dis- lie
北へ北へ。揺れに揺られて進んでいく。
激しい竜巻も何のその。そういえば出発前に熱い息を吐き出しながらも最後の最後までカチャカチャとエンジンをいじる老人と青年が何やら叫んでいたような気の所為なような。
目指す目的地はキーロフ。石畳が敷き詰められた、石の街である、ということは人づてに聞いたことはあるが、残念ながらその姿を目にしたことはない。“”となる前の、名前もわからなかったそのころは、あまり広く行動の範囲を広げることはできなかった。毎日同じことの繰り返しだ。新しいことをするということは、それだけ危険がつきまとう。死と直結する。ただただその日を生きることに必死だったと記憶している。
テッドと旅をしていた“”とは時代も場所も違うから、ある程度の地理は頭の中にあったとしてもそれが現在と一致しない。
とは言え、ある程度の距離の算出は培った功で理解できる。「そろそろ……ですかね?」 私の言葉にクレオの頭が跳ね上がった。
「そろそろなんだね!?」
「このペースなら1時間ほどでしょうか。水平線との距離から確認すると、かなり近いところまで来ているようですが、海流が激しいですし、あまり速く進みすぎて不審に思われても困りますから」
「い、いちじかんかい……」
ガクリとクレアが船に突っ伏した。ふとなんの気なしに呟いたのだが悪いことをしてしまったかもしれない。ゲラゲラと笑う熊を殴る程度には元気があるらしいが、限界が近づいているらしい。「まあ、船にこんだけ揺られることなんざ、陸のもんにはねえことだろうからな。俺らにとっちゃ、揺れてる方が地面で、陸の上にいるほうが酔いそうになるんだがよぉ」と粋な男はため息を付きながら空を見上げていたが、「そりゃアニキがしこたま酒ばっか飲んでるからだと思うがね……」とつぶやく義弟の声は耳に入ってはこないらしい。
「それにしちゃ、だったか。ちっせえくせにいっぱしの船乗りのようなことをしやがる。水平線から確認だ? そりゃ船乗りが何度も船に乗ってやっとこさわかってくるもんじゃねえか」
「いえ、少しばかり計算の方法を教えてもらっただけで、知ったかぶっての言葉です。お恥ずかしい」
「謙遜しやがる!」
笑いながらも楽しげに勢いよく背中を叩かれた。豪気な人である。「これだけ波に揺られてもケロッとしているしね。初めて見たときはこんな子供がと驚いたけど」 そういえば彼女と初めて出会ったのはあの薄暗い地下でのことだ。あのときはオデッサもいた。クレアは息を大きく吸い込んで、吐き出した。口を動かした方が気が紛れるというのならば、付き合うべきだろう。高速船とは言え、男ばかりの小さな船に詰め込まれて長時間、揺れに揺られ、海に縁のない人間には辛いものがあるに違いない。
私と言えば、まあとても昔の話ではあるけれど、とにかく天魁星についていきたいけれども関わりたくはないという妙に達観した気持ちから、船の屋根裏に住み続けるという暴挙を行った過去があるので、それに比べてば快適そのものである。
「確かに初めてお会いしたとき、疑わしい視線であることは感じていました」
「そりゃね」
くすりと互いに笑ってしまった。は特に何を言うでもなく座り込みながらこちらを見つめ、目が合えば口元を緩めた。大物というのであれば、彼の方こそという気がするが、まあそこはであるし、ビクトールは時折波に跳ねる魚を指差して「今日の晩は魚だな!」と溢れ出る食欲を抑えきれない様子だ。鮭でも自分で捕まえたらどうだろうか。
そうして近づくキーロフに向け、自身の立ち回りについて考えた。軍師に求められていること。なぜ、私が選ばれたのか。できる限り力になろうと、そう決めたのだから。この小さな体を最大限に使って、効率的に。つまりは。
