こつり、こつり、と階段を上った。
「……あなたは」
伏せた瞳を、ぴくりと震わせながら、彼女はこちらを見つめた。「こんにちは」 クレオ。たしかそう言っていた。「……誰だ?」「だ。解放軍初期からのメンバーだよ、パーン」 そうだったね、とこちらに確認の言葉を落とす女性に、私は頷いた。
赤いハチマキをした、筋肉質な男だ。(パーン……) 彼女と同じく、古くからに仕えている使用人だと訊く。そして、彼と同じく。
「マクドールさんに用があって、こちらへ来たのですが」
「すまないけど、今は通せないんだ。悪いが帰ってくれないかしら」
苦笑するように口をゆるめ、クレオは瞳を落とした。パーンは何もいわない。あのことだ、と気づいていた。わかりました、と私は頭を下げて来た道を戻ろうとすると、コンコン、と部屋側からのノックが聞こえた。ぴくり、と全員が驚いて振り向くと、静かな音をたててドアが開く。「あ、ぼ、坊ちゃん」 素っ頓狂な声を上げるパーンに、は笑った。「いいよ、入って」「しかし」「俺が呼んだんだ」 確認するように視線を向けられ、私はコクリと頷いた。
すっと従者の二人が道を開けた。「どうぞ」 軍主が支えるドアを、頭を下げながら通る。パタン、と扉が閉じた。はてくてくと部屋の中を歩いて、テーブルにある椅子をひっぱり、腰掛ける。「きみもどうぞ」 頷いた。
疲れた顔をしていた。
いや、彼の育ての親である使用人が、彼をかばって死んだ。そう聞かされていなければわからない程度に、彼は隠すことがうまくなっていた。瞳の下に青白い隈がなければ、私でも見落としてしまっていたかもしれない。(怖い人だな) これが、生まれてからまだ二十歳を超えていない男だろうか。貴族の中で、ぬくぬくと育ってきた少年なのだろうか。
はじめ、グレッグミンスターで彼と出会ったときから、食えない少年だと思っていたが、それ以上に彼は変わっていた。人がのぼる階段を、一足飛びに踏み込んで、かわいそうなくらいに変わってしまっていた。(……天魁星) だからなんなのだ、とときどき思う。例え星に選ばれていたとしても、彼らは人間だ。普通の人間であるはずなのに。
「帰って来たら、訊きたいことがあるって言ってたろ?」
少し時間ができたから、聞かせてもらおうと思ってね、ソウマくん。と付け足された言葉をきいて、そういえば、この人は私のことをソウマと呼んでいた。今更ながらに訂正するタイミングを見失ってしまっていたことに気づいた。「……ええ」 グレミオが死んだ。その詳しい過程までは聞かされてはいない。ただ、毒の薬を作ることができるという老人が、こつり、こつり、と杖をつきながら、やって来て、患者達はみるみると回復した。おそらく、それと関係している。
(尋ねてもいいのか?)
膝の上で拳を握りながら、熟考した。深く、瞳を閉じた。(今、彼を亡くして、心を落ちくぼませた彼に) 尋ねてもいいことなのだろうか。
ソウルイーターは、魂を食う
親しいものの魂を狙い、咀嚼し、飲み込む。
は気づいている。彼の右腕に、あの優しい青年の、グレミオの魂が眠っていることを、食われてしまったことに気づいている。(その彼に、私は問いかけるのか)お前のちかしいものの魂を食ったそれは、どこから来た。あなたは、どこまで知っている。そして理解しているのか。
覚悟を繰り返し、口を開いた。
ひどく、喉が乾いていた。くわん、くわん、と音がした。何かと思えば、自分がテーブルに手をついたことで、花瓶が円を描いて揺れていた。は瞳を丸めていた。「すみません」 濡れた手汗を服で拭った。それから、幾度か呼吸を繰り返した。
「あなたの、その右手についているものについて、いくつかお訊きしたいことがあります」
ひたり、と冷たい空気が頬を撫でた。「それは、誰からもらいましたか?」 その問いかけが、既に私は期待していた。彼からもらったものでありますように。そうでありますように。「親友からだよ」 少し、予想とは違った。私はぱくりと口を開けて、目尻を撫でた。「その、親友は、どんな」 茶髪の男で、名前をテッドと言って。「明るいやつだった。一生の友達だと、俺は思ってる」 出会って数年しか経っていないけれど、と返された言葉を聞きながら、口元を歪めた。
「それは男ですか。年は、いや、見かけの年とは違うかもしれない」
「うん。俺と同じ年頃で、いや、300年紋章を守って逃げたと言っていた」
(テッドだ)
