悲鳴があがる。
打ちこめられる弓矢を部屋の端でかわしながら、燃え上がる炎に舌打ちをした。地下であるここには、水などいくらでもある。けれどもこの水で、この炎は消せない。紋章の炎は、紋章でしか消すことができない。水の紋章があればなんとかなるものの、残念ながらこの場にそれはない。
帝国軍からの奇襲である
おそらく、そろそろだろうとフリックとハンフリー、サンチェス達は苦い顔をし、作戦室につめあわせていた。今までのパターンを検討すると、今から数カ月以内にはこの隠れ家を去らなければならない。オデッサが帰ってくるときまでに、荷物をまとめ、各地の仲間に伝令をうたなければ。そう話していた矢先であった。
(タイミングがよすぎる)
ふと、頭の中で疑惑がよぎったが、オデッサ達がいないことはラッキーだった、とほんの少しの希望を呟いた。
(だったら、私もさっさと逃げなきゃならないな……!) 炙られる炎の熱の中で、とにかく貴重な薬草を風呂敷にまとめ、フリック達、一部の上層部が隠し持っていたらしいへそくりを石畳をひっぺがして持ち出し、袋の中にいれた。人間、こっそり隠しているつもりでも、大切なものほどふとしたときに視線を向けてしまうものである。私がこのへそくりを知っていたとは、後でとやかく言われるかもしれないが、それよりもこの金達の確保が重要だ。
ちり、と服の裾が燃えた。
げほ、と咳をつき、体を屈ませ、なるべく部屋の端に移動し、口元に布を当てる。煙に目がしみた。(……とにかく、脱出しないと)
通路には兵士が引き詰められている。念のための脱出経路はあるにはあるが、どこが安全かもわからない。ふと、あの子どもばかりが入り込めるレンガの道を思い出した。未だに道は塞いでいない。あそこに行こうか、と体を動かすが、瞬間、目の前を通り過ぎた帝国兵の姿に、体をぎくりとさせひっこめる。
(このまま、蒸し焼きになるのは勘弁だな)
それは随分嫌な死に方だ。さて、と体を硬くし、大きな巾着袋を懐に抱きしめた。ガキンッ!
剣舞の音が聞こえる。私はそっと顔を覗かせた。するといきなり、にゅっと目の前に腕が伸びた。私は思わず子猫のように体を固めてカチンコチンになった。つかまれた首根っこがぶらぶらする。まずい、と体を震わせるように懐のナイフを突きつけようとしたとき、「、お前、こんなところで何してるんだ」
案外緊張感もなくつぶやかれた言葉に、私はぽかんと顔を上げた。青いバンダナと、茶黒の髪の男性がこっちを見下ろしている。「フリック」 さん付けをし忘れた。この頃、こればっかりである。
けれどもフリックは、特に気にした様子もなく、ひょいとそのまま私を背におぶった。「あ、あの、フリックさん?」「このあたりには、誰もいないな」「あ、はい!」 とにかく、返事は明確に。私は力強く頷いた。
「わかった。、振り落とされるなよ!」
「……はい!」
できることなら、彼の背中から降りて、自分の足で駆け出したい。たとえ彼にとっては小さなサイズでも、子ども一人を背負い、争いを駆け抜けるなど、生半可なことではない。けれども、おそらく今の私が彼の背から降りたところで何もできやしない。おとなしく彼の背中で小さくしていた方が、よっぽど役に立つというものである。
なるべく顔を低くし、繰り返される剣撃の音に、ぎくりと体を震わせた。見てはいけない。そうすれば、またフリックの邪魔になる。周囲で湧き上がる悲鳴に眉を顰めた。その中には、聞き覚えのあるものも多く混じっていた。
フリックが、再び腰の鞘に剣を戻す音が聞こえる。「」「は、はい!」 ひょいっと私は馬の背の上に持ち上げられ、きょときょとと瞬いた。気づけば、市壁を飛び出、こっそりと外に繋いであった駿馬の元まで来てしまっていたらしい。こちらの心情を知ってか知らずが、可愛らしい黒の瞳を、馬はきょとりと私に向ける。
フリックは、迷うこと無く私と共に馬の背にまたがった。そして手綱をぱしんと引き、馬の腹を足で力強く叩く。馬はまかされとばかりに一声あげ、大地を蹴り飛ばした。「う、うわっ」
自身の小さな体が転がり落ちてしまいそうで、私は慌ててフリックの腕に抱きついた。おなじく私の背から、フリックは私の腹を片手で押さえた。馬が駆ける。命知らずの帝国軍人が、馬の足を斬りつけるように剣を振り回した。馬はその勢いのままに軍人を叩き潰し、またかけ出す。ふと、フリックの腕の中から顔を上げ、私はアッと息を飲んだ。弓使いが、こちらに狙いを定めている!