泣き落としである。
ほろり、ほろりと涙をこぼしてみせた。すでに涙腺などお手のもの。女の武器である。いや現在は子供の武器だが。
門番は表情こそは引き結んだままだが、内心困ったものだとため息でも吐きたくなっている頃合いだ。お願いしますと何度か頭を下げたところで唐突にこぼれた涙。自身でも予期もなく。という風に見せかけてみた。「おい嬢ちゃん……」 久しぶりの女子扱いである。このぐしゃぐしゃ頭をよくぞ、こいつ、やるな、と気を引き締めた。おそらく私程度の子供がいるであろう年頃の男性だ。
マッシュは裏切り者を疑っている。
もともと、内通者はいた。でないとオデッサがいた隠れ家が襲撃された理由がわからない。それもかなり内部に精通している、かつ古参の人間だ。細かな情報が漏れることはないが、大きな、ここぞというものが帝国へぽろりと溢れる。通達の数は少ないほどバレにくい。難しい相手だ。私とビクトールはマッシュから太鼓判を頂いた、ということは数少ない人選の中からご期待されたということだ。力の限りやって見せなければならないだろう。
この小さな体ではできることは限られている。秘密工房は、間違いなくこの街の近くにある。けれどもそれを虱潰しに探しているほど私達は暇ではない。かと言って、街中で堂々と聞き込みをするわけにはもちろんいかない。では門番ならば、街を行き来する人間の把握しているはず、と単身で挑ませて頂いた。もちろん秘密工房に勤めているであろう人を教えてください、なんてことも言えないわけだから、そこはちょっとしたふるいが必要だ。
「す、すみません。ここでも知っていなかったら、どうしようかと」
「人探しか? それなら宿屋に行きな。だいたいのやつはそこに集まる」
「違うんです。いえ、そうなんですけど、違うんです」
言葉はなるべくおざなりに。舌が回りすぎる子供は疑われる。こんなものか? と顔を下に向けながら考えて、もう一回鼻をすする。「ち、父を探しているんですけど」 私、毎回こんなだな、と自身の工夫のなさにあきれてしまいそうになったが仕方ない。やはり戦時下と言えば説得力があるし、お涙頂戴がやりやすい。よくある話だ。
「赤月の兵士だったのですが、いざ戦となったら尻込みをしてしまって。家財一切を持ち出してどこへやら逃げ出してしまったんです」
「ああ……」
やっちまったな、とでも言うように兵士はため息をついた。たまにいるよな、とでも言いたげに。「情けない父親です。バルバロッサ様に頂いた恩をお返しすることができず」 ちら、と反応を見てみた。なんとも妙な表情をしている。憤っているわけではない。もしかするとこの街は勧誘がしやすいかもしれないな、と頭の隅で考えながら、こちらに同情的ならやりやすい、とにんまり笑った。もちろん心の中で。
「こんな街の中で堂々とできる人じゃありません。多分どこかに潜んでいるんだと思うんです。父は馬も持ち出しました。定期的に食料を街で買って、消えてく人。そんな人がいればと思い……」 ここまで陳情したあとで、ん? 女の人かもしれないな? と情報を付け足す。「それからすぐに母も消えたので、もしかすると今は夫婦でいるのかもしれないのですが」
もしこの秘密工房の主がキーロフで顔なじみの人間であったのなら難しいが、それでも訪ねて不審に思われることはないだろう。どちらにせよ門番の仕草である程度は予測できる。秘密、と名のつくものを自分と関わりのある都市の近くに建てるとも考えにくい。
工房に必要なものといえば、もちろん材料なのだろが、そちらからのルートを探るには少々時間が足りない。慎重に、また厳重に隠されている可能性が高い。けれども食料ならどうだろう? こちらまで隠すには相当の労力が必要になるし、それに見合う戦果がない。食料の買い込みくらい、このご時世どこも行っていることだ。
