*自傷シーン有
泥だらけの男の話をまとめるのならば、彼は東の街、ロックランド近くの山賊らしい。いや、本人曰く、義賊らしい。不条理にも捕まってしまった自身の主を、助けてほしいと解放軍に転がり込んだのだが、何の偶然か、その盗賊の頭を領主へと差し出したのは、マクドール一味であったらしい。(偶然、ねぇ……)
人によっては、それは必然とも言うのだろう。とにかく、マクドール達は解放軍の一員として、彼らを助けに行くことになってしまった訳だ。このところ、帝国兵の監視も厳しくなってきている。オデッサは身動きをとることができないが、それならばと元々身の軽いビクトールが同行を志願した。よっぽど彼らのことが気に入ったのだろう。
わたしも、と彼らの背に声をかけようとした。せっかくの天魁星が消える、また星が遠くなってしまう。「?」 マクドールの瞳に、僅かに考えこんで、首を振った。「お気をつけて」 大丈夫だ。フリック、ハンフリー、ビクトール。彼らの星々は出会った。結ばれた縁は、いつしかどこかで引き寄せられる。それが必ずしも味方だという保証はないが、私は部屋の端でころりと倒れ、いびきをかく山賊の男をちらりと見た。自分で出した薬なのだ。彼については、最後まで私が面倒を見てやらないといけない。
マクドールは口元を軽く上げた。「見てくるよ。もう一度、この目で見てくる」 それが、何か、ということは分からない。ただ彼自身に、思うべきところがあるのだろう。彼はグレミオの背を叩いた。クレオはさすがに女性だから遠慮したのだろうか。消えていく背中を見つめながら、ふと自身が長く息を止めていたことに気づいた。ソウルイーターの気配に、圧迫されていた。
(行かなくてよかった)
おそらく、今の自分は冷静でない。何度も息を吐き出して、肺の中に空気を入れた。落ち着いた、と思う。けれどもすぐまた、胸はざわつき出すだろう。
そもそも、マクドールがテッドから紋章をもらったとも限らないのだ。私が死んでいる間に、また別の継承者を、あの死の紋章は探した可能性もある。頭の中が、ひどく鈍い。
長くため息をついた。今度は、肺の中がからっぽになるくらいに。
(…………情けないな)
***
暗闇に覆われていた。
目の前が暗い。何も見えない。違う、俺は目を閉じているのか。ゆるゆると瞳を開ける。とたんに瞼の奥が焼け付くように痛み、頬をひきつらせた。「……う」 どれだけ長い間、この場に居たのか。もう一度強く目を閉じる。そして、ゆっくりと開く。強烈と感じた光は、ただのランプの灯りだ。水臭い地下牢の中に、だらりと両足をほうり投げ、俺は浅く息を繰り返していた。(…………) 逃げ切れたか。逃げることができたか。あいつは、自分のただ一人の親友だ。だというのに、俺は罪を犯した。彼に呪いを押し付けた。(右手が、軽い) ひどく軽い。違和感を覚えるほどに。
のろのろと目を向けると、手袋がなくなっていた。けれども、ただそれだけの軽さではなかった。両腕は手袋をはがされ、固い鉄の輪と鎖で、二本の腕をつながれている。(ない) 俺が渡したから。
渡してしまったから。
「…………はー…………」
おじいちゃん、ごめん。
息を吐いた。そしてゆっくりと息を飲み込む。じめじめとしていて、糞不味い味だった。今の俺の心境と、まったく同じだった。馬鹿が、と体を丸め込もうにも、思うように動かない。ひどく体が鈍かった。(俺は……) 何で、こんなところに。
考えないでもわかった。
自分は彼の囮となって逃げたのだ。そして惨めったらしく捕まった。体中の傷は、適当に処置されている。(何で殺さない) 俺はもう、用済みのはずだ。こんなところに詰め込んでおいて、何をしたいって言うんだ。それとも、殺すことすらも面倒だと言うのか。このまま餌を与えられることなく、餓死でもさせたいのか。それなら構わなかった。死ぬことは怖くはない。ただそれよりも、自身が生きていることで、彼に、に何かの不利が働くことが怖かった。
