5


彼女を殺したことがある。
いや殺してはいない。ただそうしようとした。もう少し、力を入れていればできた。
両手で思いっきり、細い首を締めた。「けほ……っ」 暴れはしない。柔らかく喉に浮き出た血管に指を乗せて、手の力を緩めたのは一瞬だ。もう一度、深く。
誰もいない。小さな体だ。深く落とし込んでしまえばいい。ほう、ほう、と遠くで鳥が鳴いている。不気味な声だ。
これを殺してしまえば。

殺してしまえば。






「おいしいよ、

ほっぺたを膨らませて、真っ赤なトマトを頬張っている。「ソウル、きみはいつも何かを食べていないか」「そんなことはあるよ」「あるのか」

お腹が減るからね、といいながら、ぺたぺた素足で煉瓦の上を歩いている。上機嫌に駆け出すものだから、人にぶつかって、倒れて、ごめんなさいと頭を下げてばかりだ。「きみは一体、どこで言葉を覚えたの」「聞いてたんだよ」 聞こえていたとも言う。そう言って、自分自身で満足して、今度は通りすがりの馬の背を撫でようとして、怒られている。

よく彼女は感覚でものを言う。なんとなくとも言う。小石が足の裏を踏んだ。行商人が多いせいだ。道の整備はできているくせに、人があとからあとから入ってくるものだから砂煙がいつも巻き上がっている。「ソウル、靴」 服は自分のものを与えていたが、靴は二つも持っていない。「ん?」 立ち止まって、振り返った。もしゃもしゃとトマトを食べている。思わず呆れた息が出た。

「いや。こっちにおいで」
てとてと、子どもみたいな足取りだ。と思えば、ところどころ指の先に傷がついてしまっている。道の端っこに座り込んで、ため息が出た。「なんで言わない」「ん?」「しょうがないな。さっさと履きなよ」
ほっぼり出された靴を見て、首を傾げる。もしょもしょとトマトを片手で食べながら、靴紐を人差し指と親指の端っこで持ち上げて、ぷらぷらさせてる彼女の顔はマヌケだった。

が裸足だよ」
「ソウルよりマシだから」
「私元気だよ」
「知ってる。だからさっさと履きなよ」

行商の街だから、靴ぐらいどこかに売っているだろう。素足を煉瓦に乗せると、ひやりとするかと思いきや、太陽の熱でじわじわと熱せられている。「……ありがと」 どうも、と頭を下げると、トマトを差し出された。「ん!」「……だから、いらないって」「おいしいよ!」 きいていない。

しょうがないな、と顔を下げて、ひとくち。




***




これを殺せば、自身も死ねるのだろうか。
そうなのかもしれない。締める指を強めると、少しばかり息が苦しくなる。息ができない。苦しい。そう思ったのは錯覚だった。止めていた息を吐き出して、吸い込んだ。

苦しい。

これもそうなのだろうか。口の端から泡を出して、まるで人のように吐息を繰り返す。目の端に涙をためていた。震える自身の指で顔を拭って、服の裾で唾を拭う。咳き込む度に、小さな体が揺れていた。ゆらゆらと焚き火の灯りが踊っている。

ふと指先が冷たくなった。これが人ではないのならば、自身はどうなのだろう。またそれが咳き込んだ。彼女がひきつく度に、彼も苦しくなった。死にたいわけではない。けれども生き残りたいわけでもない。
重い荷物を持っていた。それを誰かに渡す覚悟もない。誰かの名を呼ぶことが怖くなったのはいつからだろう。「は」 とぎれとぎれに、幼い声が降り落ちる。気づけば小さな手のひらで背を撫でられていた。一番はじめ、出会ったときのように。

「お腹が減っているんだねえ……」

減っていないと言っているのに。
食わなくても、死ぬことはないと気づいたのは、もう随分前のことだ。「ご飯を食べないとね、胃がかたく、かたくなってしまうんだって」 誰に聞いたのか、誰が話していたのを聞いたのか。「食べないことが、どんどん当たり前になってしまってはだめだよ。それは当たり前じゃないんだよ。本当は苦しいんだよ。ちゃんと、声をきかないといけないんだよ。私は何もできないけど」

小さな体を握りしめた。硬いマントの感触だ。
「ご飯を一緒に食べることはできるから」

ほう、ほう、と鳥のなく音が聞こえる。