馬車はないだろう。あまりにも目立ちすぎる。台車も難しい。ならば馬だ。保存に恵まれた気候というわけでもない。つまりは定期的に補給を行っているはず。
「あ、ああ……」
門番が、視線を泳がせた。これはいるな、と直感がささやく。逡巡している。この程度ならば、と眉間の皺が語っている。「たまに、来るな。こう……ちょびひげの。あとは大柄な女だ」 グッと拳を掲げた。のはもちろん心の中である。
それから門番から大まかな特徴と方角を確認し、ほくほくと得意顔で宿屋に合流したわけだが、一行達はちゃっかり新たな仲間を見つけており、さらにはセイラと言う黒髪の涼し気な瞳をした女性から定期的に洗濯の依頼をしてくる集団がいるとの情報を手にしており、堂々と調査ができないのなら、勧誘ついでに捜索すればいいじゃないというわけで、なるほどそうかいやなんでだよとずっこけた。
毎回毎回、天魁星とはなんでこんなに仲間ホイホイなのだろうか。そういう星の運命だからか。
とはいえ私も無駄撃ちだったというわけではなく、多角的に重ねることでより精密な位置を確認することができた。幸いなことにも、秘密工房は現在も稼働しており、火炎槍を入手することができた。門番曰く、ちょびひげと呼ばれた精悍な顔つきである鍛冶職人、モースは、オデッサの死に瞳を伏せた。大柄な女と言われた女性が、用心棒代わりのロニー・ベルのことだろう。本人は大柄と呼ばれることをめっぽう嫌っている様子であったが。
さすがに大量に製造された火炎槍を運ぶお役目は残念ながら務まりそうにもないため、荷車でえっほら運ぶ隣を偵察役としてちょこまか歩くのみだったのだが、ロニー・ベルがばさばさと髪を振り乱しながら「こんなにちまっこいくせに、いっぱしにちまちま歩くもんだね!」と笑いながら背中を叩いてきた。これに私が小さいことは事実だが、あなたはとても大きいですねと返せば拳がぶっとんでくるんだろうと、口を横に引き結んだ。
怪しいことこの上ない集団であったが、キーロフの門をくぐり抜ける際、あの人の良い門番が「ああ、あのときの!」とすぐさまに声をあげた。
荷車に乗せた大量の槍を、粗末な布をかけ誤魔化してはいるもの、さてどうやり過ごすかとひやひやしたが、「ああ、そういえば、家財一式も持って消えたと言っていたものなあ」 まさかここに結びつこうとは。
見つかってよかったなあ、と嬉しげな声をあげられると、さすがの良心にちくりとくる。というか解放軍の方々の視線が少し痛い。
うんうん、と門番は頷きながらこちらを見つめた。改めての礼の言葉を告げ、そそくさと去ろうとしたとき、ロニー・ベルとモースに向かって、「あんたら、夫婦だったんだな! まったくわからなかったよ!」
のちほど私はロニー・ベルには文字通り締め上げられた。
足が宙に浮いていた。
清純な乙女に向かって既婚者であるとうそぶき大変に申し訳ない、すみません、もうしませんと土下座もうまくなったこの頃、このあまりにも大量の槍を運び込むため、タイ・ホーの旧知の仲である商人に掛け合い、船を買い取ることとなった。そちらの準備さえ整えば、すぐさまこの街を発つこととなる。
夜に船を出すわけにはいかない。動きづめだった体を休めることも仕事のうちだ、とは言うものの、ぐるぐると唸る獣の声に苦笑した。紋章の声はよく響く。彼の目も冴えてしまっているらしい。ふごふごひくつくビクトールの寝息は相変わらずだ。並べた宿のベッドから抜け出してふらふらと月明かりの下に吸い寄せられた。
はぼんやりと外を眺めていた。
