「どうすりゃいいんだ……」 呟く彼の声に、思わず背後に立ちながら、声を掛けてしまった。「何がです?」「うわっ」
フリックは青いバンダナを揺らしながら、テーブルの上へと並べられた、いくつかの紙を、自分の体で覆い隠すように、体重を掛ける。その後私をぎっ、と睨みあげ、コメカミが微かに引きつっている事が分かった。
「聞くな!」
「え、や、すみません。でも他の部屋だと暗いし、薬を作ってる最中、手元が狂っちゃうかもしれないですし」
「じゃあ見るな!」
「それはすみません、思わず」
どこか子どもっぽい副リーダーに、少し笑ってしまいそうになったが、なんとか我慢した。そのままそそくさと、部屋の一番遠い場所へと移動し、改めて、ごりごりと鉢の中で棒を回す。砕けた粉が、少し宙を舞った。
フリックは不満げにため息を吐き、ふと思い出したかのように、言葉を紡ぐ。
「………あの、熊は」
「ビクトールなんですけどね。さぁ、お酒とか好きですし、そっちかも」
しれませんね、そう最後まで私が言葉を紡ぐ手前で、ガタンッ! とフリックはバランスを崩し、机の上へと再びつっぷした。何があったんだろう、と少し驚いて彼を見ると、顔を真っ赤にしながら、「さ、酒ぇ!?」
この副リーダーは、ちょこっと真面目だ。
確かに、解放軍なんていう、堅苦しいはずの軍団の中、暇なときには率先して酒を酌み交わす彼もどうかとは思うが、その気安さのお陰か、彼は案外手早く、解放軍の面々へと紛れ込んだ。私もその恩恵を授かって、はじめは「なんだこのチビ」といいたげな、彼らからの突き刺さるような目線が薄れた。
別に彼だって、遊んでいる訳ではない。酒場に紛れた方が、いいときだってあるのだ。酔ってるときこそ、ぽろりと妙な事を口走ってしまったりもする。
オデッサに頼まれれば、身軽なのでどこにでも駆け抜けられるし、行動も速い。敢えていうなら、風貌からの問題で、ちょっと怪しくみられちゃうかもしれないけれど、そこら辺は持ち前の愛嬌さでなんとかしているんだろう。すくなくとも、目の前の青い人よりも、格段に世渡り上手だ。
オデッサとたわいもない話をしていたとき、ぽろりと私は口を滑らせてしまった「なんでフリックさんが、副リーダーなんですか?」
そう言葉に出したとき、あ、やっべしまった! と本気で自分の口の軽さを後悔したけれど、「そうよねぇ」とカラカラ彼女は笑い、「いいのよ。私と彼で、丁度バランスがとれてるから」
ちょっとだけ、目から鱗が落ちてしまいそうになった。
けれども肝心のオデッサは、なにやらリーダーとしての用事があると外へと出てしまった。何の用事か気にならないでもないけれど、いちいち私みたいな下っ端が確認をとるのは邪魔に違いない。そんな事、知っているのは一握りでいい。
残されたフリックは、黙々と手のひら二つよりも少し大きな紙を見詰め、また新しい紙へと視線をとばす。ぶつぶつと「酒なんて飲んでいる場合か」とビクトールへの文句が聞こえてきた。
ちょっと彼への(フリックからすればもともとない)評価が、また下がってしまったか、と己の口の軽さを嘆いたが、事実なのだからしょうがない。たぶん。ビクトールごめん。
そうやって外を駆け回るビクトールに対し、私は延々とうちへとこもっていた。一人で何事をこなす腕もないし、そもそも私のような子どもがくんくんとそこらの様子を嗅ぎ回っているのは、少々きなくさい。子どもには子どものやるべきときがあるし、私はこの解放軍へ、薬屋として参加している。念のためとそっち方面での準備を怠らない事の方が得策だ。
(………なんだけれど)
うんうんと唸るフリックをチラリと視界の端で捕らえ、どうしたものか、と頭を抱えた。
