オデッサは死んだ。
頬のこけたあの男は、彼女の兄と名乗り、だというのに、どうどうと胸をはりながらフリックにそう告げた。
フリックは瞳を見開き、じわじわと顔を赤くした。どういうことだ、とぱくりと口を動かし、サンチェスや、ハンフリー達を睨みつける。彼らも初めて聞く事実であったようで、サンチェスは奇妙なほどに狼狽し、カタカタと指先を震わせていた。ただ、ハンフリーに関してはある程度予想のついていたことのようで、軽く瞳を伏せるばかりだった。いや、もともと会話が成り立たないほどに無口な男だから、そこら辺の心情は、想像するしかない。

マッシュの隣に、ぽつりとは立っていた。フリックは、彼に飛びつくように叫んだ。「お前が、リーダーだと」 震える怒りを隠すように、拳を握りしめる。
フリックは彼に多くの言葉を叩きつけたが、おそらくそれは、のちに自身の後悔につながるだろうということは分かっていた。私はぽん、と彼の背中に手を伸ばした。彼はハッとしたように唾を飲み込み、ぐるりと背を向ける。「おい、フリック」 ビクトールの静止を聞くことなく、フリックは歩を進めた。そしてトラン湖のほとりの街、カクの街にいると言い残し、その場を去った。

さて、私はどうしよう、とフリックの背を見つめていると、フリックはぐるりと振り返り、大股でこっちに寄ってきたかと思うと、ひょいと私の首根っこをつかんで、ずるずるとひっぱった。ただ静かにこちらを見つめる     天魁星に目を向け、「猫の子じゃないんだから」とフリックの手を叩き落とし、彼の隣に並び、ぎいぎいと鳴る木の船に乗っかりながら、トランの城を後にした。







オデッサは、レナンカンプのアジトが襲われたときに死んでしまった。私とフリックが、あの街を飛び出たとき、おそらくオデッサもアジトへと戻ってきてしまっていたのだろう。私たちはそれを知らず、とくにフリックは、ただ自身を滑稽に思ったのだろう。彼女はその場にいたというのに、何にも知らず、街を逃げ出してしまった。

実際彼の判断は、間違っていなかったはずだし、過去のことを悔やんだところで何もならない。それどころか、彼はに、ハンフリーに、ビクトール達に、恨み言のような言葉を吐き出したことを、じわじわと後悔の海に沈めていた。けれども、そのことを認めたくはないし、理解と納得はまた別物だ。
私はただ、酒をあおるようにして飲み込む青年の隣にすとんと座り込んだ。フリックについてきた、旧解放軍のメンバー達は、何が起こったのだろうとお互い目配せをするが、私は軽く首を振った。おそらく、数日のうちに彼らも知ることになる事実だろうが、今は私から言うべきではない。

(……随分減ったな)
私とフリックは、解放軍の勢力を必死に集めたが、それでも一時期より随分減ってしまった。ミルイヒ・オッペンハイマーによる解放軍狩りが盛んになり、多くの仲間が減ってしまった。彼ら新生解放軍に力を貸す名目としてはもちろんだが、ミルイヒに捕まった旧解放軍達の解放の協力のために、私達は解放軍の門を叩いた。

既に五将軍の一人であるクワンダ・ロスマンを討ち破った彼らには、次なる目標が必要だった。そして、西にあるミルイヒの領地に目を向けることは、ひどく順当なことであった。間違っても、百戦百勝のテオ・マクドールに挑むことなど、あってはならない。テオが有する鉄甲騎馬隊に、正面向かって立ち向かうなど無謀以外の何者でもない。

そしてがリーダーであると把握した今となっては、ますます彼との対立は遠くなるであろうと予測された。彼らはどうあがいたところで、父と子である。そのことを、これから多くの赤月の民が知ることとなる。(……反発する人間も、多いだろうな) 彼はなおさらに力のつける必要がある。ただその彼に対する批判感情、デメリットを排除するほどに、のリーダー性はすぐれていると、あの細目の軍師は判断したのだろうか。(……マッシュ、マッシュ、シルバーバーグ) なるほど、シルバーバーグの血筋か。

彼が彼女の兄となると、オデッサはシルバーバーグの娘であったということになる。どうにも奇妙な縁だった。貴族の娘だとわかってはいたけれど、まさかあの家の血筋だとは思わなかった。誰か、私が知っている人間の子孫なのかもしれない。けれども今更知ったところで何もならない。過去に知っていたところで、何になる訳でもない。

は、どうするんだ」

がたん、とフリックは酒のコップをテーブルにたたきつけ、ちらりともこちらを見ることなく呟いた。単語だけの言葉だ。私はぴくりと眉を動かし、「トランの城に向かいます」 例え、フリックとたもとをわかつことになろうとも。
天魁星の側にいること、これが私の第一条件であり、目的だ。「よくそんなにすっぱりいいきるものだな」とフリックは舌打ちをしながら酒を煽った。「ええ、いいます」

「仲間であるのならば、下手な理由で口を止める必要はないと、フリック。あなたが言ったから」

彼はきょとんと瞬くようにして、ビールの泡を見つめた。酒を煽ってはいるけれど、やはり酔いきれてはいないようで、苦しげにふつふつ潰れる泡を見つめ、「そうか、そんなこと、いったかな」「言いましたよ」 ですからどうぞ、今ばかりは好きなだけ。

