さすがに申し訳がなかったと謝ってやろうと思わないこともないような、そうでもないような。

「まあ、大丈夫ですね!」
「お前は何を言ってるんだ!?」

片手を包帯で吊り下げながら、額に大きなぺけぽん傷を作るシーナさんに、おっけーおっけー! と拳を握ってみた。慣れぬ馬の上に、意識の失った男一人と、小柄とはいえ、人間もうひとり、つまりは私を乗せて走り続けたのだ。真っ赤に燃え上がる炎に、馬は驚いたように飛び跳ねた。押さえつけようと力を振り絞った瞬間、ぐきりと妙な方向に曲がってしまったらしい。「まあまあ、利き腕ではなくてよかったじゃないですか」「よかねーよ!?」 ちなみに活躍の主と言えば、今頃のんきに厩舎にて草をはんでいる。

水の紋章は、残念ながら売り切れ状態だ。今回、なぜかは不明であるが、ひどく死者の数が少なかった。鉄甲騎馬兵は、戦線から離脱した者たちを不用意に追い詰めることなく、ただ一直線に剣を奮った。城を囲むように燃え上がる炎は数時間ばかりで消え失せたが、それを乗り越えることもなく、あっさりとこちらがしっぽを巻く姿を見逃したのだ。巻き上げた紋章の炎の鎮火も無理をすれば行うことも出来ただろうに。

     この程度の軍勢であるならば、いくらでも返り討ってやろう

そんな勝者の余裕まで聞こえてくるようで、はん、と笑った。重苦しくも、固い騎士の信条のようにも思えるが、まあ実際の真意については私よりもの方がよくよく理解できるのではないだろうか。

しかしながら死者の数に反比例するように、負傷者はそこいらに敷き詰められていた。特に四肢が折れた人間が多い。水の紋章を使用する紋章師の魔力はとっくの昔につきかけて、シーナさんのように生死に影響のない、元気でぴんぴんした若者たちは後に回され、リュウカンや私のような薬師のなりかけのような者まで大忙しだ。

ゴリゴリとすりつぶした薬草を、シーナの額にバチベチ叩きつける。「おっま、おい、こら、おまえ!」 前後にシェイクされるたびに不満の声があがるが無視する。私程度の知識のものでさえも手が足りない。次がつかえているのだ。「はいはい静かに」「もうちょっと丁寧にしろっての!」

しかしながら、意外でもあった。
あのとき私はシーナの紋章を、無理やりにはしらせた。それこそバカ馬のように、彼の体力など関係なしに、こちらの魔力を注ぎ込んでやったのだ。
一週間はないにしても、一日二日は寝込むものとばかり思っていたのに、眼の前の青年はピンピンしている。(案外、紋章の才がある男なのかもしれないな) 彼の母親も、目にしたことがある。こんなにも大きな息子がいるとはとても思えないこの青年の母は、紋章の才に溢れていた。
ばしりと勢いよく、終わりとばかりに振りかぶる。

「だから、お前なァ……!」
「なにをそんな、お子様のように。我慢なさい」

ははん、と口元をニヒルにあげつつ、包帯をすばやく戻す。こんにゃろ、とシーナはへの字で睨みつける。「、お前いちいちつっかかってくるよな?」「まあほら、ガキですから」 微笑む。微妙な間が流れた。

「…………見かけによらず、ものすっげー……根に持つタイプだな? お前」
「ハッハ。好きにお言いくださいな」

なぜだかこの人にはあたりが厳しくなるような。まあ言うなれば、絡みやすいような。
ちかちか光るシーナの星に目をやって、はいつぎつぎ、と追いやった。彼も星に好かれた男だ。


 ***



目の下の隈が、これほど目立つ軍団はいないだろう。
腕を組みながらも、見覚えのありすぎる面々が、無言で壁にもたれかかり、ただただ無為な時間を過ごしている、と言ってしまえば聞こえが悪い。ない知識や記憶をひね繰り返して、ちくたく動く時間を意識する。まずい。今この場で元気なのが、隈がない熊だけだ。主にビクトールと言う名前の。