私は即座にフリックの右手を力いっぱいに掴んだ。「フリック、失礼!」 おそらく、彼はぎょっとしただろう。「力の限り、歯を食いしばって! 馬の手綱を緩めぬよう!」 とにかく彼が、私の言葉のとおりに行動したことを一瞬のうちに確認する。「雷の紋章よ、貫け
!」
平地に、いくつもの雷鳴が轟く。力を吸い取られたかのように、一瞬くたりと体をゆるめたフリックの腕を、力いっぱいに殴り飛ばした。彼はハッとしたように、手のひらからこぼれ落ちようとしていた手綱を手のひらの中に握りしめ、「、お前……」「ただのちょっとした特技です! 説明は、とにかく後で!」
確かにと納得するよう彼は再び息を短く吐き出し、馬の腹を力の限り蹴り飛ばした。馬は彼に答えるように、いななきとともに平地を駆け抜ける。私は歯を食いしばり、ふと、街を振り返った。なんてことはない。一番初め、ビクトールと共にこの街に足を踏み入れたあのときと、街は何も変わらない。
ふと、奇妙な既視感に襲われた。
おそらく、私は何度も、この感覚を得たはずだ。慣れ親しんだ街を、何の覚悟もなく飛び出す。
いや、覚悟ならある
覚悟なら、常に持っていたはずだ。
所詮、私達には定住の地などありはしない。いつでも、どこでも。
こうして、私とフリックはレナンカンプの街を飛び出した。
フリックは何も話さなかった。私も同じく、僅かに瞳を細めただけであった。
***
何故この奇妙な特技を話さなかったのか。
とにかく一旦落ち着き、焚き火を囲みながら渋い顔をしているフリックに、私はむぐりと口の中で、捕らえた兎の肉を頬張り、言い訳を考えた。彼の背中の向こう側では、モグモグと馬が草を咀嚼している。「……何のことですかね」「説明はとにかく後で。そう言ったのはお前だろ」
他人の紋章を勝手に使う人間だなんて、俺は初めて見たぞ、とフリックは眉をひそめ、少々気分が悪そうに手袋をはずし、自身の紋章をしげしげと眺めている。「そんなこと、言いましたね」と私は苦笑して、炎の中に食べた骨をぽいと投げ捨てた。「だから、ちょっとした特技です」
それ以外に説明がしづらい。
長く生き続けたものだから、人の中に、星を見ることができるようになった。それと同じく、魔力の流れをちょいと調節してやることができるようにもなった。それだけだ。真の紋章であったとしても、いくらか従わせることができるということは、ソウルイーターで証明はされたものの、あれは彼の欲求をちょんと刺激してやっただけだし、私も同じく、紋章をつけていた。おそらく、今同じ事をしろと言われれば、少々難しい結果になるかもしれない。
フリックは、「違う」と低い声を出し、軽く首を振る。「特技っていうんならそうなんだろう。問題は、何故俺達に話さなかったということだ。お前のそれは、言っちゃなんだが、随分戦力になる」「ならないと思います」 反論しようとしたフリックに、ピシャリと言葉を叩きつけるように彼を見つめる。
「さっきの技は、フリックさんだからできたんです。外から無理やり魔力を引っ張り出す訳ですから、生半端な魔力と体力の持ち主なら、一回きりでへろへろになってしまうし、だいたいあんな状況でもなければ、自分自身で紋章を使えばいいだけの話じゃないですか」
確かに、と言うように、焚き火の灯りに顔を照らされながら、彼は端正な顔を歪めた。
何か誤魔化されたような、そんな気分なんだろう。彼のもやもやは、ちょっとだけ分かるかもしれない。「そうですね、ごめんなさい。わざと言わなかったこともあります」 ふと、彼が顔を上げた。言おうか言うまいか、少々考え、いちいち彼の心情を読み取ろうとすることに疲れてしまったと、私は正直に答えることにした。
「私はフリックさんより、ずっと年下です。そんなちんちくりんにこんな特技があるだなんて、なんだかちょっと、気分がよくないじゃないですか」
何のことだ、というふうに、フリックは暫く考えた。そしてまた不愉快気に眉を顰めた。「つまり俺が、自分より下だと思っていた人間が、上だとわかったとき、ひどく腹を立てるような狭量な人間だと思われてたってわけか」「違います」 私は慌てて首を振った。「そういう人が、多いんじゃないかなって、そう思っただけです。私はときどき、どうにも態度が大きくなりがちなんです。ですから、そういうところをどうにかした方がいいなと常々考えているだけなんです」「言い訳だな」
