ビクトールが、一体全体、はどこにいるんだ? と首を傾げる少し前。私はネクロードの姿を確認し、すぐさま門の裏手の木々の中へとよじ登った。

     あれは、真の紋章だ

恐らくは月の紋章。過去に出会った吸血鬼の始祖である少女を思い出し、ため息をつく。あの彼女が紋章を自身から手放すなど考えられない。奪い取りでもしたのだろうか、と疑問が湧いたが、長く時間が経っているのだから、紋章はすでにあの男のものなのだろう。あれは私達と相性が悪すぎる。

がソウルイーターの力さえ使えば話は別なのだろうが、彼は必死でその力を抑え込んでいた。ネクロードがこの地方の将軍であるというのならば、倒すべき相手ではあるが、あまりの一方的な力の振る舞いに、たまらずテンガアールは飛び出した。ヒックスは、必死にテンガアールをその背に隠したがだめだった。

さて、と吸血鬼でありながらもさんさんと光る太陽に瞳を細めながら、ネクロードはテンガアールを連れて、コウモリとともに旅立つ。そして私もに片手を振って跳び下りた。さずがのも驚いたような顔をしていた気がする。


珍しいものを見ることができた、と笑ったところで本番だ。
この小さな体が増えたところで、コウモリ達には何の問題もないだろう。しかし振り落とされてはたまらない。コウモリたちを踏んづけながらいそいそとテンガアールに近づく。ネクロードは嬉しげに鼻歌を歌っていた。注意力散漫だ。「ほほっ。あれはソウルイーターではありませんか。昔むかし、転げて逃げてしまった獲物がこの手に舞い降りてくるとは!」 ウィンディ様にお渡しする前に、ちょっとくらい味見しても構いませんよねぇ? と赤黒い舌をちらつかせている。

「あ、き、きみは……?」

やっとこさテンガアールにたどり着いた。コウモリに囲まれるようにして空を飛ぶ彼女の足首を失礼ながら掴ませていただく。「です。テンガアールさん、ご一緒します」 お一人では心細いでしょうと口元だけ笑わせると、彼女は一瞬ほっとした顔をしたあとに、改めて私を見下ろした。それから眉をしかめた。「あ、あぶないよ。なんてことしてるんだ……」 ネクロードに気づかれぬようにと声をひそめていたが、さすがに無理があったらしい。

「誰ですあなたは!」 くるりと宙を翻り、ネクロードは改めて叫んだ。「なんですこのちんくしゃは!?」 ちんくしゃ。


長く生きてきた。ちびだのガキだの様々な形容詞をもらってきたが、あまり記憶にないボキャブラリーで罵られてしまった。若干苛立つ気持ちを抑えつつも、「とてもお強い。あなたに感銘を受けました。ぜひともお近くに仕えさせていただければと」 適当をぶっこいた。

ネクロードはそんな私の言葉をきいて気分をよくしたように一瞬口元を伸ばしたが、すぐさま首を激しく振る。

「このちんくしゃ! この私の目は誤魔化せませんよ。いい加減なことを! テンガアールから離れなさい! 叩き落としてやります!」
「そんなまさか。どうかご容赦を」

ソウルイーターを呼び寄せる格好の餌であるテンガアールをぞんざいにするわけにも行かず、私とネクロードの攻防は続いた。そうこうしている間にも、彼のねぐらであろう城が近づく。あの中にもゾンビがわんさかいるわけか、と考えるとため息が出た。



城にたどり着くと、すぐさま私はテンガアールとは離され、ゾンビ達に連れられた。「よくよく見るとこのちんくしゃ、磨けば光るかもしれませんがいかんせん、私は忙しいのです。さっさと招待状を作らなければ」と、どこからか取り出した万年筆をシャカシャカと振ってインクを飛び散らせている。招待状とは。

そしていま現在、カンカンと押し付けられる釘と攻防しながら、必死で両足を伸ばした。「こ、コラァーーーー!!! 殺す気か!?」 確かネクロードはこのゾンビ達に、時間があればそのちんくしゃも立派なレディーにしてあげますので、くつろがせておきなさいだか伝えていた気がするのだが、彼らの中にくつろぐとは棺の中に閉じ込めるという意味らしい。無理やり押し込められて、蓋の端から漏れる明かりが少しずつ小さくなる。あちらは二人がかりらしいぎぃぎぃと蓋を押さえつけて、もうひとりが釘を打つ。たまに空振って、棺が思いっきり叩かれる。「こらこらこら!」 こりゃいかん。