もう記憶にない人の名を呼ぶ。おじいちゃん、おかあさん、おとうさん。俺が殺したたくさんのひと。アルド、そして、(ちょっとっていうか、かなり、遅れたけどさ) そろそろ、俺の順番が回ってきたみたいだった。(お前のとこにいくよ)
ゆるゆると、口を開けた。そして、勢い良く、舌を噛み千切った。
ぶちり、と嫌な音が響く。「あ、ぐ……」 口元から垂れた血を、やっとのことで体を折り曲げ、煤けた手のひらで受け止めた。ジャラジャラと鉄がこすれる音が響く。「馬鹿だねぇ」 くすくすと、まるですぐそばの耳元から聞こえたように、嘲笑の声が響いた。「あんた、本当に馬鹿だねぇ、テッド」
ウィンディ、と彼女の名を呟いた。ただ、上手く言葉が出なかった。「そんなさ、猿轡もせずに、あんたのことを放っておく訳がないだろう。あんたのことは、あんた以上によく知ってるよ。どれだけ長い間、あんたのことを考えてきたと思ってるんだい。まあ正確に言えば、あんたのその、右手にくっついていたもののことなんだけどね。逃した獲物ほど、悔しいことはないだろう」
まるでこの場に似合わないきらびやかな格好をして、鉄格子の向こう側で、彼女は低く笑った。舌がしびれた。口の中が、鉄臭く、俺はたまらずそれを床へと吐き捨てた。赤黒い血がこびりつく。浅かった。ちぎれるほどに噛み付かなくてはいけない。もう一度、と歯と唇を震わせながら口元を開いた。「無駄だよ」
「あんたには、もうくっつけてある。死なれちゃ困るからね。死にたくても、死ねはしないだろうよ。さすがにアンタには手こずってるみたいだけど、そのうち体の自由もきかなくなる。私の思うままに動くようになる。さ、食事を持ってきてやったよ。このウィンディ様自らが持ってきてやったんだ。ちっとは感謝したらどうだい?」
ウィンディは食事を入れる用の小さな格子の鍵をはずし、冷めたスープをめんどくさ気に押しこんだ。「…………」 俺は壁際に寄り、ただウィンディを睨んだ。「なるほど、舌が駄目なら餓死しようって魂胆かい? 無駄だよ。どうせ無理なんだ、下手な抵抗はしないで、さっさと腹に詰め込みな。その口も治してやろうじゃないか。ちょっとしたサービスさ」
彼女は片手を上げた。けれども俺は身動ぎもせず睨んだ。牢の前に置かれたランプの光がゆらりと揺れる。「…………馬鹿だね」 ウィンディは軽くため息をついた。「馬鹿には付き合ってられないよ」 そう言って、あいつはカツカツと足音を響かせながら去っていく。俺は暫く耳を済ましていた。
恐らく、ウィンディはに勘づいている
じゃなければ、何故ソウルイーターを渡した相手について、俺に聞きもしないのか。わかっているからこそ、あの面倒くさがりの女は口に出さなかったのだ。「…………くそッ」 舌がビリビリとしびれた。左手には水の紋章がくっついたままだ。舐められている。ウィンディは、俺に“くっつけてある”と言った。それがなんなのか分からない。けれども、確かに体の奥でうずく、黒い芽を感じた。ギリギリと少しずつ体が締め付けられていく。
眉を顰め、左手の紋章に意識をそそいだ。どうせこれも、たいした力も出せないように封じられているだろうけれど、ほんの少し、楽になった。やっとこさ息をついて、硬くなった体を和らげた。そして、ふとなんの気なく、右手を見つめた。今では何にもないはずの右手だ。「…………!」 ある。何かが、ある。
瞬いた瞬間、模様は肌に吸い込まれるように消えた。(ウィンディが言っていた、くっつけたもの……) ちがう。もっと懐かしく、柔らかく、暖かく。(嘘だろ) なんで、ソウルイーターとくっついて行ってくれなかったんだ。これじゃあ死ねない。死ねないじゃないか。彼女の紋章がここにある。彼女がウィンディに渡すまいと、命を賭した紋章が、今ここにある。(嘘だろ……!!)
