13Good luck!
何が起こっているのかわからなかったということが本音だと思う。
残念ながら、この年になるまで彼氏というものにお目にかかることがなかった。もちろんそんな体験をしたことがなかった。なのでこれは初めての経験である。お初である。多分少々混乱している。少々どころではなく混乱している。どうしたんですか、と訊かれると、
シーナとキスしている。
正確に言えばシーナにキスされてる。
取りあえずよくわからないけれど、こういうときに目を瞑るということがマナーだということくらい知っている。だから混乱するままに、というかシーナの顔がとても近くにあるという事実に耐えきれず、私は即座に目を閉じた。そんなことをしたもんだから、唇に感じる感覚がより顕著に分かってしまう。押し当てられている。唇が押し当てられている。たったそれだけのことだというのに、腰からへたへた力が抜けていきそうだ。
シーナの匂いがする。男の人の匂いだ。なんだか慣れない。不思議だ。長い時間唇が押し当てられていたと思うと、ちゅっちゅっちゅ、と今度は鳥みたいについばまれて、気付くと体があったかかった。なるほどシーナに抱きしめられているのだ、と分かったときには色んなものが頭からぷしゅりと抜けて行く。
くたくたになるほどついばまれて、唇の先がほんの少し湿った。あ、舌だ、と思ったときには唇をぺろりと改めてなめられる。びっくりしてほんの少し口を開くと、そのままにゅるっとした舌が口の中に侵入してきて、ここら辺りで私はンン!? と意識が戻り始めた。よくわからんがこのシーナさん、思考がぶっとびはじめてるそ、おかしいぞ!?
シーナさん、ちょっとシーナさん、シーナったら!! とどしどしシーナの胸を叩いて主張を始めようとしても、腕の力はへたへたしてて、シーナの服をぎゅっと握るのも困難だ。その間にもにゅるっとした物体が私の舌に絡んできて、今度は人の舌をちゅっと啜ったかと思うと唇をはむりとくわえてくる。また私の思考が真っ白になり始めるのは仕方がないことだと思う。もういいかー……と何がいいのかわからないままにシーナに体をまかせてしまって、だから人様の体をごそごそと探るシーナの手に気づくのが随分遅れた。
さすがにそこをぎゅっと握られてしまったとき、パチリと私の頭の中で火花が散って、「こ、コラァー!!!」と呑み込んでいた悲鳴が嘘のようにはっきり飛び出す。「セクハラ通り越してセクハラだぞ!!!????」 自分でもよくわからないぞ!?
さすがにあわてたのか、シーナは手を私の背中へと回して「ハー…………」と深いため息をついた。気のせいか、どこか満足げなため息だった。どうコメントしたらいいものか、私が押し黙っていると、「あっ!!」とあわてたように私から体をはなした。けれども背中にまわした手はそのままで、はなしたと言っても一部部分だけだ。下半身を妙にかがみこんで、引け腰になっている。
何をしているんだこいつは、といらだったことと、嬉しいのに、あんまりにも大きすぎるものが私の頭にふってきて、感情の処理が仕切れていないのか、とりあえず私はシーナに自分の苛立ちをぶつけることしかできなかった。
「……私、こういうの初めてだったんですけど!」
「えっ!?」
まるで予想外の返事のようにシーナは声を裏返した。理不尽な気持ちがむくむく膨らむ。そりゃあ、シーナに比べれば、おかしな話でしょうけど。話でしょうけど!
好きな相手なのだから、ゆっくりと落ち着けば嬉しいと思えるはずなのに、悲しさばっかりが胸に膨らんだ。えっ!? ってなんだ。えっ、って。そんな驚き方はひどすぎるんじゃないでしょうか。
シーナは二度目の深いため息をついた。「マジで……」と私に確認するんじゃなくて、自分に確認するようにつぶやき、
「超、ラッキー……」深く頷き、「あ、またでかくなった」やべぇ。
やべぇって何がだよこの男。
思ったまんまのセリフをそのまま言いそうになって、けれどもその意味に気づいてしまって、顔が爆発した。もちろん、そのままの意味ではないけれど、顔が熱くなって、視界がくらくらして、思考だってぶっとんでいる。これはもう、爆発だ。
このやろう、と怒ってもいいシーンなはずなのに、私はなぜかそのまま嬉しくなってシーナの胸に頭を預けた。
いつものシーナじゃない。そう思うのに、シーナは始終嬉しそうで、そんなシーナがかわいく見えてきゅんとくる。こなくそ。「くぅ〜っ……!」と声にもらならない声をあげていると、シーナはほんの少し不安そうに、けれどもどこか期待してるみたいに、私の耳に口を寄せた。「え、いやじゃ、ないん、でしょ?」 わざとらしいくらいに言葉を一つ一つ切っている。
いやじゃない。もちろんいやじゃない。そんなわけない。
「う、」 ぽろっと涙がこぼれた。
なぜかに泣かれた。好き勝手した。好き勝手キスして好き勝手触って、一人で満足げな気分になってたら泣かれた。
俺は、え? え? え? なんで? と頭の中はクエスチョンマークでいっぱいになって、俺の胸をぐしぐし涙で汚すの体を抱きしめてよしよし頭をなでる。キス程度で大きくなった俺の息子さんは、今やビビりすぎて縮こまっている。おそろしい。
なんで泣いてんですか? え、嫌じゃないんでしょ? え? 嫌じゃないん……ですよね? えええ? え? え?