いや違う、いや、違わないかもしれない。テッドは、長く紋章を保有していた。テッド以外のものが、それだけ長く紋章を保有していただなんてありえない。(テッドなんだ) 彼の言葉と、私が知るテッドはひどく食い違っているし、テッドが友人を得て、それも親友だなんて、なにがなんだかわからない。いや、これは彼が勝手に言っているだけで、本当はそうでもないのかもしれない。しかし、テッドから進んで彼に紋章を託したことはおそらく事実だ。(テッドが、紋章を自分から手放した)
という少年を、正面から見つめた。端正な顔だった。じっと彼はこちらを見ていた。ちかり、ちかり、と少年の周りに星の瞬きが見える。(運命が) 彼らを動かした。そうではない。いやそうだ。そうでもあり、そうでもないのだ。あれから150年も経って、彼はまた星の流れに埋め込まれた。
泣き出しそうになった。慌てて片手を顔で覆って、長く長く、息を吐き出した。そうしたあとにまだ一番重要なことを問いかけていないことに気づいた。「その、男は、今は」 生きているのか。テッドは生きているのか。「わからない」 は静かに息をついた。「帝国軍から、逃げるために、あいつは、俺に紋章を渡して、囮になったんだ」 多分、捕まっていると思う、と声を聞きながら、私はゆっくりと考えた。
テッドは、帝国軍に捕まった。彼の右手に、すでにソウルイーターはない。生きているのか、死んでいるのか。結局のところ、誰にもわからない。そして彼が帝国軍にいるとなれば、もしかすると、テッドに“ひっかかった”ままな私の紋章もあちらに渡っているのかもしれない。(いけないことになったな) テッドからへソウルイーターが渡されたさい、私の紋章は彼の体に残ってしまったのだろう。そうでないのなら、私の紋章はすでにテッドからすらも離れて、どこかに旅立ってしまっている可能性もあるが、そうなると手がつけられない。
(とにかく、ある程度の疑問はとけた)
安堵なのか、それとも長い溜息をつきたくなる気持ちなのかすらもわからず、私は深く椅子に腰掛けた。「訊きたいことは、それだけかな」「……ええ」 瞳を閉じたまま頷いた。「だったら、俺からもききたいことがあるんだけど」 きかせてもらってもいいかな、とこちらに声を落とした少年に、瞳をむけた。
「君はなぜ、ソウルイーターを知っている」
腹のそこから冷えたような声だった。
けれども、その程度の質問はすでに予想できていた。当たり前だ。彼が真の紋章を保有していることは、一般の兵には知らされていない。どこまでその事実を知らされているかは知るよしもないが、少なくとも、あの茶髪の風の少年程度は理解しているだろう。「……少し、紋章に敏感なたちでして」 見れば妙なものがあなたについていることくらい、わかります、と格好をつけてみた。
「それで? 興味本位で俺に尋ねたと」
「それは少し言葉が悪い。溢れる知識欲を抑えこむことができなかった、と言い換えていただきたい」
ケタケタ、とは笑った。私も笑った。かしゃん、と響いた音にピタリと声を止めた。「嘘だね」 花瓶を倒して体を乗り出したが、深く喉から声をすりだし、短く、言葉を吐いた。「だったら」 襟首を掴まれた。「なんでこんなにも疼くんだ」
「きみを見ていると、まるで逃した獲物を見ているように、ソウルイーターがうずくんだよ」
事実だ
ソウルイーターは、私を食ったはずだった。けれども、私はまた新たな生を得ている。ふと、死神が見えた。黒々しい流れが揺れ、爛々との瞳が輝いていた。息ができない。彼の手から逃げるように椅子から転げ落ちて、息を吐いた。はっとしたように、彼は自身の両手を見つめた。そうして、幾度か息を喘がせてぱくりと口を動かした。何を言っているのかわからなかった。は深く頭を押さえこんで、疲れたように椅子の上に崩れ落ちた。「ごめん……」 かすれた声だ。「……いえ」 服の襟を直しながら、首を振った。
「わからない。無性に、俺は君を食いたくなる。今日も、そのつもりで君を呼んで」
それ以上の言葉を、彼は続けなかった。「きみは、あまり、俺に近づかない方がいい……」
(何を、どう言えばいいんだろう) 君は、一体なんなんだろうね。部屋を出るときに、そうぽつりとが呟いた言葉を頭の中で繰り返して、私は階段を降りた。こつり、こつり、と小さな音が響くたびに、何か辛く、深く、自身が消えていくような、そんな感慨を覚えた。
2013/04/07