今頃テッドは大丈夫なのだろうか。
安静にしてくれているといいけれど、意外と動きたがりだし。気にはなるけれど、確認しようにも近づく勇気もない、といつまで経っても上がらない大砲にもんもんと頬杖をつき始めた頃、たんっと細く、長い柱が空へのぼっていく。「え……?」 たんっ、たんっ。予定では一本のはずだ。なのにたて続けに三本。
「ど、どういう……?」
予定とは違う。そのまま意味を読み取るのならば、進軍せよ。そんな馬鹿な、と混乱したまま顔面に手を当て、周囲を把握しようと瞳を動かす。すると意外なことにも、シーナは落ち着いていて、呆れたように声を落とした。「いや、行けってことだろ? まあ、ここなら北の関所だろうな」
「いえ、ですがこれは訓練で……」
「馬鹿じゃねぇの。訓練だったらこんな近くまで俺たちを配置しないだろ。あっちに視認されてもおかしくない距離だぜ? ここで待っとけってことは、暗に理解しろって意味だろ。俺でもおかしいと思うくらいだ」
言葉をなくした。
確かに彼の言う通りだ。普段の自分なら、すぐさまにマッシュの思惑を理解し、行動していたはずだ。スパイがいる、とそうほのめかしていたではないか。これはその裏をかこうとした彼の奇策だ。なのにこの体たらく。訓練だとぼんやりとして、テッドのことばかりを考えていた。そう気づくと、ひどく赤面した。惚れたはれたに一喜一憂する年でもないだろうに、いや外見はそうなのだが、羞恥に前を向くことができない。「おーい、おい? そんな恥ずかしかったのか?」
「い、いえ大丈夫です。しっかりせねば。落ち込んでいる暇などない」
「よっしゃよく言った!」
そして思いっきり尻を叩かれた。思わず跳ね上がって尻を押さえて、シーナを睨む。「よし、これで尻を叩いた恨みはなしだ」 にぎにぎと右手をいやらしく動かしているものだから、ぞぞっと逃げた。「おいなんだ。こんなちいせえ尻、まったくもって興味ねぇぞ」 あと数年、色っぽくなってから出直しな! とビシリと指をさされて、正直どうでもよくなった。
今更尻などどうでもいい。北の関所のものたちも、解放軍の動きを理解している。くん、匂いをかぐ仕草をして、数を数える。いち、にい、さん。マッシュに数を伝えるすべがない。彼は私に言外に告げていたのに、私はそれを汲み取ることができなかった。仕方ない。
「シーナさん、紋章をお借りします」
「お、おう?」
「もしかすると死ぬほど痛みはあるかもしれませんが、死にはしません」
お前、何をしでかす気だ、とシーナは言葉を震わせた。以前彼の紋章を無理やり行使したとき、あまりの熱さに悲鳴を上げていた彼を思い出した。「………よくわからんが、さっさとこいっ!」 なのに彼は勢いよく右手を突き出して、ぐっと歯を噛み締めた。死ぬほど努力した、という彼の言葉に嘘はなかったのかもしれない。苦笑した。「大丈夫、ちょっとした、伝令を飛ばすだけですよ」
シーナの右腕を掴む。あふれる彼の魔力を押さえ込んで、無理やり紋章を引き離す。熱が辺りに充満し、空気が歪む。「受け取ってくれそうな人には、心当たりがありますから」
真っ直ぐに、炎が突き刺さった。
ちりちりとした熱気が彼の頬を撫で、吐き出す息も重苦しい。「馬鹿が……」 下手くそな伝書鳩だ。誰のものか知らないが、無理やり引き離した紋章を、自身めがけて突っ込ませた。風の紋章で軌道を変え、地面に突き刺さった炎がそよ風ばかり残して四散する。風があれば、読み取りは容易だ。緑の法衣が小さく揺れた。
「あいつ、あとでまた
ぶったたく」
結論から言うと、苛立ちながら舌打ちをした少年の杖で、頭をぶっ叩かれた。「いいかげん、そろそろ紋章の一つでも宿してくれる? 僕をこき使う気ならぶったたくって言っただろう」 いや言ってはいないが、とりあえずルックの怒りが噴出していることは理解しながらも、よたよたと作戦室に向かっていく。北の関所を越えることができた。ならばこれを踏み台にして、いよいよ本命のカシム・ハジルというわけだ。
さて一体どんな手はずになるか、と考えながら歩を進めていると、心臓が飛び跳ねるかと思った。壁にもたれかかっていたテッドが、私を見て、ふいにこちらにやってきた。後ろを確認して誰もいないと把握したものの、何をすればいいのかわからずパクパクと口を何度も動かす。「お前……」 懐かしい声だ、と思わず瞳を細めた。