今俺の頭はこれ以上ないくらいに回転している。ぐるぐるしている。そして一つの可能性に思い至った。
嫌じゃないって、したいとは同義じゃないですよね?
簡単に言いますと、俺みたいな不真面目な考えと、のこういう考えが同じな訳ないじゃないか。
嫌いじゃないよ。じゃあとりあえずお付き合いしましょ。それからお互いのことを知っていきましょ……そっから好きになることだってあるじゃない。じゃあとりあえずエッチなことしときますか。そんなかるーい考え方を受け入れられない人だっているのくらい知ってるし。なんてこった。俺ステップ間違えた。
っていうかこれは普通にだめだろう。なんてこった。こりゃあ泣くよ。初めてって言ってたじゃん。それを勝手にうばっちゃったーですよ。ヤバすぎですよ。俺は嬉しいですけど、俺この状況を一言で言いますと、
俺、のこと襲っちゃったよ。
ひっひっ、とは相変わらず苦しそうな声を出して、けれども頑張って声を押し殺している。そんなのもかわいいなぁ、ときゅんとした後、いやいやそういう場合じゃないですから、と思考をもとに戻す。
襲った事実はいいんだ。いや、よくないけど。後で謝って謝りまくったらいい。けれども一番苦しいのは、俺が適当な気持ちでを襲っちゃったってことだ。それだけは違う。絶対違う。そしてこれは不可抗力だ。しょうがないことだ。どれだけ我慢してたと思ってるんだ。むしろ俺、よく頑張りました!
「違うから!」
俺はとりあえず否定した。何を否定しているのかわからないけれども否定した。「適当な気持ちなんかじゃないんです!」 なぜか敬語になった。「俺、のこと好きなんです!」 言い終わった後で、さすがにこれは照れた。
の涙がぴたりと止まった。呆然とした顔をして、びっくりして涙が止まってしまったらしい。そして数秒固まった後、見当違いにも、「あ、ありがとうございます……?」 敬語で、しかも疑問形で返された。
……え? それだけ?
思いっきり拍子抜けした後に、ハッと気づいた。そういえばこの女、俺のセリフを取り間違えるプロだった。随分前にも別の街に行こうとしたとき、勝手にどこかに行きそうになって苦労した。だめだ、直球に。カッコつけてられるか。まっすぐ、どストレートに伝えなきゃいけない。そうしないと、こいつはまったく理解しないんだ。
「俺、ずっと前からのことが好きだったんだ。もう押し倒したくてたまんないしエッチなことしたいし、我慢の限界だしで、キスしましたすみません付き合ってください!」
いや、これは直球すぎたか!?
私はぽかんとしてシーナの言葉を聞いた。そういえば朝ごはんに行く最中だったんだ。おなか減ったなぁ、とか他のところに考えが行く程度には冷静になった。いやこれは冷静じゃない、現実逃避だ!
付き合ってください、という言葉を聞いて、しばらく考えた後、ああドッキリだ。と気づいた。しかし落ち着け。この世界にドッキリはない。どこにもカメラはない。おおおおお落ち着いておち、おち、落ち着いて、おおおおう、うお?
「え、シーナ私のこと好きなの?」
私、なんちゅう質問を!
泣き顔でぶっさいくになっているはずの自分の顔を隠しつつ、ついでにさっきの質問もナシナシという風に手を振ったのに、シーナはガッと私を強く抱きしめて「当たり前だろお前かわいすぎて死ぬくらいだっつの超好き!」「ちょ、ちょ、ちょ、やめてください!?」 何この押せ押せ!?