こちとら、ちびちび言われ続けてきたものの、最近は成長期真っ只中なのだ。ちょっと前までの私と思うなよ、と両足を蓋に添える。空振った瞬間が狙い目だ。空振った。「おりゃあ!!」 思いっきり蓋をぶち破った。

ゾンビ二人は腐った肉を床にこぼしながら、あれ、と首を傾げる。腰に備えた短剣を振るった。元は男性だった彼らの瞳を横に一線。痛みは感じないらしい。ただ潰れた目玉を不思議気に両手で押さえて見当違いの場所に走り、壁に頭をぶつける。ゾンビとなった今、瞳で視界を確認しているわけではないだろうが、どうしても生きていた頃と同じように動いてしまうようだ。ネクロードさえ打ち倒せば、ただの肉となってしまう体だろうが、むやみに傷つける必要がないのならそれにこしたことはない。



城の中にはこれでもかとオルガンの音が鳴り響いている。頭がおかしくなりそうだ。てくてくと歩き回るゾンビをかわしながらも、私はテンガアールを探した。さぞ心細い思いをしていることだろう。勇気のある少女だったが、震えていた指先を思い出すと、自然と足が速くなる。

上に、上にと進んでいくと、ドアの隙間からひっそりと明かりがこぼれている。「出ていってくれよ! 一人で着ることくらいできるったら!」 何事かと確認すると、ネクロードがいるわけではないらしい。うごうごとなにやら呟いた、ドアの外に押し出されたゾンビが、かくんと首を落とした。まさか返事だろうか。ゾンビが部屋から消えたことを確認して、軽く扉をノックした。部屋の中でガタガタと音がする。逆に驚かせてしまったかもしれない。「失礼」 部屋に入るとこっちが驚いた。

「ど、ドレス……?」

記憶の中にあるものと相違がなければ、ウェディングドレスだ。たっぷりとした布と刺繍をふんだんに使ったそのドレスは、今どき着る人間と言えば金持ちの貴族くらいだろう。それから私を見て、「き、きみ! 無事だったんだね!」 部屋の端で、固く身構えていた体を和らげ、彼女はホッとため息をついた。
安心させるつもりでついてきたが、すっかり不安がらせてしまっていたみたいだ、と頭をかいた。

です。テンガアールさん、その、その服装は一体……?」
「テンガアールでいいよ。よくわからないけれど、結婚式をするとかなんとか……僕で70人目だって言っていた」
「そ、そうですか」

そういえば招待状がどうとか言っていたような。聞けば、はじめから着ていた服はゾンビにとりあげられてしまったとのことで、テンガアールは悔しげにドレスの裾を持ち上げる。「でも! ちゃんと武器はちゃんと隠しておいたんだ!」 ほら! と服の内側から投擲用の針を取り出す。あらまあ、と関心したつもりだが、テンガアールにはそうは受け取られなかったらしい。その小さな武器を心もとなく握りしめた。

「きみも、女が戦うだなんて、おかしいと思うかい? こんなちっさな武器をしこんでさ……」

なにを一体、と首を傾げた。そしてふと、彼女の村を思い出した。男たちと比べ、女達は水仕事に荒れた手はしていたが、優しげな手をしていた。今まで様々な戦う女達を見てきたが、それでも男に比べ不利な点は少なくない。村としてそういった形をとっている中で、テンガアールは肩身の狭い思いをしてきたのだろう。

「……私も、女ですよ」
「えっ、あ、そうか、そうだよね」
「といいますか、解放軍には女性で前線に立っている人間は、まあ、やまほどいますね」
「そうなの!?」

もちろん男よりは少ないですが、と前置きする。「女は、どうしても力の差がありますし、ある程度したら子を宿すものもいます。男と比べると、戦いに適さないものも多い。とは、思いますが」 テンガアールは、ゆるゆると瞳を下げた。「ただ、これはあくまでも大多数の話でして。個人で考えると、また別かと」

少なくとも、あなたはとても努力した手をしている、と彼女に告げると、少女はハッと瞳を見開いた。これは毎日剣を握っていた手だ。けれども投擲を選んだのは、隠し持つ必要以外にも、自身の力のなさを補おうとした結果だろう。

