08What's the matter? You look sad
この人の名前を知らない。
そう気付いたのは彼のお世話になって結構たったある日だった。なんてことだ。
。私の名前は言った気がする。おい、と呼ばれた後、「です」と言ってみた。けれども、すぐに、「お前」と呼ばれてしまった。特にそのことに違和感を持たないでいたから、その人の名前を訊くのも忘れてしまった。なんてことだ。
今更なことに気付いて、訊こうにも今彼は宿にはいなかった。何をしている人なんだろう。この頃考えることが多すぎて、思考が追いつかない。他のことを考えていると、またまた他のことを忘れてしまったのだ。
あの人は恩人で、私の面倒を見てくれている。なんでだろう、と考える前に、「まぁ女の子だし」と、彼は何度も私に言った。ジェントルメンなのだろうか。その割には親切だ。言葉数も少ないので、怒っているかのように感じるけど、そんな訳ない。そうだったら、私をいつまでも宿においてくれている訳がない。少なくとも彼はいい人なのだ。と、考えるのが世間知らずな私の考えで、男が女に求めることは一つだ、ということもこの頃気付いてきた。
けれども彼は私にそんなことをしようというそぶりも見せないし、そもそも「色気がない」と何度も渋い顔をされているのだ。じゃあ……まぁ……大丈夫かなぁ、と考えて、いつまでもこの好意に甘えているのはよくない、と思う。けれども彼は私の面倒を見てくれている訳で、それを申し訳ないと延々と考えることこと申し訳なくて、でもそう考えないと、人格的にどうかと思うしで延々。延々。
おかしいと思う。私は部屋の隅のベッドで体育座りをして、彼の帰りを待った。そろそろ夕焼け色が窓の外からゆっくりと流れてきて、ふと、外の風景を見てみる。別世界だ。今まで考えずにいたことを、あえて考えてみた。
ここは別の世界だ。
ときどき、武器を持っている人が道中を歩いている。馬がかぽかぽと道を歩き、風変りな服装を着た人たちの外見は、さまざまで、いさかいが起こったと思えば、片方の男の手から、真っ赤な火柱が立った。ごぐり、と私が唾を飲む間もなく、どこからか水流が巻きあがり、火柱を立てた男はびしょびしょになりながら喚き散らし、そのままひっ捕まえられてずるずると去っていく。
別の世界だ。
前に、彼と外に出たときも、不思議な気持ちがした。どこか、私と住んでいた世界と違う、気がする。
私はもう一度、体育座りをきゅっとして、変な部分で、静かに落ち着いている自分の気持ちに気付いた。この服は、あの彼のものだ。買ってくれたものもあるけれど、一着だけじゃあな、と彼は呟いて、私に自分の服を投げつけたのだ。「ま、女の子だし」 そのときまた、そう言っていた。
その彼の服を、抱きしめている。彼のにおいが、するような気がする。落ち着いた。私は、とても運がいいと思う。もう一度、彼の服を抱きしめて、きゅっと顔をうずめていると、ドアの外から声が聞こえた。『シーナ、この頃付き合い悪いわね』
女の人の声だ。
『悪いって。だから今日は埋め合わせな』
いつもとちがって、軽い喋り方をしているから分かりづらいけれど、これは彼の声だ。びくり、と心臓だけじゃなくて、体中が飛び跳ねたような気がした。シーナ? それが彼の名前なのだろうか。妙な響きだ。会話は続いている。
『そう言って、また帰る。もう少しいいじゃない』
『また今度、な?』
『でもそろそろ、別の街に行くんでしょ』
頭の中が、真っ白になったような気がした。
そうだ。彼にも彼の生活があるにきまってる。なのに私は何をしているんだろう。真っ白になった頭は真っ赤になって、とてもとても恥ずかしくなった。
どうすればいいかわからないから、暫くここにいさせてもらおう。彼が何も言わないのをいいことに、そう都合良く頭の中で考えていたのだ。『まぁ、そうだなぁ、そろそろ、次の街だよなぁ』と言う、彼の声が聞こえる。
開いたドアの向こうで、シーナさんは驚いたように目をぱちくりさせた。「起きてたのか」と言う。私はのそりと頷いた。ふうん、とシーナさんは呟き、さっきまでの私と同じように外を見た。
「そろそろここ、出ていくつもりなんだけど」
ふいに、呟いたセリフは、終了宣言だった。私はまたのそりと頷き、今までありがとうございます、という意味をこめて、「わかりました、ありがとうございます」 としっかりはっきりと言った。
この頃自分はおかしい、気がする。おかしい、俺絶対おかしい。女の子だし、女の子だからこんなに俺は変になっているのだ。そう自分へ言い聞かせても、やっぱり変だ。
ベッドの上で体育座りをする。思わずじっとそっちを見ていた。視線をするする下げてみる。俺の服を着ているは、上の服だけでだぶだぶで、ズボンは着用していない。つまり、ちらりと太ももが見えるのだ。太もも、太もも、太もも。いい響き。いやいや俺。ちらり。よし、見えた!