これは、もしかしなくても、勘違いじゃなくて、本気で、本気の本気で、
両想いって奴なのだろうか。
ほんとに? 調子のいいこと考えちゃってない? 嘘じゃない? だってシーナ、女の子関係ゆるいし。いつもの女の子大好きー、な延長なんじゃないかと考えて、いいや違う、と思った。
それくらいわかる。遊びかどうか、本気かどうかなんてことくらい、わかりすぎるくらいにわかる。
なんだ、分かれば簡単なことだったのか、と気づいて、私はあらためて自分からシーナに抱きついた。そうした後で大切なことを言い忘れたことに気付いた。「そのう」 ものすごく恥ずかしいんですけれども、「私も」私も、「すっひです」 声が、激しく、裏返ったァ!? 違います、リテイク。「好きです!」
シーナが、えっ、と小さい、キスしたのが初めてです、と私が言ったときよりも、もっと小さい、本気で驚いたような声を出して。私の背中にまわしていた右手を自分の顔に当ててため息をついた。苦しげなため息じゃない。おなかの底から、全部を吐き出したような、ハー……という声だ。「うれしい」とシーナは、本当に嬉しそうにつぶやいて、「」とじっとこっちを見た。
なんだろう、と体を固くさせて待っていると、シーナは指を一本こっちに立てて
「もう一回、キスしていい?」
「お、お、お、おばか!!」
「こうしてカップルが一つできたのです」
頭に金の輪っかをはめた軍主はわー、と子ども達に向かって拍手を打つ。真似をしたようにこども達も、わー、と両手をあげる。
「ひゅーひゅー」「マジでー?」「シーナの兄ちゃんいい加減身を固めたのー?」
軍主はハッハッハ、と笑いながら、隣に立つ石板にもたれかかった某魔法使いの美少年に顔を向けた。
「ねー、るっくん。こんな感じだよね? たぶん。僕的な想像混じりだけど」
「死ね」
いちいちこんなとこで集まってきゃいきゃいしてんじゃねぇよ。そんな声が聞こえてくるような目つきを少年へと向け、軽く手を横に凪ぐと魔法服を着た少年の姿はかききえた。しゅるりと頬をなでるような風ばかりがその場に残る。
茶髪の少年は「あらまー、短気ぃ」とつぶやくとまた子ども達に向き直った。
「いーかい? こうやってカップルができたときはね、みんなで盛大にからかってやるのが掟なんだよ、わかったー?」
「おきてー」
「おきてー」
「ひゅーひゅー」
そうそうそんな感じ! なんてきゃいきゃいしつつ、口笛の吹き方を伝授する。ぴゅーぴゅーぴゅーぴゅー、とどこか幸せな響きでいっぱいになっている広間に、二人の男女が通りすぎた。一人はナンパな男で、もう一人はどっか別の場所から来たという女の子だ。
気のせいか数日前よりも二人の歩く距離が近い。
男女はぎょっとしたような表情で子ども達の真ん中で見事なる口笛を披露するこの城のリーダーである少年を発見した。「え、なにしてんの?」即座に男が突っ込む。それが合図だった。
ひゅーひゅー! ひゅーひゅー! ひゅーひゅー!
「えろい!」「お幸せにっ」「尻にしかれるうんめい!」「ひゅーひゅー!」
「お、お前ら……」
「ちょ、ちょ、シーナ、え? 何が?」
「エロいのはしょうがないだろうがっ!!」
「シーナ黙って!」
ふふん、と茶髪の少年が腕を一つ横に振る。ぴたりと合唱は止まり、けれどもすぐにそれを縦に振った。
「「「おつきあい、おめでとーございまーす!」」」
きゃいきゃいした声が何重にも重なる。ニヤッと城主は笑った。そして周りにいる大人たちも、何事だとこっちを向いて、静かに笑った。やっぱりニヤッとしていた。
シーナはほんの少し嬉しそうに頭をひっかいて、なぁ、と隣にいる、自分の彼女の肩へと腕をまわそうとする。けれどもすかっと空振り、何事だという風に少女を見た。
はあらんばかりに顔を真っ赤にして、シーナを睨む。周りを睨む。
「ちがいますから!!」
それだけ大声で宣言し、ツカツカと早歩きでその場を去る。
耳まで真っ赤な、自分の彼女、いいや元彼女を見ながらシーナはさっと顔を青くした。違いますって何よ。
「おい、!」 その後ろへとあわてて追いかける青年を見て、子どもの一人はどういうこと? と首を傾ける。それを、少しだけ大人びたような顔をした女の子が「馬鹿ね」と笑った。「照れてんのよ」
軍主が、もうさぁもう一回、と腕を振る。
「「「かいしょうなーし」」」
「う、うるせー!!」
まぁそれでも、と男は思った。
不安になったり、びびったり、焦ったりするけれども。
やっぱり大丈夫だと心の底で思っている。幸せだと思っている。
お互いで、お互いのことを思い合っているのだから。
想い合っているのですよ。
Good luck!
(お幸せに)
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執筆日 2010/11/15