dis- horse
テッドが、生きている。
生きている。湖畔に揺れる波を見つめながら、ふと、息を吐き出した。あの魔力は、テッドのものだ。知っている。間違えるわけなんかない。
「……っ!」
自分自身の首元を掴んだ。何かがおかしい。体中が波打つようだ。ひくつきそうになる息を飲み込んで、何度も顔を両手でこすった。テッドが生きている。生きている! ただその言葉ばかりが、頭の中で埋め尽くされる。
冷静になれ
城の壁を力強く叩くと、体の骨が震えた。そのおかげだろうか。周りが少しずつ目に見えてくる。なぜだかひどく寝付けない夜だった。不思議に思いながらも、夜風にでもあたろうと湖畔に足を伸ばした。こぼれ落ちる星空を見上げて、ふと、ほんとうに星がひとつ、こぼれてしまったのだ。あっ、と声をあげた。そのとき、光の柱が薄く、細長く、遠い空に伸びていた。
一体、何人の紋章使い達が、この空を見上げただろう。
普通の人間には気づきはしない。けれども高濃度の魔力の波が、頬を撫でた。見知った匂いだ。一体、何が、と瞼を震わせる。何があった?
ただ紋章を使用した。それだけなはずがない。あれではただの魔力の垂れ流しだ。あの匂いに気づいた人間も、一体これはなんの意味があるのかと肩をすくめて終わりだろう。(何かに、気づいてほしかった?) いやわからない。誰に に?
いやいくら才が溢れていたとしても、真の紋章を昨日今日宿したばかりの若者が、あの魔力の渦を捉えることができるだろうか?
わからない。
じゃあ何のために? 気づけば足が勝手に動いていた。
できたばかりのエレベーターの存在を思い出したのは、階段を駆け上がってから暫くだ。短い足を必死に前に伸ばして、息をきらす。ときおり、人とすれ違った。こんな夜分に と頭のすみに疑問を置いた。警備の兵は常に入れ替わりをしているが、昼間に比べると手薄になっているはず。人の波をかき分けたどり着いたときには、目当ての人物は人混みに囲まれていた。「今すぐ部隊の編成を行う。まだ時間はある、万全の準備を整えよう」「しかしですね」
寝起きもそこそこに寝巻きの上を羽織りながら足早にこちらに向かう城主と、ふと目があった。さん、と声をかけるときになって、周囲に響く怒声が、やっとこさ耳に入り始めた。ざわつく回廊の中で、一人きょろつく。明らかに、尋常ではない。
「……くん?」
慌てて顔を上げた。は眉をひそめ、お決まりのバンダナを手早く結びあげる。「さん、あの、一体なにが……」 情けない声だと自分自身気づいていた。は器用に片眉を上げた。私が、彼らと同じ目的でこちらに来たと思っていたのだろう。そのはずなのに、とうの私と言えば、見当はずれの質問を城主に投げかけている。明らかに場違いだ。ひどく思考が回らない。
「ばかやろう、テオ・マクドールの鉄甲騎馬兵が攻めてきたんだよ!」
突き飛ばすような男の声に、瞳を丸めた。それでその騒ぎか。当たり前だ。こんなところで悠長に立ち尽くしている場合ではない。「いや、いい。何か報告があって来たんだろう?」 の声に、ひどく赤面した。彼は私を、そう言った意味では信用してくれている。それがなんだ。「いえ、まったく。急ぎのものではありません。失礼します」 そう言って、しっぽを巻いて逃げ帰った。
色恋に、うつつを抜かしている場合か。
私は彼に、にテッドが生きていることを、いの一番に伝えたかった。
あの魔力を感じたか。それに、気づいたかどうか。生きているか、死んでいるかわからない。そう彼は言っていた。親友から紋章をもらった。そう言っていた彼に、あの人は生きている、安心してくれと、そう伝えたかった。喜びを、分かち合いたかった。
テッドは生きている、生きているんだ。そう言って、涙する仲間をただ欲していた。
認めよう。
私はただの、ガキだ。
見かけも中身も、何のかわりもない、ガキなんだ。