「なんだろ?」
「……ハ」
声が出ない。なんで。わかってくれてるの。そう呼んでくれるの。複雑な言葉が混じり合って、返答することができなかった。とにかく喜んだ。なのにテッドの言葉の意味は違った。「だから、他のやつらにも呼ばれてた。じゃなくて、ほんとはって名前なんだろ」「……そうですね」
そう都合のいいものではないらしい。テッドはため息をついて、顎を動かす。「まあ、それはいいけどな。に中々会えねえもんだからな。お前、この城の軍師の場所を知ってたら連れてけよ」「なぜですか……?」 聞いたところで答えてくれる気はないようだ。
もしかすると追い返されるかもしれない、そう伝えて、私は彼を案内した。もともと行く予定もある。終始テッドは無言で、ひどく奇妙な気持ちだった。この体で会うのは初めてだから、何度もきいた声のはずなのにひどく新鮮で、気を抜いてしまえば嬉しくてたまらなくなる。「おい、」 だから名を呼ばれるだけでも満足だった。なんでしょうか、と返事をして、以前とは遠く、遠く、とても離れてしまった彼の瞳を見つめた。
「お前が、の記憶を持っていても、今のお前は、俺にとってはただの他人だ」
俺のは誰でもない、あのだ。こんなガキじゃない。
そう言った彼の言葉でさえ、どこか嬉しくて頷いた。私のことを、忘れないでいてくれたんだ。
部屋に入ってみれば案の定、作戦会議の真っ最中だ。「、遅いじゃないか」とフリックが眉根を寄せたとき、同時に入ってきたテッドを見て、途端に表情を歪めた。「病人のガキが来ていい場所じゃないぞ」 いくらリーダーの友人っつってもな、とどこか棘のある言葉に、が肩をすくめた。テッドは意外なことにも堂々として、フリックの言葉もそのまま流して、の隣に立つマッシュを軍師と理解したのか近づく。
「あんたが軍師か。俺も今回の作戦に加えてくれって伝えに来たんだ。タダ飯ぐらいは趣味じゃない」
「おいおい……」
呆れたようなフリックの言葉に、ふんとテッドは左手を見せてぶらつかせる。
「水の紋章を宿してる。適当に体に魔力を循環させときゃ、普通よりも回復は早いんだよ」
そんなことができるのか? とざわつく作戦室を見ながらも、まあできるのはテッドくらいなものだろう、と以前の彼を思い出した。彼は特に魔力に恵まれたわけでもない。それでもあのウィンディから逃げ切って生きてきた理由は、とにかく器用な男だからだ。とは言っても、無理をしているだろうに強がっている様子だ、とは言わないでおいた。
「様の親友だときいてはいますが……」
マッシュも決めかねているのだろう。見てくれはただの少年だ。は何も言わない。むしろ面白げな顔をしているようにも見える。「おい」 テッドは面倒くさげに、私の向かって手を出した。「ナイフ、貸してくれ」 お前なら持ってるだろ、という言葉をきいて、慌てて隠し持っていた一本を彼に渡す。それをすぐさま構えて、放り投げた。
何人かが、腰の剣に手を当てた。誰に向かってでもなく、見当違いの壁に突き刺さったものだから、その内の幾人かが失笑した。そうしたあとで、はっと息を飲み込んだ。そうだ、石の壁に刺さっているのだ。まさか私のナイフがこの頑丈な壁を削ったわけでもない。ナイフが一本、広い壁の中の僅かに欠けた薄っぺらい隙間の中に、突き刺さっている。得意の武器でもないくせに、正確すぎる投擲だった。
「言っとくけどな、こちとら300年這いずり回って生きてきたんだ。戦争なんて、くそほど体験してきてんだよ。ここにいる誰よりも長生きのジジイだってんだ。わかったか、このガキンチョどもめ」
静まり返ってしまった。たまらず笑ってしまったの声ばかりが響いている。ふん、とテッドはふんぞり返った。
こうしてテッドは、レパントと共にドゥーハの砦を攻めることとなった。私はハンフリーとラカンの砦に向かう。同時に2つの砦に兵を向け、本命から目をそらさせる役割だ。
テッドは大丈夫なのだろうか? そればかりが気になってしまう自分の頬を力の限り叩いて、進軍する。私達は見事戦果を成し遂げ、残るはシャサラザードとクワバの城塞、2つのみだ。
2019-10-23