宿屋の中にいるものは、旧解放軍の、それも一部の気心のしれた人間だけだ。その言葉で、フリックはふと顔を上げた。彼らの不安げな視線を感じ取るように、ぐっと苦しげに顔を歪めた。コップの取っ手を握りしめ、指を震わせ、テーブルを見つめた。「なるほど、これじゃあ俺は、駄目だな」

別に、そういう意味で言った訳ではない。たとえ気心がしれようとも、リーダーが口に出してはいけない言葉や態度というものがある。暗にうけとめればそうであったし、確かにそれは事実であったけれど、そう意識をして彼を揶揄した訳ではない。
フリックという男は、我慢が似合わないというか、どうにもつっぱしる気概があるように感じた。それは彼の美点であったし、また欠点でもある。おそらく、オデッサはそこに惹かれたのだ。

     あの人を支えて欲しい。
オデッサはそう言った。図らずしも、あれが彼女の遺言となった。フリックが、今すぐこの街を出ていくというのであれば、私は迷うこと無く彼を見送る。けれども、できることであれば、彼女の、オデッサの言葉を守りたい。

フリックは何か考えこむように、ただ手元の酒を見つめた。「」「はい」 ふと、彼は顔を上げた。「水をくれないか。こんな顔と匂いじゃ、あいつがやってきたときに情けないばっかりだ」 私はこくりと頷いた。ついでにゆっくり時間をかけて女将にコップをもらい、水をそそいだ。私が必要以上にのたのたと歩いている間、フリックはただテーブルに肘をつき、手の甲にでこをのせていた。周りの兵士たちは、彼から目線を外し、それぞれのテーブルでわざと大きな声で談笑した。おそらく、彼らもうすうすと事情を理解し始めたのだろう。

ことん、とテーブルにコップの底を置く。フリックは、ありがとう、と口元だけで呟いた。そしてコップを受け取り、一気に水をあおいだ。ふー、と長く鼻から息を吐き出した彼は、どこか遠くを見つめていて、「ありがとう」ともう一度、小さく呟いた。
私は聞かなかったふりをして、ちらりと宿のドアを見つめた。ドアが開き、フリックとがひとまずの決着をつけたことは、これからすぐのことである。


   ***



「ミルイヒの城に?」
「ええ、フリックが連れてきた軍勢、ついでにあなたたちの軍を合わせれば、不可能ではないはず」

ちらりと細目の軍師を見あげれば、彼はふむと顎に手を置き、「なるほど、たしかにあなたの言う通りです。殿いかがいたしましょうか」 私は少しだけ目を大きくさせた。判断が恐ろしくはやい。彼は優秀な人間なのだろうか。それとも反対に、何も分かっていないからこその無鉄砲な男なのだろうか。


さてこの男を試してやろう、と私は無遠慮にフリックと軍師の会話に割り込んだ。
子どもがわかりもせず、何を偉そうに口を挟むか。おそらく多くの人間なら、私の無作法に眉の一つはひそめもするだろう。寧ろ、私が礼儀をかいた態度をとっているのだからそれが当たり前だ。だというのに、彼は特に何を意識する訳ではなく、頷いた。
そう言われて、納得したから頷いた。とくに意識した訳ではなく、そんな顔つきをしているものだから、どう捉えていいものかどうか分かりかねる。

うむ、と私が唸っている間に、はビクトール、ハンフリーと一人ひとり広間にいる人間に顔を見合わせ、顎を手前にひき、頷いた。「出陣しよう」 その言葉をきっかけに、マッシュはビシリと片手を水平にあげた。「各自、出発の準備をおこなってください。フリック殿は、弓騎兵を率いて頂きます」「わかった」

迷うことなく、フリックは頷き、近くの兵士に兵の場所を確認し、背を向けて去っていく。フリックの背中を確認したマッシュは、ふと不思議気に私を見つめた。、「それで、あなたは?」 随分今更な疑問だな、と苦笑して答えた。「です」 マッシュはほんの少し困ったように眉を顰めた。おそらく、そんな意味を訊いているのではないと私もわかっている。けれども、どう答えていいものか、自分でもよくわからないのだ。

フリックと共に、何故私のような子どもがちょこちょことやって来て大きな顔(と、言えなくもない態度)をしているのか。私はふと、に顔を向けた。次に、ビクトールへ。数ヶ月かそこいらだというのに、妙に久しぶりなような気がした。なんだかんだと言って、未だに彼らとまともに話してはいない。この戦いが終われば、いくらか話す時間もとれるだろうか。(さて、どうするか)

私はかりかりと顎をひっかき、肩をすくめた。いつもどおり、薬屋みたいなものです、と答えようとした。けれどもすでに部屋から去り、弓騎兵の元へと消えたフリックの言葉を、ふと私は思い出してしまったのだ。(     が他人に言いたくないってんなら、言わないさ。言いたくないことを無理に言わなくてもいい。ただ、そういう理由で口を閉ざすのはやめろ。)

余計なことを言うものだ。薬屋ですよ、と私はマッシュに顔を向けて返事をした。
「まあでも、ついでに付け足すなら」 ほんの少しだけ困ったように笑って、「魔術師の、卵みたいなものでもあります」




2012.02.24