を元に、適当におクスリの元となる薬草をすり合わせているだけだ。専門的な知識はないに等しい
少なくとも、この間までは(だったときの記憶が、ほんの少しずつ流れ始めている) それでも、きっと一般人よりほんの少し頭が出ているだけだろう。
取りあえず熊、いいやビクトールは、「ふうん、まぁ小せえのに大したことじゃねぇか」とガハハ! と大きな声で笑った。騒がしい店の中が、余計に騒がしくなった気がする。ぴちゃんっ、とビクトールが持ったジョッキの中身が揺れた。
そのとき、私は改めてビクトールを観察してみた。ボサボサの髪に、鍛えられた筋肉。腰に刺さった大きめな剣は、きっと彼の手にかかればびゅんっ、と風のように振り回せてしまうのだろう。黄色い服は、所々ボロボロで、定職にありついているとはとても思えない。そういえば、風来坊がどうのとかいっていた。
それにしても、この人も随分と星に好かれている。正直今の私の目には、何度も大きく星と関わる人くらいしか分からない。それでも、ときどき、はっ、と気づく程度だ。一瞬パチリと弾くような光が見えて、それでおしまい。オデッサも、フッチもたまたま気づいたものの、正直天魁星をこの目で見ても、はっきりと分かる自信なんて皆無だった。
未だにガッハッハ! と笑っているビクトールは、じっと私が見ている視線に気づいたらしい。飲み過ぎか、それとも唯単に店内の温度が高いのかしらないけれど、ほんの少し赤く染めた頬のまま「なんだ、坊主」
「いえ、そういえばと思いまして」
「んん?」
「解放軍がどうの、と」
ビクトールは思い出したように、「ああ」と首を縦に振った。ついでにビールを口に含むのも忘れずに。なんだ知ってるのかい、だったらさっさと教えてくれりゃあいいのに。そんな言葉を言外に伝わってきたもので、「あ、念のためいいますけど、私も知りませんよ、解放軍の場所だなんて」
解放軍、そんな言葉が二度も出てきたものだから、店の店員が、隣の席のオーダーを取りつつ、ちらりとこちらを見てきた。ごほん! とわざとらしい咳を二人して、ごほんごほん。
「なんだ知らねぇのか、紛らわしい」
さっきよりも幾分が小さな声で、こちらへと顔を寄せながらビクトールは呟いた。どこか面白くなさそうに、ちゅるちゅるとスパゲッティーを啜るのはいいけれど、口元を拭いて欲しいところだ。私は彼に無言でナプキンを差し出した。
すると何を勘違いしたのかビーン! と鼻をかんで、2、3メートルほど離れた場所へと設置されたゴミバコに、ぽい! ………まぁいいや。
「すみません、紛らわしかったのは謝ります。けれどもですね、私も解放軍を探しているんですよ」
同じく小さな声で。ちらり、と彼を目配せして、「続けても?」と訊くと、こくりと小さく頷いた。
「ものは相談なんですが、ビクトールさん、私と一緒に旅をしませんか。子どもの一人旅はどうも危なっかしい。さっきみたいにね。もちろんただでとはいいません、宿泊代程度なら私が受け持ちますよ。奇遇な事に私たちは目的が同じだ」
どうです?
頭の中では、星に好かれているであろう彼について行けば、間違いなく天魁星に近づく事が出来るだろうし、運が良ければウィンディに対抗する解放軍とやらにお目にかかる事ができる。
とにかく、今は紋章の近くへと行かなければ解決策は生まれない。そもそもこんな小さな体ではこれ以上危険な長旅を続ける事もできない
などといった打算的な考えがぐるぐるとうずいていた。(年をとると、どうもいけない)………なんて、今更だろうか?
ビクトールは無言で口元へとビールを持って行った。こっこっこ。喉を過ぎる音が聞こえる、こっこっこ。周りの騒がしさとはまるで切り取ってしまったようなこの空気に、どうしたものか、とため息をつきそうになった。
きっと彼は子どもを一人連れての二人旅と、それにかなうリスクがあるのかを頭の中でそろばんを打っているのだろう。
(………まずいな)
気持ち的に一人旅の方が身軽だと天秤が傾いてしまいそうな気がする。ほろ酔い気分にさせてはみたものの、案外、難しそうだ。
(チャンスは、逃してはいけないよ)
しょうがない、とぐ、っと唇を噛みしめた。
「おまけに食事代も負担しましょう」
「よし、その話のった!」
がん! 大きな音をたてて、テーブルにジョッキをぶちつける。財布の中身が痛いけれど、ここは、我慢するしかない。
「ではこれからよろしくお願いしますね、ビクトールさん」
「うけてたった。よろしく」
ここに一つ。小さな同盟が結成されたのだった。
2008.04.18