考えてみれば、私と彼が二人きりになることはあまりない。彼が私を避けている、ということはもちろん、城に帰ってしまえば、かれは城主で、リーダーだ。おいそれと話ができる立場ではない。
「くんか」
と、はこちらを振り返らずに呟いた。ほう、ほう、と遠くで鳥の声が響く。夜に明かりを灯すほど贅沢に慣れた街ではない。月明かりがほんのりと足元を照らしている。冷たい石畳を踏みしめながら近づく。「おっと、これ以上近づかないでくれよ。こんな夜更けに誰か一人が消えたところで、なんの文句もないだろう」
冗談めかした声で、彼は“右手”をこちらに向けた。ついこの間まで張り裂けてしまいそうな、そんな危うげな影はすっかりと消えていて、彼はその右手をよくよく理解していた。
「明日は早いですよ。大丈夫ですか?」
「そっくりそのまま、同じ言葉を返すよ」
「それはさんがいないから。思わず探しに来てしまったじゃないですか」
軽快な言葉だ。自身でも不思議だった。「喰われるかもしれないのに?」 冗談にもならない。は宿屋の柵に腰をかけてじいっと空を見上げた。もしかすると、潰せてしまいそうなまるいまるい月を指先でつまんでは開く。考えてみれば、彼とは心底腹を割って話したことはない。「明日……」 余計なことを口走ってしまいそうになった。「降伏を」 するわけがない。そのために、槍を集めに来たのだから。明日、彼は自身の父を討つ。
はじっとこちらを見つめた。親というものを、すっかりと忘れてしまった私に、なにがわかるというのか、想像をすることはできても、理解し、咀嚼することはできない。しかし、ふと、言わなければならないと感じた。「ソウルイーターは、親しい魂を喰らうことに力を増す。そうして呪いを強める紋章です」 そうしてテッドは苦しんだ。長い年月を生きた。
はただ、頷いた。理解していた。なんでこんなに強いのだろう。天魁星であるからだろうか。いや、様々な星がいた。この強さは、彼の強さだった。「……テッドは、生きています」 そのうち、と告げたはずの言葉を、ただ自身を和らげるように、叫んでいた。この立派な青年に告げたかった。押し殺した悲鳴が喉の奥を震わせて苦しい。「テッドは、生きているんです」 言ってしまった。
「なぜ?」
ひとこと、それだけだ。
「……あの日、鉄甲騎馬兵の襲撃を受けた日、一本の柱が登りました。あれはテッドのものです。普通の人間にはわかりはしないと思います。長く紋章に慣れ親しんだ人間にしか。でも、間違いありません!」
そこまで畳み掛けるように舌を回した。を見ることが怖かった。力のない、小さな手のひらを握りしめて瞳をおとした。早鐘のように鳴り響く胸を抑えて、ゆっくりと、時間をかけて彼を見上げた。は泣いていた。一粒、涙をこぼして泣いていた。「す、すみません!」
忘れていた。
なぜ、彼を強いと、そう思ってしまったのだろう。青年にすらならない、少年だ。十代の半ばの、ただの少年だ。「いや、いいんだ」 は慌てたように片手で瞳をこすった。まるで先程が見間違いのような、そんな気にさせるほど落ち着いた口調で、首を振った。「いいんだ」 息をついた。
「そうか」と一言呟いた彼を見上げて、私はやっとこさ、を理解したような、そんな気になった。紋章が唸っている。おいで、とは左手でこちらを呼んだ。一歩、二歩。短い距離だ。彼は逡巡した。左手をぽんと頭に乗せてくしゃくしゃと撫でられた。そうしてようやく、自身が嗚咽を飲み込んでいたことに気づいた。ぼとぼとと石畳の上に情けない水滴がいくつもできていく。そのたびには私をなでた。
・マクドールは見事、自身の父を討ち倒した。
鉄壁を誇る帝国軍を相手に、炎を巻き上げ突き進んだと、解放軍の名声は止まることもなく、帝国全土を駆け抜けていったのだった。
2019-09-07