暫く頭の中で、「こうこうこういう感じで切り出そう」と考えたけれど、やっぱりフリックには、単刀直入が一番な気がする。
「フリックさん」
「なんだ」
「薬の材料切れました。お金ください」
「だめだ」
早かった。
何でですか、と力一杯反論しようとしたところ、フリックは苦い顔のまま、じっと紙を握りしめている事で、はっとした。そうか、だから、オデッサもそれが理由で、基地を開けているのかもしれない。
「
もしかして、貧乏、だったりしますか」
「………うるさい」
くしゃりと、フリックの手に持つ書類に、皺が増えた。図星だった。
(お、お金、かぁ)
それはちょっと、ゆゆしき問題だ。今は横の関係を増やしていくべきときであって、金の問題じゃあないといわれそうだが、やっぱり持ってる人間の方が、つきやすいし信用できる。私なら、共倒れしそうな人間には手を貸したいとは思わない。
「てっきり、誰かの後ろ盾があるかと思ってました」
思わず呟いた本音に、フリックが、またまた苦々しげに、表情を歪めた。またまた、自分の口の軽さが恨めしい。
じゃあ、今まで一体この軍団はどうやってきたんだろうか。苦しい財布の紐をときながら、細々と周りの人間で固めてきたのだろうか。
食うにも困るこのご時世に、よくやるもんだ、とふと口から息を吐き出すと、フリックが静かな声で、「今までは、オデッサがなんとかやりくりをしていたんだ」と呟いた。
カンテラが彼をぼんやりと照らし、ゆらりと影が揺れる。ああなるほど、
「オデッサさんって、やっぱり貴族だったんですね」
今度こそ、フリックがイスから転げ落ちた。がんがんがんっ
あんまりにも大きく響いた音に、外側のドアから「何があったんですか!」と男の声が聞こえたが、慌てたようにフリックは首を振る。彼に見えてもいないのに。代わりに私が「なんでもないですー」と大声を上げた。狭い空間にはよく響く。
彼は倒れたままの姿勢で、地面へとお腹をくっつけながら、パクパク口を動かし、私をふるふると指さした。いつもはきつく結ばれた唇と眉毛がへにょんとしていて、バンダナがずり下がり、視界が防がれた。彼は慌ててそれを上げる。
「どっどっどっどこで、それを!」
「あ、や、なんとなく。オデッサさんってどこか上品ですし」
「ああそうだろう……じゃ、なくてだな、ああうん、貴族ってのは」
「軍資金は、オデッサさんから出たのかなって、なんとなく」
おそらくどこかの貴族なのだろう、ということは、大体予想はついていた。歩き方一つにしても私とは違うし、今まで見てきた彼らと、少し共通するものがある。何故貴族である彼女が、反乱の中心にいるのかと少々疑問に思うが、人間ひょんな事でコロコロと運命なんてしゃれた名前のつくレールに放り出されてしまうものだ。彼女には微かな星がついている。
ああ、と顔へと手のひらをあて、力なさ気に垂れるフリックを見ながら、これっていっちゃいけない事だったんだろうか、と彼へと向けた手のひらを、ふらりと揺らせた。
言葉を選ぼうとパクパクしている間に、落ち着いたのか、静かな声で彼は私へと語りかける。
「………別に、隠している事じゃない」
「あ、はい」
「けれども、ほいほいと話す事でもない」
ゆるりと瞳を開け、最低限の言葉を口に出しながら、また黙々と机へと座る彼を見て、「なんでフリックさんが、副リーダーなんですか?」と訊いた気分が、少し恥ずかしくなった。
彼は少なくとも私よりも大人な体をしており、成熟した男性だ。少し短絡的な思考はあるが、だからこそ、信用できる。
(案外、バランスがいいもんなんだな)
ただ、彼女は天魁星ではない。
2008.09.17