テンガアールは、じわじわと耳の裏を赤くした。可愛らしい少女だった。



***



「できれば、脱出できるに越したことはないんですが……」
「そう甘くはいかないよね」

テンガアールが達をおびき寄せるための餌だとしても、あの男のことだ。いつ“つまみに”来るか、わかったものではない、とすぐさま私達は部屋から抜け出した。テンガアールは歩きにくいドレスを引き裂いて裾を短くする。短くなっても可愛らしいが、少しもったいなさを感じているところもあるらしい。「誰かに見て欲しかったのですか? たとえばあのヒックスという少年とかに」 と試しに問いかけてみると、「そうだねせっかくだし……って何を言わすんだよ!」 と背中を思いっきり叩かれた。

城の中には幾人ものゾンビが徘徊していたが、いうなればあれは月の紋章に操られたものたちだ。近づけばはある程度なら把握できる。
ゾンビ達を避けながらも、私とテンガアールは城の門へと近づいた。ただ残念なことにも、強固な結界がはられていた。私達の扱いが杜撰な理由も、これを抜け出すことがないと自信の現れだろう。空中に手を伸ばすと、ひたりと硬い何かがある。

結界とは、条件を限定すればするほどに硬くなるものだ。見たところ、これは一部のものの侵入のみを許可している。恐らく解放軍のみ条件を緩めているのだ。そうすることで、さらに精度をあげている。そして入ることはできても、出ることはできない。ため息が出た。


「まあ、解放軍としてはネクロード本体ではなく、周囲の兵力をそそぐだけでも問題はないんでしょうが……」

つまり、助けは来ない可能性もある、ということだ。「ヒックスは、絶対に助けに来てくれる!」 そう呟いた私に、テンガアールは強く拳を握った。「……たぶん」 でも意外と弱気だった。涙で顔をぐしゅぐしゅに濡らしながら、彼女を必死で背中に隠していた少年を思い出す。ぜったい、ぜったいにテンガアールをわたさないぞ、と回らない舌で、必死に自身を奮い立たせてそれでも恐怖に涙をこぼしていた。最後の最後まで、彼は彼女を助けるから、待っていてくれと力の限り叫び続けていたのだ。

ふと、口元から笑みがこぼれた。不思議気なテンガアールに対して、「失礼」と片手を振る。「そうですね。彼ならば、そうなのかもしれない。うちのリーダーも、かよわい女性を見捨てる男ではありません。なんにせよ、ネクロードは打ち倒すべき敵ですから」

それならば、と空を見上げる。月の光がこぼれ落ちていた。



     籠城戦、でしょうね」



***




「おやおや、小腹が空いたので、ちょっと覗きに来てみれば、いつの間にやら勝手に抜け出してしまったのですねぇ」

癖の悪い花嫁だ、とコツコツと足音を立てながらも回廊を歩く。壁にかけられていたランプからは、ほとほとと明かりがこぼれていた。夜になると、ゾンビたちが必死で肩車をしながらひとつひとつに火を灯していく。ときおり、「ひぎゃあ」と悲鳴を上げて、焦げた片手を必死に地面にこすりつけている姿も見た。

「ちんくしゃもご一緒とは。まあ結構。どちらでも構いませんので、少しだけ、かぷりと     首元に牙を立たせていただいてもいいでしょうか? 村々から若い女を集めすぎたものですから、最近はすっかりご無沙汰で」

乾いて仕方がない、とでも言うように、大げさに喉に手を当てながらぎらぎらと男は瞳を赤くする。「私から血を吸われるのですからね。もしうっかり吸血鬼にしてしまったら、どうしましょうか。一生私にかしずいていただきましょうか?」

わざとこちらに恐怖をいただかせるように、ネクロードは両手を広げ微笑んだ。私は思わず肩をすくめて、「何をおっしゃいますか。吸血鬼から血を吸われれば、その者も吸血鬼になる。そんな迷信を、とうの本人からきかされるとは」 ふるふると首を振る。

ネクロードはぴくりと片眉を上げた。「……迷信、とは?」「血を吸うのではなく、与えるのだと、とそうきいたことがあります」「それはどこから」 もちろん、吸血鬼の始祖から、とは言えず、口元に笑みを作る。ネクロードが歩を進める速さが変わった。一歩、一歩、慎重にこちらに近づく。そうだ、もう少し。