バレてはいけない。
決して、ウィンディにこの紋章の存在を、バレてしまってはいけない。この紋章を、俺は守りぬかなければいけない。
俺は辺りを見回した。誰もいないことくらい、過敏になった神経は教えてくれていた。けれども、確認せずにはいれなかった。のそのそと、四本の足を使うようにしてスープに近づき、鼻を寄せる。毒はない。俺が分かる範囲では、という条件になるが、恐らく外れてはいないだろう。それに大抵の毒なら、死なない自信がある。
チッ、と軽く舌打ちしそうになり、舌が傷んだのでやめた。そして獣のように皿を直接すすった。うまく手足の自由が聞かないのだから仕方がない。味の方は、よくわからなかった。まったく気がきかない女だ。わざわざスープを持ってくるか。それともただの嫌がらせか。
(次はせめて固形物にしろって文句を言うか)
そもそも、あいつは次に、いつやって来るのか。
牢には窓はない。時間を測るものは、自分の中の腹時計くらいだ。奴が来るまでに、まだ暫くの時間があるだろう。それまでに考えなければいけない。俺がどうするべきか。死んで逃げる訳にはいかなくなった。
めんどくさいことになった、とため息をついた。けれども、勝手に口元は笑っていた。(そうか) 右手の甲を、じっと見つめる。ふと、やんわりと模様が浮き上がった。(お前、そこにいるのか)
ずっと、そこにいたのか。
***
「ねえ、?」
「はい?」
オデッサに声をかけられ、私は彼女を振り返った。手元には薬湯を持っている。山賊の男が目を覚ませば、飲ませてやるつもりだ。マクドールがロックランドに向かってから、数日が経っている。さすがに体力が有り余っているらしく、回復も早かった。この調子なら、数日中に元に戻るだろう。水の紋章がないことが悔しいが、下手に紋章に頼るよりも、自分の体力で回復させた方が、体にはいい。
近くには、オデッサしかいない。フリック達は火炎槍の設計図の受け渡しのため、アジトから抜け出している。
「のこと、気に入った?」
ふいに、彼女は優しく微笑んだ。「はい?」 何を言いたいのかよく分からない。思わずマヌケな声を出してしまった。オデッサはますます面白そうな顔をして、私を見つめている。「だって、彼の背中を見送るとき、まるで恋しがってる女の子みたいな目をしていたわ」「こい」 言葉を繰り返して、やっと彼女が言いたいことを理解した。
「違いますよ、やめてください」
「そう? あなたも好きな男の子の一人や二人、いたっておかしくない年だと思うけど」
「そりゃあ、余裕があってこそで、まだまだ私には早いですよ」
あくまで、外見上だけど。
オデッサは、どうにも納得できないように、「でも、女の子って年上の男の子に憧れるものじゃない? は中々の美少年だったし」 そういえば、オデッサとフリックでは、彼の方が一つ上だった。私は薬湯を握りしめたまま、あまり興味がないそぶりをした。オデッサは残念そうに唇をすぼめて、「それじゃあ、もう一つ教えて?」「なんでしょう」 少なくとも、恋の話よりも楽なはずだ。あまりそういうものは得意ではない。なんとなく、自身の年を考えると、気恥ずかしくなるからだ。
「もう半分ってなに?」
「……オデッサさん」
もうちょっと、わかりやすく、と訴えた。「言ってたじゃない。解放軍に参加した理由の半分は、この国の行く末を案じて。もう半分は?」「秘密って、言いませんでしたっけ」 そう言えば、そんなことも言ったな、とすでに遠い記憶となっているそれを思い出した。「ほんのちょっとだけ」
妙に、彼女はくいついた。何故だか不思議に思った。けれども、不思議と嫌には感じなかった。いつもなら、こんなことは言わない。絶対に言わない。けれども、今言わなければならないような気がした。少しだけ考えて、薬湯を床に置く。そして彼女の耳へ手を覆った形をして、「ぜったいに、秘密ですよ」 ええ、と彼女は頷いた。
「私は、守り人なんです」
もりびと?
オデッサの口元が、僅かに動いた。私はさっと彼女から離れて、頷いた。「それは?」「秘密です」 それ以上は、彼女も無理だと思ったのだろう。「そうねぇ」と言いながら頬に手を当てて、訳が分からない、という顔をする。私はそんな顔を見て、僅かに笑った。困らせて笑うだなんて、まるで子どもの仕業だ。オデッサは暫く唸っていたが、ふいに、私の瞳を見つめた。「それは、好きな男の子に関係すること?」「……だから、違いますって」
なんで、どうしてそっちに持って行きたがるのだろう。居心地の悪さを感じて、目の前で寝転がる山賊が、さっさと目を覚ましてくれないかなと思った。ぐうすか気持ちよく寝息を立てる彼は、頭をひっぱたきでもしない限り、目を覚ましそうにはなかった。「恋はね、した方がいいわ。女はそれで強くなるもの」「よく言う台詞ですね」「ええ、そうよ。でも、実際に実例がここにいるわ」
まさか堂々と、彼女から惚気話を聞くことになるとは思わなかった。こういうとき、逆らうよりも、粛々と頷いた方が、嵐がやってくる可能性が低いことくらい、理解していた。けれども、口元は勝手にはやし立てるように笑っていた。「フリックさんと、随分仲がいいみたいで。知ってますけど」「違うわ。もちろん、彼のことも好きよ。でも私、別に恋人がいたの」