***
正直、薄々気づいていた。私のこの体は、十年とそこらしか生きてはいない。たとえ遠い昔の記憶があろうとも、自身が””だと意識したのはつい最近だ。つまり、体に意識が引きずられている。
私が眠っている間に、がオデッサと共にサラディに向かってしまったとき、フリックにひどく八つ当たりをしてしまった。あのときから、何かがおかしい、と気づいていた。
我慢できていたはずのことができない。理解できていたはずなのに、ぶうたれる。その上確実に言動が幼くなっている。大人ぶった顔をしても、実質、ただ背伸びをしているだけだ。あのとき私はまずは自身の紋章について思考するべきだった。
ソウルイーターと消えたはずの紋章が、どこにも見当たらない。いつか必ず戻ってくる。そう“決まっている“ものだとしても体の奥底までに染み付いた紋章よりも別を優先していた。
帝国軍から自身を逃がすために、テッドは囮となった。安否もわからないと、そう告げていた。彼を軍主としてではなく、ただのとして周りにも目もくれず、私はただ会いに走った。
何度考えても耳の後ろがカッと熱くなってくる。
してしまった失敗を、何度も繰り返して思案する。そんなことすら以前にはなかったことだ。間違ってしまったものは仕方がない。次につなげる。そうしなければ、生きていけない。当たり前だ。なのに未だに私は足元を見ながら繰り返し誰にも見えぬように目元を拭った。「あーあ、なんでまた、こんなガキと……」 だからこそ、その言葉にはカチンとくるのである。なぜならガキだから。
「なんでまた、と言われましても」
言葉こそは慇懃無礼に口元に笑みを浮かべるが、脳裏の奥底では苛立たしく火種がくすぶっている。彼は短く切りそろえた金色の髪を、かしかしとひっかいた。胸元の青いペンダントを人差し指でくるくるといじって、時折あくびをはなつ。ぶん殴ってやろうか。「おっと、私はおこちゃまですので、気づけばこの右手が。失礼失礼」「おっま、今めちゃくちゃ振りかぶったよな……?」「まさか、間一髪で」「俺が避けたよなァ!?」 うるさい男である。
シーナと言うこのちゃらんぽらんな男は、つい最近、解放軍へと入隊した。あまりにも遊び呆けるこの少年に頭を抱えた父親が、性根を正すべく無理矢理にも首根っこをひっつかんで、との噂であったが、この様子ではおそらく事実なのだろう。人のことを見てあからさまにため息を繰り返すし。
「……解放軍とか言われてもさあ。俺としてはかわい子ちゃんとにゃんにゃん戯れて、楽しくできればそれでいいっつーのに……なんでまたこんな」
ちんくしゃと、とわざわざ間をあけて見下ろしてきた。喧嘩を売ってやがる。
普段であるのなら受け流しているはずが、じわじわと何かが降り積もった。ローブを頭から羽織り、夕暮れ時の空を見上げる。いやな風だ。「真面目になさってください。敵はテオ・マクドール。半端な策ではあっという間に崩れ落ちる」 あの“”の父親だ。下手な男ではないことくらい、想像に難くない。
シーナは私のその言葉に、わずかに眉を寄せた。誰しもが、彼がの父であることを知っている。しかし、言葉には出さない。
「……でも、父親なんだろ?」
と、言うのに、彼は違うらしい。思うところがあるのか、唇を尖らせて端正な顔を歪める。「ええ、そうだときいてはいます」 返答はなかった。
、お前はシーナとともに、テオの部隊を探れ。
お前たちは身軽だろう、というマッシュの指示に頷き、新たに仲間となったカスミという忍の少女とは別ルートで岩陰を駆け抜けた。ぶつくさつまらなさ気な顔をしながらも、軽い足取りで足音を消す少年に、わずかに驚いた。と思えば腰にさした剣を意味もなく手のひらの上でいじるものだから、ため息が出た。遊んでいるわけではない。