「どっかの村に大手を降って凱旋して、どっかんと人員を増量する。これっきゃねーだろ!」

ぐっと拳を突き出した。睡眠不足が相まって、みなが頷く。そうだ、それしかない。できるものなら。「……鉄甲騎馬隊に狙われたばかりです。外側のものたちは、解放軍に不安を抱いている。今この状況で、新たに手が増えるとは、とても」 誰しもがわかっているものだから、あえて言わない。その言葉をわざわざ口にしてしまった。私も少し、思考が鈍くなってきている。「だよな」 熊は即座に頷いた。彼は脳みそが大半筋肉のように見えて、案外回転が早い。ように見えてそんなこともない。ようは閃きと直感が優れている男だ。

前線にて剣を奮った青年たちはそこいらに傷をつけている。伊達男のフリックの頬にも鈍い痕が薄く残る。ハンフリーは相変わらずだ。無言のまま、ときおり頷く。サンチェスは裏側にて指揮をとっていたのであろう。きちんとした身だしなみのくせに、たまに手元が震えていた。ひどく喉が乾くのか、水を何度もあおった。つとめて冷静になろうとしている、そう言うふうにも見えた。

マッシュの目元に、深く皺が刻まれている。このときばかりは、軍師も苦しげな表情のような、そんな気がした。なにせ物量が違う。二倍、三倍であるのならば策の施しようがあるというものだが、そんなものではひっくり返らない。軍師と一番相性の悪いものは、正攻法で攻めてくる相手だ。つまり、テオ・マクドールといえる。

ところで、なぜ私はここにいるのか。マッシュを除けば、解放軍の初期のメンバー達だ。も先程までこの場にいた。ただ、建設的な意見も出ないままにいたずらに時間が過ぎていくものだから、一時休憩をその場で申し出たのだ。なのに相変わらずこの場にいる。そしてもう一度繰り返すが、何故私はこの場にいるのか。まあ私の手当など混ぜた薬の知識さえあれば誰にでも行えるものなので、お前はこっちだ、とビクトールに引っ張られたときもリュウカンに視線で確認は送ったのだが。
(……もしかすると、私も初期のメンバーだと、捉えられている?)

ビクトールと同時の参入なのだ。時期的には間違いない。今現在、解放軍は窮地に面している。それを、知られるわけにはいかない。外側の村々からはともかく、解放軍である彼らは、死者の少なさに手を打って喜んでいた。あの鉄甲騎馬兵にでさえも、俺達は相手にできるのだと。今回ばかりは具合がよくはなかったが、次こそは、と動かない四肢を必死に動かそうと拳を握る。一部の、察しのいいものたちを除いては。

「今現在、打つ手がないのが現状です。次に城に攻め込まれたとき、正攻法でテオ・マクドールを圧倒する策はありません」

マッシュは重苦しい口をひらく。つまり、正攻法でなければあるのだ。けれどもそれを使うことはできない。なぜならこちらは解放軍であるから。姑息な手段を使ったところで、誰も着いてきやしない。「もし、心当たりがあるのなら、思い出していただきたい」「……何をだよ、マッシュ」 フリックが片目を上げた。策に関して彼が思いつかないのだから、こちらに閃けというのは無理な話だ。

「あの娘、オデッサについて」

ぴたりと空気が固まった。「打つ手がない、と言ったことは、私達が保有している手札の中で、ということ。オデッサを慕うものは多くいました。今もなお、散り散りになっていると言ってもいい。多くの解放軍の隠れ家は帝国軍に討ち入られましたが、私達が、いや、私がわかっていない手札があるかもしれない」

それもあって、この場に集められたのか、と目を丸くした。いやでも何か違和感がある。何故だろう。「特にサンチェスどの、あなたは財政や、事務の管理を行っていた。その記憶力も人並み以上でしょう」「いえ、私は……」 また彼の手のひらが震えた。申し訳ない、と白銀の頭を下げながら仕立てのいい服を押さえる。