「あなたは、月の紋章を宿している。それは一体どこからですか? 私の記憶が正しければ、それは別の少女が保有していたはず。彼女があなたにそれを渡すはずがない」

なぜなら彼女は小さな村を守っていた。静かに、静かに。紋章の力で多くの者の魂を癒やしていた。「あなたは……」「でも見たところ、あなたはその紋章に“嫌われている”みたいだ」

紋章にも意思はある。特に、真の紋章には。「一体、何を!」 ネクロードは激高した。カッと口を開き、その尖った牙を見せつける。「テンガアール!」 今です、と叫んだ。テンガアールは、隠し持った針をすぐさまネクロードめがけて放じた。彼に、ただの武器を使ったところで何の意味もない。できるはずの傷はすぐさま黒い蝙蝠となり崩れ落ちては修復する。

「どこを狙って……ぎゃ、ギャアアア!!!!!」

たまらずネクロードは瞳を押さえた。「今のうちに逃げますよ!」「うん!」

テンガアールが狙ったものはネクロードではない。ただの壁のランプだ。ぶつけたガラスは砕け散り、中の炎がひらひらと踊る。そのただの炎がつく痛みに、ネクロードはたまらずまぶたをかきむしった。


「で、でもなんで? あいつ、太陽の下でも平気だったのに!」
「まあ、そこはちょこっと。なんたって、あの人は月の紋章に嫌われているみたいですからね」

通常の紋章ならば、ある程度魔力の操作はできるが、それが真の紋章となるとそうはいかない。ただ彼は、自身に宿していた月の紋章に徹底的に嫌われていた。この男から離れたくて、離れたくてたまらない、と紋章はただただ叫んでいたものだから、それならばとちょいと力を貸してやったのだ。今のネクロードにとってはただのランプの明かりでさえも、強烈な光となって感じるだろう。昼間に出会うことができれば一番だったのだが、さすがにその時間帯には用心しているらしい。
本体にはなんのダメージもないだろうが、目にわさびを塗りたくったくらいの、ちょっとした嫌がらせくらいにはなる。

怒り狂った吸血鬼の声が響く。私とテンガアールは、ただただ駆け抜けた。気づけば広場にたどり着いていた。行き止まりだ。壁にはランプがゆらゆらと燃えている。丁度いい、と迎え撃った。


「この……小娘どもがッ……!!!」

体をふらつかせながらも、ネクロードは一歩踏み出した。そして拳を握った瞬間、部屋中のランプの明かりが消えた。「あ……ッ!」 テンガアールが体を震わせる。「殺してやります!」 これがこの吸血鬼の本性だろう。

頼みの明かりも消えてしまった。窓からの月明かりが部屋を照らす。「テンガアール、伏せて」 武器が通じなかろうと、突破口はあるだろう。腰にさした短剣に片手を添える。「、違う、ちょっと待って!」 逃げなさい、と告げる前に、彼女はなにやらあたふたと右手を振った。ネクロードは飛び上がるようにして牙をこちらに向ける。そのときだ。「かえんの、矢……!!!」

吸血鬼のひび割れんばかりの悲鳴が聞こえた。さすがに驚いた。目が丸くなってしまう。「で、できた……」 テンガアールの右手には、見覚えのある紋章が刻まれている。月の紋章の気配に阻まれて、まったく気づかなかった。

「テンガアール、あなた……」
「ゾンビには、火が苦手かなって、念の為つけておいたんだけど」
でもほんとにできた、と彼女は自身の右手を何度も見つめた。

知らず、口元がほころんでしまう。「すばらしい判断です」 考えて、考えて、勇気を振り絞って、彼女はここまで来たのだろう。どうやら彼女には魔術の才があるようだ。「で、でも、多分僕、火炎の矢は多分何度も使えないよ…!」 もちろんそうだ。一端の魔術師でさえも、紋章はそう何度も使用できるものではない。「ええ、蛍火で結構です」 ほんのりと灯す程度でも、今のネクロードにとっては十分だろう。

吸血鬼はひくひくと額に血管を浮きだたせ、ひたすらに怒り狂った。いくらか月の紋章に力を貸しているが、所詮はただの誤魔化しだ。宿主の意思には敵わない。じりじりと魔力が尽きていく音がする。テンガアールと私の魔力がつきることが先か、それとも達が駆けつけるのが先か。


「やってやろうじゃありませんか!」




2019-10-12