…………いやいやいや、自分自身の思考に泣きそうになった。どこの思春期の坊ちゃんだ。今更女の太もも程度でにやにや……するけど……もっと思い切っちゃていいんじゃない。とか思う。どうにもおかしい、俺は。まぁ確かに女の子の大半は可愛いと思うけど、何故だか体が動かないのだ。
いつものように思いっきりアピールして、いつものように思いっきり振られてしまえばいい。けれども次の女の子がいるさ、もしくは振られてもいいじゃんアピールアピールこれぞ若さ! なんて思っていたはずなのに。おかしい。に声をかけようとすると、どうにも口がうまく回らない。なんだか俺、感じが悪い。
あれからだ。をひきつれて、ずるずる外を歩いたあのときだ。あのときから、なんだかドキドキする。動悸息切れ。落ちつけ。落ちつけ。もう一回太ももを見てみよう。ちらり。「……あの、何か」 訝しげな目で見られた。「……なんでも…………」
いっそのこと、押し倒しちまえ!
一つの部屋なんて美味しすぎるシチュエーションだ。寧ろ今までそういう関係にならなかったという方がおかしくないか? だってわかってんだろ。いい年こいた男と女が同じ部屋なんだ。嫌がられても問題ない。こういうことを言うのはなんだけど、人並み以上に経験はつんでいるはずだ。「イヤイヤいって、こっちはそんな風じゃないぜ……」 これくらい普通に言えるし。
シミュレーションOK。押し倒す。それくらい軽すぎる体格差だし、筋力差だ。のっそりと俺は立ち上がって、ベッドの上に座るを見下ろした。はきょとりと不思議そうな顔をして首を傾げる。「あの?」 のそっと、その上から覆いかぶさろうとした。……抱きしめたらすっぽり入りそう。
「…………」「あの?」「…………そろそろ腹が減ったよな」「え、うん」
自分自身頭を抱え死にたくなった。
無理やりは駄目だ、うん、無理やりは駄目だよな。俺、今までどうやって、女の人口説いてきたっけ。そもそも俺、のこと、色気がねぇなぁ、なんて思ってたはずなのに。
動悸息切れ。
もう途中から考えるのもめんどくさくなって、ちらちらの太ももを見る作業に熱中することにした。まぁ別に、これから時間はたっぷりある訳だし。
そもそも俺は遊学として色々な場所をぶらぶらと移動している。金に困ればモンスターから力任せで強奪すればいいし、用心棒なんかで働くのも結構楽しい。キレイなオネーチャンの用心棒だったなら、またまた嬉しい。
今回は結構長くこの街に留まったけれども、そろそろ次の街だ。なんでだかわからないけれど、思いっきり追われていたは一応用心のため、あんまり外には出せなかったけれど、次の街なら問題ない。街の門の警備もそろそろ甘くなっているだろう。
よしよしと俺は簡単に荷物を整理していると、もそれに習ってか、唯一彼女が持っていた鞄の中に服を詰め込んでいた。それなに? と訊いてみたら、ツウガクヨウカバン、と答えられたのを覚えている。別にそんなに荷物を持ってる訳じゃないんだから、別に荷物整理なんてする必要ないのになぁ、と思ってを見てみると、何故だか無意味に時間をかけて、何度も何度も荷の中身を出しているように見えた。
そういえば、彼女用に日用品もそろえないといけない。
「よし行くか」と俺は立ち上がった。は何故か覚悟を決めたような表情で、うんと立ちあがった。初めに俺が買ってやった服を着ている。すでに金は払っている宿を抜けると、は随分恐縮したような態度で小さくなっていて、とりあえず馬車だな馬車俺一人ならともかく、と一緒なんだから、とちらちら道中を探していると、が、「あのう」と随分小さい声で、話しかけづらそうにこっちを見た。「ん?」
「あの、今まで、ありがとうございました」
「ん? うん。馬車みつかんねー」
「あの……?」
「あ、うん、わかったわかった。今忙しいから、またな」
「……あ、はい」
みつかんねー。どっかで予約しときゃよかった、と思いながら道へとぐるぐる視界を回していると、その中にの背中が見えた。どんどんと遠くなっている。ん、あれ!?
