こつ、こつ、こつ。静かな音が聞こえる。私は真っ白い、よく洗濯されているのか気持ちのよい香りがする布団へと顔を押しつけ、片方の耳はよく聞こえるようにとベッドへ。
ローブを着たままだから無駄にごわごわするがしょうがない。これがないとナイフを隠し持つ事ができない。
こつ、こつ、こつ。小さすぎる音は、ビクトールへと聞こえているだろうか。おそらく聞こえているだろう。
ぎぃ、とまるで古いドアを無理矢理開けたときような音が響く。けれどもどうにもおかしい。あのドアはとてもすべりがよく、音などひとかけらも聞こえなかったはずだ。ぎぃ、また聞こえる。最初は少しずつ、けれども後になるにつれて、まるで滑りがよくなったとでもいうように。
ガタガタガタ、と震えるような何かの音に、ドアを開けているのではないと今更ながらに気づいた。
ぴりりと体の神経が硬直する。いる、おそらく、この私がかぶっている布団の向こう側に何かがいる。
気づいた瞬間、私は布団をなげうって飛び上がった。スプリングに足下がぐらついたが、それと同時に私の顔があったはずの場所に、ぐさりと長い剣が押し込まれた。彼がその剣を引き抜く前に床へと飛び降り、ほんの少しの距離と左手と左足を前へと出し、ゆらりと揺れる、月明かりが彼の顔を照らす。
「
子ども!?」
焦ったように呟かれた言葉は、私の言葉ではない。青いマントのおそろいのバンダナをつけ、童顔なのかそうなのか映り込む顔と裏腹に低い声が響く。
その隙にか、同じく飛び起き、斜め後方から大きな大剣を振りかざす大男。「ビクトール、やめて!」
私の声に反応したのかぴくりと一瞬動きを止めた際に、青いバンダナの青年が右手へと携えていた剣を横へと滑らせた。聞くにも耐えないような不快な音が剣と剣が奏で、思わず耳を塞いでしまいたい気分になる。
ち、と軽い舌打ちに、彼は私と同じように、見かけからするととても意外だが華麗なバックステップで青年と距離を置く。
彼はおそらく解放軍の人間だろう。深夜の不意打ちなどあまり褒められた事ではないが、ここで争っても仕方がない。
暗さにも目が慣れてきたのか、部屋の隅へと仰々しく置かれた大きな時計の位置がずれているような気がする。いいや、よくよく見てみれば、もともとあった場所には暗いぽっかりとした空洞が空いているじゃないか。よくやるよ、と思わず胸中で拍手を送ってしまった。
青年はもう一度私を見ると、まるで苦々しいものを見たように片手で固定していた剣を微かに揺らした。「子どもなのか」ともう一度確認するような声に、「子どもですよ」と答えさせてもらう。
「お前達は一体なんだ。あの紙をどこで手に入れた。あれはジャルムのものだろう」
「ジャルム? 誰だそれは」
「お前達が奪ったんだろう!」
首を傾げたビクトールの疑問に激高したのか、彼はかっと目を見開きもう一度剣を構え直す。そうか、あの人はジャルムという名前なのかと、私は口を開いた。深夜にあまり大きな声を出されるのは得策じゃない。ローブの中のナイフへとそえていた手は外気へと晒した。
「奪ってないよ、貰ったんだ。名前は知らないけれど、彼がグレッグミンスターで憲兵に連れて行かれる最中に」
あれから両の手では足りないほどの日にちが経っている。おそらく彼は獄中にいるだろう。あまり良い待遇をされているとは思えない。寧ろ、と冷静に考えるような自分に少し嫌気がさした。
青年は苦虫をかみつぶしたような、見ようによっては今すぐ泣いてしまいそうな表情を一瞬だけ浮かべ、押し殺したように静かに息を吐く。
「そうかわかった。それでお前達はどうしたい。何が目的だ」
「やだなお兄さん、親切に届けただけだってば」
白々しい目に、ふっと笑ってしまう。青いバンダナが闇の中ではよく見える。
「仲間に入れて欲しいだけですよ、私とビクトールさん、二人分」
ピンッと人差し指と中指を立て彼をじっと見詰めた。やすいもんですよ、私が呟いた台詞は彼の耳へと届いているんだろうか。
カツン、カツン、と反響する音の中にわずかに水音が聞こえる。その上腐ったような匂いとじっとりとするような肌の感覚に、なるほど地下水道へと通じているのか、よくやるよとまた褒めたい気分だ。ここのリーダーさんは、中々に頭が回るらしい。
「………妙な事をしたら切り倒すからな」
「しないしない。ねー、ビクトールさん」
「しないしない」
彼はビクトールの首もとへと剣をくっつけながら、一歩一歩進む。滑りやすい階段を歩いている身としては、振り返るたびに、どうにも動き辛そうなので、「ビクトールさんと私代わりましょうか」と訊いてみても、彼はがんとして首を縦には振らなかった。私を抱え込んだ方が楽に違いないのに。
「この先になにがあるんですか、バンダナさん」
「………フリックだ、あー」
「あ、ですんで、フリックさん。こっちは熊さん」
「ビクトールだ」
「で、何があるんです」
質問に答えて貰っていない。青年、もといフリックは、私が先頭にと立っている所為で表情は見えないが、また苦虫をかみつぶしたような顔をしているのに違いない。しっかりとしていたら格好いいお兄さんだってのに、もったいないなと思う。
余計なお世話だと怒られてしまいそうなのでそんな事いわないけれど。
手に持つカンテラはあまりにも頼りなく、ぼんやりと足下を照らすだけだ。少々おっかなびっくりに足を下ろし、はーと半分無自覚なため息が出た。
「………答える必要はない」
「だから、」
堂々巡りだ。無駄な体力は使わないにこした事はない。
やっとこさ終わりが見えてきたのだろうかと一番下らしい階段に続き、真っ直ぐと伸びる通路に、まだあるのかと気落ちしそうになる。
通路を遮るように少々大きめな間があき、その中へと腐ったように濁る水が流れている。時々流されるネズミの死骸を見るとあまり清潔ではなさそうだな、と今更ながらの感想を持った。「その先だ」と後ろで呟く彼へと見えるように大きく頷き、カンテラを手に持ったまま、大きく一歩を踏み出す。
タンッ、と片足で地面を蹴り向こう岸へと渡る。無事に両足が着地したとき、気づく事のなかった一つの気配と微かに人影が照らされた。
「遅かったのね、フリック」
聞こえた声にふと顔をあげると、何処かで見た事のある顔がぼんやりと映る。少し色素の薄い髪に、どこか上品な声色。「あら」彼女は細い、けれども鍛え込まれている指を口元へと移動させ、くすりと笑った。「フリックが小さくなった、という訳じゃあなさそうね」
案外、世間というものは小さいものだなと改めて思い知らされた。
「初めまして、そして久しぶりね。解放軍リーダー、オデッサよ」
2008.09.01