紋章の気配はない、というところが主な感想だ。鼻をひくつかせながら、辺りの魔力を探る。いくつかの五行の紋章が、ぽつりぽつりと輝いてはいるが、軍の規模から考えると少ない方だろう。今回は活躍の場は少なそうだ、とマッシュに鳥を飛ばし、待機する。現状は報告した。そこをどうこね繰り返すかは、軍師の判断だろう。シーナも初めての出陣という割には落ち着いたように影の中に身を隠している。カスミからの報告も受けたのだろう。軍勢が動き出す。
解放軍は、勝ちすぎていた。
クワンダにミルイヒと、五将軍を破り、かつ仲間にしてしまった。その上でかでかとしたシンボルのような城を構え、日に日に軍の規模は拡大する。まるで、理はこちらにある。そう宣伝しているようなものだ。これ以上放っておくわけにはいかない、と即座に畳み掛けにきたのは理解できる。ただあまりにもタイミングが良すぎた。ミルイヒとの戦いでの負傷者は多い。その上やって来たのは噂にも名高い鉄甲騎馬兵達。
一体どうなるというのか。
とろとろと燃えるような夕日がこぼれている。あまりにも長い。シーナはしびれを切らしたように舌を打った。気持ちはわかる、と言ってしまうわけにはいかない。彼の尻をひっぱたくと睨まれた。
ぽつり、ぽつりと。
夜の帳に重なるように、小さな灯りが揺れる。「……来た」 地響きが鳴った。オオ、オオ、オオ、と痺れるような鬨の声がこちらまで不穏に響く。シーナがぽとりと一粒、汗をこぼす。あまりにも激しい。大地が、視界が揺れているようだ。解放軍は彼らは激突した。紋章の部隊はいない。力と力のぶつかり合いだ。ただ、あまりにも一方的だった。「鉄甲騎馬兵、とは……」 名の通りであったのか、と歯の根の奥が震えた。
紙のように散らされる解放軍の彼方から、灰色の煙が二本。懸命だ。頷きながらもシーナを振り返り、「シーナさん、逃げますよ! 撤退の合図です!」「いや、でも」 こんな、と歯ぎしりをする彼の頬をひっぱたきたかったが、残念ながら腕と足の長さが足りない。ので、やはり尻をひっぱたいた。
「これは負け戦だ。逃げるが勝ち、というのは間違いない。一人でも多くの戦死者を減らす。そう軍師殿は判断したんだよ!」
うまいことに闇に紛れることができる。くそう、とシーナは苛立たしげに唇を噛み締めた。足元では今も馬に乗った男たちが千切れるようになぎ倒され、落馬していく。その上を暴れ狂った馬に踏み上げられ、鈍い悲鳴が耳を割いた。シーナと二人、舌を打った。お互い合図もなしに、岩場から滑り降りる。すぐさまシーナは男を背負った。相棒の剣は腰元にピッタリと直し、逃げる馬に、鞍もなしに跳ねるように飛び乗る。
わずかに馬は嘶いた。「おい!」 引き伸ばされた手を伸ばし、短い足を必死に伸ばす。
女と男二人、三人分の重さに、明らかに馬は失速した。しかしふいたあぶくを飲み込むように、岩を避けながらも長い脚を蹴り上げ続ける。いい馬だ。「くっそぉ……なんだってこんなことしちまったんだ」 ばかやろう、と言う割には足が折れ、気を失った男を降ろしはしない。
追いつかれる
「こ、のやろう!」
シーナは片手を振り上げた。右手の文様が浮かび上がり、僅かな火の粉が散らされる。焦るばかりでは、下手な魔力も練り込めはしない。「下手くそですねぇ!」 笑ってやった。「んだとコラ!?」「前を向いて!」 真っ直ぐに道が続いている。
「魔力はこちらが負担します! 紋章ってのはねぇ、こう使うんだよ !」
いつかの曲芸と同じだ。あのときはフリックの魔力を無理やりに絞り出した。あれから、いくらかの月が流れた。多少ではあるが、この体の扱いにも慣れてきたところだ。溢れるような魔力をシーナの右手に循環させる。「う、おあ!?」 あまりの熱さに、悲鳴を上げる彼にまた笑った。
***
長い、長い帯のような炎が道を塞ぐ。夜を燃やす火炎に、多くの馬がその場にて崩れ落ちた。
この夜、多くの兵が遁走した。大惨敗の結果を残した戦であったが、不思議なことにも死者は少なく 彼らの心までを折ることはなかった。
2018.11.04