「あちらに、紋章が」

はたはたと、ローブが揺れた。すっぽりとフードで顔を隠して、すう、と静かに息を吸い込んだ。頬を撫でる風が冷たい。「おそらく、城塞の兵達は、紋章師達を集めています。確証はありませんが、五行の風。弓矢では軌道をそらされる。同じく風で応戦すべきかと」

そう言って、扱いづらい小さな体を必死に伸ばし、馬の腹を蹴った。わずかに馬は足踏みする。「わかりました」 軍師はこくりと頷いた。「伝令を。魔法部隊へ、詠唱の許可を」「ハッ!」 青年兵がコクリと頷き、駿馬をとばした。

「数はわかりますか」
「そう多くはありません。強い使い手も、おそらくそれほどは存在しない」

すぐれた紋章の使い手の存在の否やで、戦況は大きく変わる。(戦いに手出しをするのは、久しぶりだな) 覚悟を決めたつもりであるが、やはりどこか落ちつかない。代わりとばかりに、重苦しいローブで顔を隠した。顔を見られるのは、やはり少々困ってしまう。周りめぐって、ウィンディに“今”の私の容貌を知られることはなるべく避けたいところだ。


     解放軍、いいや、今となってはトラン軍と名を変えた彼らは、ガランの城塞に進撃を開始した。

私とフリックの進言通りに、帝国五将軍、ミルイヒ・オッペンハイマーが治める領地の解放を狙うべく、動いた彼らの戦力は、噂通り、いや、それ以上の粒ぞろいであった。石碑を守る少年の右手を思い出し、また私は自身の手のひらを見つめた。(何もついていない) 魔術師の卵である。そう形容したくせに、残念ながら、私は紋章を宿すことができない。薄々、気がついていた。この体は、魔力が大きすぎる。

才は十分すぎるほどにあった。今までの体の中でも、ぴかいちと言ってもいい。記憶の蘇りが、過去よりもはやく訪れたのは、そのせいあってからかもしれない。ただ、大きすぎる。
勢い良く吹き出すことしか知らない蛇口のようなものだ。紋章を使おうものならば、ガラガラと根本が壊れてしまう。そもそも、下手な紋章師ならば、紋章を宿すことすら叶わない。ある程度金が自由にできるようになった後でも、紋章を宿せないと知ったときはひどく落胆した。
ただ、今は器が小さすぎるだけだ。もっと手足が伸び、背が伸びれば、常人とは変わらず紋章を宿すことができる。
そうなるまでに必要とする時間は、今まで長く時間を過ごしてきた中で、おそらく一瞬だろう。けれどもその一瞬を今はただ忌々しく感じる。それはどうにもおかしい気分だった。

紋章を一度として宿したことがない。他者の紋章を使用できるものの、それはある程度近接した距離が必要であり、実践での使用はほぼ困難。ならば、お前には何ができる?
呆れたようにため息をついた、頬がこけた軍師が問いかけた無言の質問に、「そうですねぇ」 私はひどくお気楽に、頬に手のひらをついた。

「魔力の流れを、ある程度感じ取ることはできます」

     紋章の発動近くならば、五行の紋章のどれかを把握することも。

マッシュは瞳をまた細めた。

それから幾度かのテストを繰り返し、信用がおけると判断がくだされたらしい自身は、あくまでも戦況把握の一員として、軍師の隣にならんだ。「、お前には、初めての実践になるか」「ええ」 この体では、という言葉が抜けるが。

あふれる緊迫感の中で、ちびりあがった子どもが、仕損じるかと疑いかけているのだろうか。けれども、どうにもそうではないような気がした。(軍師としてならば、その意味合いでなければいけない)ただの、戦力になるやも不明に近い子ども一人に、気をかける必要などどこにもないのだ。

(この人は軍師に向いていないのかもしれない)

ふと、そう感じた。
ただそれは、私の勝手な思い込みであるかもしれない。ただ、誠実な男であるとも感じた。細い体とは対象に、前を見据えて、どっしりと大きな荷を背負っている。

「軍師殿、来ます」
「ええ、殿が既に表に立っている。問題ない」

戦場にて膨れ上がる魔力に、体中がざわついた。
空の色が濁る。私はただ口ばかりで、何ができる訳でもない。ぞっとローブがはためいた。多くの命が失う音がする。前リーダー、オデッサと同じく、彼らの命が消えていく。

彼女の恋人であるフリックは、今何を思っているのだろうか。騎馬弓兵を引き連れ、青いマントを翻す仲間の姿を瞼の裏で思い描いた。



   ***



花将軍、ミルイヒ・オッペンハイマー。彼のこの俗名は、文字通りの事実を表していたらしい。城塞を通りぬけ、彼の城へと突入しようとした矢先に、うごめく毒の花粉に、多くの兵が死傷した。風の紋章を辺りに散らしめ、私達は慌ててガランの城塞まで遁走することとなった。

