もしかしたら自分たちはラッキーなのかな? と首をひねった。帰ってきたビクトールに、おくすりは売れなかったですけど、と男から渡されたメモを取り出した。手のひらサイズの紙の中には、みみずがはったような文字が所狭しと書かれている。
ふん、とビクトールは鼻をならし、「汚ねぇな、読めねぇよ」
たぶんわざとそんな風に書いているんだろう。誰かに見られてしまっても、そう易々と分からないように、あらかじめ決められた文字で使っているのだ。
残念ながら、私もビクトールも頭脳労働員とはほど遠いので、ぼりぼりと頭をひっかくだけで、まったくもって成果が出る事はなかった。
「南に行くか」
いきなりの唐突な台詞に何故だろうと頭をひねると、「おいおい」と軽く肩をすくめるようなジェスチャーと一緒に溢れたため息が聞こえた。あんまりにも似合わないので、ふっと笑ってしまいそうになったけれど、ちょっと我慢だ。「何のために二手に分かれたんだよ」
はおくすりを。ビクトールは解放軍の情報を。
見つけましたか、と軽く目配せすると、「南の宿屋。それ以上はいえねぇそうだ」
ぼったくりやがって、とビクトールは軽く呟いた。
南といわれても正直困る。南なんてものはずっと続いていて、一説によるとこの惑星は丸く、最終的には自分の後ろへと回ってきてしまうらしい。
そんな面白そうな事私はあまり信じてはいないが、いまとこれとは関係あるような、ないような。
おそらくグレッグミンスターではないだろう。拙い知識で決めた先は、レナンカンプ。地酒がうまいんだ、とビクトールは呟いていた。
「………随分商人が多い」
「帝都が近いからな、人が集まるんじゃねぇの」
大きな荷物を背中にしょった歩きやすい服装をした人間や、荷馬車の数が異様に多い。グレッグミンスターとは違った活気溢れる町並みに、どちらかというとこちらの方が過ごしやすそうだなという感想を持った。
気のせいか隣に歩くビクトールも、浮き足だったようにうきうきと歩を進めている。
こんなに人が多いのなら宿屋の数も一つや二つとはいかないだろう。
「あーもう、ビクトールさんがもうちょっと訊いといてくれたらよかったんですけどね」
「しょうがねぇだろ、それ以上は別料金だっつったからよ」
「ぶん殴ってでも吐かせてやればいいんですよ」
「物騒な事いうガキだねぇ」
「はは」
軽い笑い声を交わし、こつんと足先に何かがひっかかった。なんだろうと目線を落とすと、馬車の車輪か何かで掘られたのか、くずれたようにでっぱったレンガへと足をひっかけたらしい。危ないなと直しながら、店の表くらい綺麗に掃除すればいいのに、と看板へと目を通す。「けやき亭」
随分大きめな店は、そう書かれている。
ドアを開けると、カラランと軽いベルの音が聞こえる。「いらっしゃい」と少々しわがれたような声が聞こえ、ぺこりと頭を下げた。ビクトールがドアを固定し、その間をするりと私が通る。落ち着いたシックな内装にきょろりと視線を動かした後、店主へと向かった。
「すみません、一泊止まりたいんですけど」
「ああすまないね、部屋はもういっぱいなんだ」
「ええ、そうなんですか」
ビクトールは特に何をする事もなく、私の後ろへと手を組んで突っ立っていた。私は彼へと確認するようにちらりと振り返り、「なんとかならないんですか」と私のサイズと比べると、大きめな台に精一杯背伸びをして飛びつき、小さなメガネ越しに見詰める店主に懇願する事にした。店主はほんの少し考えるそぶりをすると、いいやとまた首をふる。
「だめだねぇ、すまんね坊主」
「ええ、他の宿もいっぱいだったんですよ」
「そうかもねぇ、この頃は物騒だから」
「そう、外で野宿って恐いじゃないですか。なんですか、帝国へと逆らって反乱してる、ええと」
ぴくり、と微かに店主の眉毛が動いたような気がした。
「解放軍、かい」
「ええ、解放軍。身ぐるみはがれちゃったら恐いでしょう」
ビンゴ。ぺろりと心の中で舌を出した。マクドールと呼ばれた少年を思い出しながら、おそらくこの場所でも呼称は変わらないだろう、と頷く。普通は真っ先に反乱軍というだろう。
間違っても、解放などと好意的ないい方はしない。
それでもすまないねと首を下げる店主を一瞥して、「実はこんなもの持ってるんですがね、駄目ですか」、私は手のひらでぐちゃぐちゃになったメモ用紙を、ことんと台の上へと置く。
今度はわかりやすく店主の表情が動く。
「
新入りかね」
「ええ」
「実は一つまだ余っている部屋があるんだが、そこでいいかい」
「どうぞ、なんでも」
指を差された部屋へと足を進ませると、ビクトールが一言呟いた。「地酒は出るかい?」
後で持って行きますよ、と軽い笑い声が聞こえる。
「いいのか」
案外広くベッドがいくつも並んでいる部屋を一歩一歩、歩いて確かめていると随分不穏気な口調でビクトールが口を開く。「なにがですか」
私は気にせずベッドの上へと少ない荷物を乗せた。軽いスプリングに荷物が上下する。せっかく使っていいといわれたのだ。存分に使わせてもらおう。
「このまま解放軍に入っちまっていいのか」
「やだなビクトールさん、入らなきゃどうしろってんですか」
そのためにビクトールを雇い旅をしてきたというのだ。おそらく私はあきれ顔で彼へと振り返ると、声と同じ旅をし続けていたというのに初めて見たような、片眉を上げ不機嫌とはどこか違う表情で、じとりとこちらを見詰めていた。
そのまま暫くどちらがはずす事なく見つめ合っていると、諦めたようにビクトールは盛大なため息を一つつき、数あるベッドのうちの一つにぎしりと腰を下ろす。
「俺はな、ガキがきばってんのは見たくねぇんだよ。お前、こないだ自分が解放軍を探してる理由がよくわからねぇっていってただろ。後戻りは出来るうちにしといた方がいい」
そういえばそんな話をしたような気もする。彼に倣い私もベッドの上へと座り腕を組んだ。その発言は二つほど間違いがある。
一つは理由が分からないのではない、ありすぎて絞り込む事ができないだけだ。私はテッドに会う必要があり、生と死を司る紋章を探さなければならない。その為には、脅威とも思えるウィンディの動向に注意しなければならないし、そもそも私には、未だに魂へと刻まれた、呪いがある。
全てを考慮した結果、解放軍が一番妥当だと考えたのだ。
そしてもう一つ、私はこどもではない。
と、考えたとき、まるで子どもの言い訳みたいな台詞だと笑ってしまいそうになった。随分我慢したつもりだったのだけれど、ククッと口元から溢れた声は随分静かなこの場所では、イヤミなくらいに反響する。
何を笑っているんだといいたげな視線が張り付いた。
「
ガキにもね、きばらなきゃいけないときはあるんです」
そうかい、ならいい。
部屋の中には不似合いな、大きな時計を見詰めながら、ビクトールはそう呟いた。
2008.08.31