ハンフリーも同じく、首を振る。覚えがあるのなら、とっくの昔に言っている。「んなもん……」 ビクトールがひどく思わせぶりに口を開いた。どうせないと言うのだ。「ねえな!」 ほらやっぱり。「と思ったけどあった!」 すごっとコケた。数人が。

いやいや、なんでビクトールが、と考えたとき、私はふとフリックと目があった。「あ」とつぶやいた声が重なる。ハンフリーもぴんと来たらしい。そういえば、この面々だ。いや、あのときビクトールはいなかったが、実際に届けたのは彼と、そしてオデッサ達だ。何故今の今まで忘れていたのか。

なにか、とマッシュは慎重に口を開いた。期待をしすぎず、ただし深くを探るように。「あの、あれだ、あれ」 ビクトールは両手を広げる。そして何やら突く真似をして、ついでに手のひらを前に出した。炎でも吹き出している真似をしているんだろうか。「火炎槍」 そっとフリックは助言を告げた。「それだ、それ、カエンソン!」 マッシュは細い瞳を、薄く開く。

「いつか必ず必要になる。そう、あいつは言っていたぜ」

そのいつかが、今日であった。
彼女との旅を思い出したのだろうか。ビクトールはあっさりと、けれども楽しげに言葉を告げた。フリックはぐっと口元を噛み締めた。そして腰元に指した剣を静かに撫でた。これ以上の心情の探りは野暮であるので私はそっと視線をそらした。ああ、でも、(わずかに) 胸の内が熱くなる。あの人は、確かに次につなげたのだ。
火炎槍の設計図をドワーフから買い上げたとき、まさかこんなことになるとは思いもしなかった。しかし長く生きていればいくらでもこんなこともあるものだ。


起死回生とはこのことだった。
短い仮眠を終えたにその旨を告げ、さてと次なる手段に手を伸ばそうとしたとき、その火炎槍の設計図を秘密工場に届け、密かにその槍を作り続けていたと思ったのだが、彼らはその工場までは足を伸ばしていないという。取次の人間に、設計図を渡しただけで、その場までの確認はしていない。もともと色白気味であるマッシュの顔色が、またさらに白くなったことは、私しか気づいてはいないだろう。そしてそもそも、その工場が未だに残っているかどうかも謎であると。

事務の担当である、さすがのサンチェスであるのなら知っているはずだ、とみなの視線が集まったが、彼も悲しく首を振った。なんせ詳しい場所については、それこそオデッサと工場のものしか把握をしていない。厳重に管理をしていたのだろう。

そのことは悪くもあり、よくもある。もともとオデッサしか知らないのだから、襲われようがない。秘密工場は、文字通りの秘密なのだ。今もたしかに作動している可能性は高い。
ある程度の場所についてはわかっている。北だ。たちも、近くまでは向かったのだ。
なので足が早い者たちが、虱潰しに探すことになると思っていた。なんせそれほど大規模な設備だ。小さな街角に隠れているわけはない。ある程度噂にはなるだろうし、なにもないところから、おばけを探すわけではない。と思っていたのだけれど。



ポンポンポンポン……。

聞いていると、うっかり癒やされそうになってしまう。可愛らしい音に反して、船はぐんぐん進んでいく。「こりゃー爽快だな!」 ガッハッハ、と嬉しげに高らかな声を出すビクトールを目の端に、ため息をつく。

「いい船だ! こりゃー、名前をつけねえとな! タイ・ホー号ってえのはどうだ!」
「アニキ、そりゃまんますぎる……」

伊達と酔狂で生きている男が、着物を翻しながら器用に船を操る。文句を言いながらも、弟分であるヤム・クーは人差し指をちろりと舐め、風向きを探っていた。ずるずると力なく船床に座り込む。ちょっと、おかしくないか?