「吐いてください。まだ間に合います。安心して。大丈夫、落ち着いて」
嘔吐の音が響く。つんとした匂いが辺りに立ち込めた。(換気を) 辺りを見回した。けれどもいけない。まだ毒の除去が完了していない。ガランの城塞はトラン軍に制圧されたが、ミルイヒの城からは近い。私達ならともかく、すでに毒におかされた患者たちには、これ以上の刺激は与えられない。
(負傷者が多い) 多くは毒におかされていた。私は口元に巻いた布をわずかにゆるめ、広間に敷き詰められた兵士達を見回した。毒の症状の見当がつかない現在、下手に薬は与えられない。水を飲ませ、症状を和らげ、毒を吐き出させる以外の策が見当たらない。

「水を飲んで下さい」
苦しげな嗚咽を漏らす兵の背を撫でると、男は黄色く濁った瞳をうなずかせた。水をいれた椀をかたむけさせ、口に含むと同時に、彼はすぐさまに胃液を吐き出した。「わるい……」「大丈夫です」 幾度も強く背中を撫でる。わずかに男は口元をゆるめ、ことりと意識を落とした。慌てて彼の脈を探った。生きている。けれども、医者の数が少ない。彼らの対応が追いつかない。

「水が足りないぞ! 近くに井戸はないのか!」

響く怒声に、即座に頷いた。

「探してきます!」
私の返答は、彼には聞こえなかったかもしれない。けれども握りしめていた男の手をそっと床の上に下ろし、扉を開けた。外の空気に息を吐き出すと、紋章師達が円を組んでいるさまが目に入った。彼らは毒の除去のためと、風の紋章を次々に発動させている。まだ時間はかかるだろうかと口布を押さえたとき、ふと、一人の少年が、強く石だたみに杖を置いた。彼の唇がわずかに震え、呪文を唱えた。瞬間、大気が震えた。

(才がある人間は、どこにでもいる)
風の匂いを鼻で感じた。ちらりとお互い目を合わせたが、短い時間だ。
とにかくと当初の目的通りに私は井戸を探した。捕虜の兵に口を割らせればいいだろうか。だとすると、彼らに会う前に、軍師に声をかけなければいけない。出た入り口を戻り、城の階段を駆け登ると、見知った少年が、階下を見下ろすように肘をついてため息を漏らしていた。「マクドールさん」 くんか、と彼は黒い髪を揺らした。

「何をしているんですか」
「何もしていないんだ。できることなら手伝いたいんだけど。俺が彼らの元に行くわけにはいかないからね」

しばらく見ない間にも、ひどくリーダーらしくなったものだ。よくよく考えると、彼との会話もまた数カ月ぶりだった。フリックとともにトランの城に戻ったとき、顔を合わせたものの、直接言葉を交わしたわけではない。彼の右手から立ち上る気配に、ふと、胸が重く、足踏みをしてしまいそうになる。

「そういうくんは?」
「私は、その、看護の水が足りないことを陳情しに」
「ああ、なるほど。マッシュは中にいる。通すよ」
「マクドールさん」

ドアノブに手を伸ばした彼を呼び止めた。

     私は、彼に聞かねばならぬことがある。
そのために、私はここへ来た。天魁星と、その宿星の行く末を見守らねばならない。そしてまた、そのためには必要なものがある。(私の紋章は) 彼の死に際は。
「マクドールさん、いくつか、お聞きしたいことが」

不思議気に瞬くの顔を見て、私は不自然に息を飲んだ。短い間の後に首を振った。今尋ねるべきことではない。あまりにも私情に走りすぎている。今、すべきことは別にある。それに、彼を見ると、ひどく私は動揺する。フリックに駄々をこねて、取り乱した記憶はまだ新しい。少しだけ赤面した。まずは、私は自身を落ち着かせるべきだ。

なんでもない、そう首を振ろうとした瞬間だった。「さま!」 若い男性の声が響いた。「・マクドールさま、ですよね」

少しずつ、言葉が尻すぼみになる様は、どこか微笑ましい。「そうだ」 彼が頷くと、青年はパッと笑った。真新しい剣を腰にさしたまま、かちゃかちゃと階段を上がる。

「お前は?」
「俺は、その、この間こちらに参加したばかりで、テイエンの街から来たものなのですが、あの、ちょっとした噂をきいたことがあって     






この毒を中和できる薬職人が、ここから南西のリコンの村で暮らしている。
その言葉を聞いたたちは、そのリュウカンという薬師の力をなんとしてでも手に入れるべく、馬の背にまたがった。旅立ちの道具を揃えながら、は少年らしい瞳を緩めて、「くんは、俺に何か訊きたいことがあったんじゃないかい?」と首を傾げた。「ええ、ありますよ」と私は笑った。

「あなたが帰って来たときに、きかせてください」
「ああ、わかったよ。そのときは、マクドールではなくと呼んでくれると嬉しいね」
「善処します」

善処かい、と彼は困ったように微笑んだ。そうしてまた旅だった。私はまた患者の看病に明け暮れた。ただ、日々は過ぎた。




2013/03/02