それは初耳だった。思わず顔を上げると、「女同士の秘密よ?」と口元に指を当てて、さっきの私みたいに微笑んだ。私はうんうんと頷いた。ほんの少し、興味がないと言えば嘘になる。「もちろん、このことはフリックも知ってるわ」「えっ」「もう死んでしまった人だから」 彼女はさみしげに瞳を揺らした。
「貴族の、とても気のいい人だったわ。だから罪を被せられて、死んでしまったの。もちろん、私は戦ったわ。でも、駄目ね、私の力は、とてもちっぽけだったもの」
「そ、そんなことは……」
ない、と思う。
彼女と私は、それほど長い付き合いではない。けれども、彼女に希望を見いだし、真っ直ぐについていっている。けれども、彼女は、(天魁星ではない)
もちろん、星がすべては語らない。語るものは人であり、そこに星がおまけのようにくっついているだけなのだ。けれども彼女は知っている。自身の先を、うっすらと気づいている。(余計な、お世話だったな……)
床の上には、すっかりと冷めてしまった椀があった。手の中に包み、肩をすくめた。私が彼女と出会ったとき、僅かの後悔もないように、と助言をしたつもりだった。けれども彼女は、とっくの昔に知っていたの。もしかすれば、彼女の目にも、星を見る力があるのかもしれない。だからこそ、マクドールの瞳をどこか期待するように、じっくりと観察して、見つめていたのだ。いや、そんなことを言っては彼女に失礼かもしれなかった。オデッサは、自身の直感を従い、あの歳若い少年を、随分とかっているように思えた。
「、あなた、好きな人はいる?」
「います」
するりと口から答えが出ていた。オデッサは、ほんの少しだけ意外そうに瞬いた。そして自信満々な顔をした。「年上ね?」「残念ながら、ずっと年下です」 さすがに、この返事には、オデッサもどう言えばいいのかわからなくなってしまったのだろう。「……ずっと年下? あなたよりも?」「そう、ずっと。でも多分、もうこの世にはいないと思うけど」
言う必要のないことまで言ってしまった。
彼女は、もう一歩、私の隣へと近づいた。「同じね」 膝を抱え込み、私の顔を横から覗く。「ちょっと前の、私と。同じね」
少しだけ、胸が苦しくなった。「そうね、もし、いつか、あなたが言ったように、私の小さな炎が消えてしまったとしても、後悔なんてしないわ。あのとき死んでしまった方がずっとよかった。そう思っていたこともあった。でも、今はそんなこと、思わないもの。あの人のおかげね。もちろん、や、ハンフリーや、サンチェスや、ビクトールも。、もし私に何かあったとしたら、あの人を支えてあげて。あの人は、みんなが考えているより、ずっと脆いの。そして、優しいの。でも、とても強いの。お願いね、。お願い、お願いね」
ぽとぽとと、オデッサの言葉が溢れる。ゆっくりと染み渡った。私は気づくと、彼女の肩にもたれかかって、ぼんやりと眠り込んでいた。いい匂いがした。お願い、お願い。一生の、お願い。夢を見るかもしれない。懐かしい、夢を見るかもしれない。そう思ったけれど、そのとき私が見た夢は、暖かい湯気をほわほわ漂わせる紅茶のカップを持ったオデッサが、ドレスを着て、くるくると回っていた。似合ってるな、と思った。そうだ、彼女は元は、貴族の娘なのだ。
目を開けると、オデッサは消えていた。戻ってきたと共に、火炎槍の設計図を片手に持って、サラディへと旅立ってしまったらしい。「何で起こしてくれなかったんですか!」と自分の失態をぶつけるように、フリックに噛み付いた。フリックは困ったように私の肩に手を置いて、「オデッサがな、が、このところ随分疲れているようだから、眠らせといてやってくれと言ったんだ」「だ、だからって、そんな……」
いつもなら、こんなこと、絶対にない。眠りは人よりも浅い方だった。この頃旅をしていないから、気が緩んでいたのかもしれない。「フリックの、ばか!!」 子どもみたいに怒った。何をそんなに怒ってるんだ、とフリックはバタバタ片手を振っていて、ついでにさん付けをし忘れたことに気づいたので、「フリックさんのばか!」 もう一回叫んでおいた。
さすがに見かねたのか、ハンフリーが私とフリックの間に無言で割り込んだ。ごつごつした腕にひっぱられ、私はバタバタ暴れた。こんなの変だ、絶対おかしい。
昔の私なら、こんなに取り乱したりはしなかった。オデッサが出て行ったから、なんだって言うんだ。自分はただの守り人で、だからと言って、彼らを守る訳でも何でもない。ただその側にいることのみが役割なのだ。寧ろ、関わりすぎるべきではないとわかっているじゃないか。
何もかも上手くいかない。むしゃくしゃした。
お願いね、と囁くオデッサの声が聞こえた気がする。私はハンフリーに抱かれながらフリックを見つめた。そして思いっきり、あっかんべー! と舌を出した。
フリックは口元をひくつかせていたが、すっきりした反面、大人としての矜持をどこかに転がしてしまったようで、私は恥ずかしさともどかしさを合わせながら、部屋の端に移動した。そして体育座りをしながら、もう一回、ばたばたと両足を動かした。サンチェスが、困ったようにこっちを見ている。
(
子どもだ)
子どもだ。
私は今、途方もなく子どもで、大人たちは相手にしてくれないんだ。
何で私はこんな、子どもの姿なんだろう。
ひどく、悔しかった。
2011.12.07