ぴしゃりとフリックは言葉を吐いた。「言い訳だ。お前のそれは長所だ。それは認めるべきだ。そもそも、俺はそんな狭量の人間じゃない。いや、そうならないようにと思っている。少なくとも、お前のその特技は歓迎すべきものだ。が他人に言いたくないってんなら、言わないさ。言いたくないことを無理に言わなくてもいい。ただ、そういう理由で口を閉ざすのはやめろ。俺とお前は仲間だ」
いいか、俺達は仲間なんだ。
もう一度繰り返された言葉に、思わず拳を握りしめた。何か、泣き出しそうな気分になった。
長く長く、逃げてきた。恋しい男を無くした。紋章までもが消えてしまった。
ぽっかりと開いた心の中に、彼の言葉はひどく染みこんだ。ごくりと唾を飲み込み、ついでに泣き出しそうになった気持ちも飲み込んで彼を見上げると、フリックはふと夜空を見上げていた。「オデッサがいなくて、ラッキーだったな」 彼の言いたいことは、すぐさまわかった。私は気づくと微笑ましく、苦笑していた。「ええ、ラッキーでした」
たとえアジトが消えてしまおうとも、彼女がいればそれでいい。リーダーさえいれば、どれだけ潰されようとも、また彼らは動きはじめる。オデッサがあの場にいなくて、本当によかった。私もそう思う。けれどもどうにも胸が騒いだ。彼女は天魁星ではない。そのことだけが、妙に心に引っかかる。
私は長く星を見つめすぎたものだから、それらばかりを中心にして考えるようになってしまったのかもしれない。天魁星が軍主ではない争いなど、そこらに転がり、何度もあったことではないか。
ふと、難しい顔をしていたのかもしれない。パチパチと焚き火が炙られる音の向こう側で、フリックが不思議気な顔をしていた。私はふと苦笑して、「どうしますか、火の番は」「子どもにさせる訳がないだろ」「なるほど。それじゃあなるべく早く起きることにします」
おやすみなさい、と私はごろんと丸くなった。もぐもぐ、と馬が草を咀嚼する音が聞こえる。「ああ、おやすみ、」 私は少しだけ考えて、「おやすみなさい、フリック」ともう一度言葉を漏らした。
私とフリックは、各地に散らばった軍勢を集めるために奔走した。フリック達のへそくり、隠し財産であったらしい金と宝石を彼に投げつけても、フリックは呆れる顔をするばかりで、特に何を問い詰める訳でもなかった。それが少しだけ嬉しい気持ちになった。
アジトでのリーダー不在の敵襲は、やはり解放軍内でのスパイの存在を強く認識させた。オデッサ不在に、ラッキーだったとフリックは漏らしたものの、彼女がいないことで軍の内部は混乱し、襲撃に適していたことも事実である。
それから数ヶ月の歳月が流れ、湖上の城に解放軍の軍主が旗を掲げたと噂に聞いた。そのときのフリックの喜びようは、言葉には表せない。私は腹がよじれるほど笑ってしまったのだが、そんな私に気にすることなく、フリックは喜びに明け暮れた。
私達は潜伏のち、同じく各地に潜伏しているであろう仲間へ伝令を飛ばした。暗号は形と方法を変え、より複雑なものに変化させた。あの湖城、トラン城に私達の存在を知らせることはなかった。私たちは、赤月、トラン軍、そしてその第三の勢力になろうとしたのである。
スパイがどこに隠れているかはわからない。とにかく、ぎりぎりまで水面下に仲間を集め、武器を収集する。時期を確認し、たとえスパイが帝国に伝えようとも、対処が間に合うことのないスピードで私達は集結する。
オデッサへの恋心を飲み込むように、フリックはがむしゃらに仲間を集めた。私はまた少しだけ背が伸び、服の布を厚くさせて、相変わらず男のように振舞った。適当に、一人称を変えるのも手かもしれないな、と思って一時期口調を変えてみたのだけれど、フリックが奇妙な顔をしていたのでやめておいた。そこまで切実な訳でもない。
トラン軍が、五将軍であるクワンダ・ロスマンをやぶり、彼を仲間とさせた。
その話を耳にし、私とフリックは頷いた。好機であった。即座に私達は行動を開始し、トランの城へ乗り込んだ。そしてフリックは、彼の兄である軍師、マッシュ・シルバーバーグに、オデッサの死を告げられたのである。
2012.02.21