「坊っちゃん、船の上では何があるかわかりません。適度に水分をとって、日差しを避けてください。ほら、布をかぶって」
「クレオ、過保護にもほどがある」

あのねえ、と先程の私と同じようなため息をつく城主と目が合う。なんでだ。お互い複雑な表情になった。(……前から感じてはいたけど、ちょっと、フットワークが軽すぎやしないか?) ことは一刻も争う。悠長に城でふんぞり返っている場合ではない、と言われれば理解ができる。火炎槍が手に入らなければ、秘密工場を見るけることができなければ、解放軍は、次こそあのテオ・マクドールの前に、塵のように吹き飛ばされてしまうだろう。だからこそ、秘密裏に、かつ、信用のおける人間で向かわなければならない、と軍師に説かれた言葉に、首をかしげた。

船がなければ、北の地に向かうことができないため、比較的参入が新しいタイ・ホーとヤム・クーはわかる。クレオはがそれこそ子どもの頃から面倒を見ているとやらで、常に彼の傍らにいる。ビクトールは……ガハハと笑っていた。これに裏があれば、それはそれで驚きなのだが、それに合わせて、なぜ私が、と空を見上げた。

ゆらゆらと風に流された雲が、空を渦巻いている。潮風がくすぐったい。
正確な場所すらもわからないとなると、ある程度の諜報が必要となる。この子どもの見かけが役に立つことは理解している。このところ、過去の勝手を思い出したとは言え、マッシュもひどく買いかぶったものだ、と奇妙なくすぐったさで、うなじをひっかく。

     ビクトール殿ではないことは、間違いがない

そして、お前もだ。と小さく、まるでこちらに聞かせるように呟いた彼の言葉は、何を意味をするのか。ビクトールは、火炎槍を、初めに声を上げた。私はあのミルイヒの毒を消し去るように尽力した。私がいなければ、と鼻を高くするほど落ちぶれてはいないが、被害が狭まったことは事実だろう。

あの聡明な頭の中身は、様々なものが駆け巡っているに違いない。打つ手がない、などとこちらを誘うようなセリフは、どうにも彼らしくなかった。あのとき、そう告げた彼の細い瞳は、じっとこちらを探るようであった。(まあ、策を巡らせるのは、彼の仕事か) ただ、言葉の裏を読み取れ、と暗にこちらに告げていることには気づいた。


相変わらず、とは気まずい空気を飲み込み、ごうごうと海の風に吹かれる。同行者の中に私を見つけたときの彼は、ほんの僅かだが、口元をひくつかせていた……ように見えた。いくら歴戦を越えてきたと言っても、彼もまだ十代の少年なのだ。お互いに謝罪は終えたとは言え、首元を掴まれた仲である。正確に言えば、締められた、が正しいのだが。

「……そういえば、くん。きみ、俺になにか話があったんじゃないのかい?」
「え、ああ」

テッドが生きている。そう気づいた私は、犬のように駆けて、気づけば彼の前に飛び出していた。気恥ずかしくもなる。わずかに赤くなった頬を隠しながら声に出そうとして、幾度か見かけた、よくグレミオと共にいた女性とパチリと瞳がかち合った。クレオと呼ばれるこの女性と、よくいる男、たしかパーンと言っただろうか? 彼はこの間のテオとの戦いで深手を負い、現在は城にて治療を施されている。旅立つ際に坊っちゃんは俺がお守りせねば悲痛な声を出しながら、年寄りの手を煩わせるなとリュウカンに引っ叩かれていた。私は彼の代わりとも言える。

クレオは、私を見つめ、曖昧に微笑んだ。勝ち気さと優しさが混じり合った女性なのだろう。どうやら、テッドが生きているようで。そう何の気もなしに呟こうとした声が、うまいこと出てこない。どうにも上ずってしまいそうになる。「えー……、あー……」 さきほどあまり変わりない声が出た。そして腕を組んで額を落とした。ぎゃあぎゃあと楽しげなビクトールと、タイ・ホーの声が聞こえる。野太い。

「まあ、そのうち」
「そのうちか」

そう、そのうち。も、特にはそれ以上何も言わなかった。奇妙な気まずさで、お互いへらりと笑った。彼の右手には、相変わらず腹をすかせた獣が、ぐるぐると喉元を鳴らしている。可愛らしい声を出すものだな、と顎下をくすぐってやりたくなった。


2018.11.19