俺は慌てて走って彼女の腕をつかむと、少し泣きそうになっているが「え?」という感じでこっちを見ている。いやいや、「え?」なのはこっちの方だ。何してんのお前、「わかった腹減ったのか」
なるほどちょっと待っとけ、なんか買ってくるから、と言えば、はますます変な顔になって、「ええ?」と首を傾げる。「いや、私さっきありがとうございましたって」「いやだから俺わかったって」「え、ええ?」「ううん?」
よくわからないけれども、お互いどっかかみ合わない。
俺は暫く目をつむって考えると、ぴん、と考えついた。「お前、どっか行く気なの」
は、まるであったり前だろう、という顔で不思議そうな顔をする。ちょっと待ってくれ、「お前、」行く場所ないんじゃないのか。だから俺と一緒に行くんだろう。
そこまで考えた後、俺はと次の街へ行くのが、当たり前のように考えていたことに気付いた。だって人間なのだ。目的くらいある。俺の所有物じゃない。そこまで気付いたとき、あっと盲点を突かれた気がした。なんてこった。
何が時間がたっぷりあるだ。俺はの手を放して「いや、悪いな」と言った。なんとなくその手を放しづらかったのにも驚いた。「いや、あの本当にありがとう」 気付いたらちょっとの敬語が消えていた。なんとなく新鮮な気持ちになった。「いやいや」 そう俺は言って背中を向ける。そのまま進む。よし、馬車を探そう。
ぐるぐる道の中の馬車を探した。そして何秒か立って、俺はまたくるりと反転した。小さくなっているの背中へとまた追いついて、「待て待て」との手を掴んだ。何をしているんだろう。
「、よかったらでいいんだけど、次の街、一緒に行かないか」
は驚いたように目を瞬いた。何をそんなに驚いているのか、と気付いたとき、、と声に出したのは、初めてだったかもしれないことに俺は気付いたのだ。そうすると俺は途端に恥ずかしくなって、なんて呼び捨てにしてよかったのか、ちゃん、とか言えばよかったかもしんない、と後悔したけれども今更遅い。
俺はの反応をじっと見ていると、「シーナさんが、そういうんなら、凄くありがたいけれど」 とは言った。
何故だか物凄く照れたのは、に名前を呼ばれたが初めてだったかもしれない。思いっきり照れたもんだから、一瞬声が出なくなった。そのことには訝しんだらしく、ちょっと顔が暗くなる。いやいや、と俺は唇を噛み、「おう、問題ない!」 おし!
俺は力いっぱいの手をつかんだまま、歩き出した。逃げるんじゃないぞ。そう思う俺は、時間なんていっぱいあるなんて思ってはいけないことに気付いた。
時間がもったいない。全部を有意義に使わないともったいない。力いっぱいを感じないともったいない。
唐突に気がついたのだが、俺はこのが好きらしい。
なるほど、と気付いた時には遅かった。なんてこった。
動悸息切れ。今度はもうちょっと近くで太ももを見てみることにしよう。
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執筆日 2010/08/05
書いてて恥ずかしくて悶え死にそうになった。
「イヤイヤいって、こっちはそんな風じゃないぜ……」
う、うおおおおおおおお!!!!
トップに注意事項追加。
太ももちらちら見るのはスケベだよね、スケベだよ……ね?
あと一話過去編