* 1話目の最後辺りから主人公視点
彼がいなくなった世界の後で
お隣さんがやってきた。
彼の名前はテッドさんと言うらしい。
なんとなく、気づいたら好きになってた。お互い好きだよ、とか、付き合おう、とか言った訳ではない。でも、なんとなく一緒にいた。ご飯を一緒に作ったり、食べたり、テレビを見たり。そんな感じだ。テッドさんは、私がレジをするスーパーによくやって来た。ときどき、待ち合わせをして一緒に帰った。けれどもテッドさんのバイト先のコンビニに、私が行くことは嫌がった。どちらかというと、恥ずかしがってるようだった。
私の呼び方が、テッドさんからテッドに変わっても、お互い何が変わるという訳じゃなかった。彼は相変わらずスーパーにやってきて、まけろとか、おまけしろとか無茶なことを言って帰っていく。やっぱり二人一緒にご飯を食べた。キスもして、そういうこともした。お互い、あんまりそういうことは得意ではなかったようで、焦り焦りだったけれど、してしまった。
けれども別に、付き合ってる訳じゃないと思う。
彼とそうなる前、告白した方がいいのかな、と私はずっともだもだしてた。クリスマスも近くて、よし、がんばろう、と意気込んだ。嫌われてはいないと思う。それは、絶対に違うと思う。もしかしたら、テッドさんの方から言ってくれるかも、と期待した。でも駄目だった。男の人の方から言ってくれることに、ちょっとだけ憧れていたんだけど、駄目だった。
好かれていることは知っている。好きじゃないのに、そういうことをしない人だとはわかっている。でも、やっぱりちゃんと言葉にして欲しいなあ、とも思う。わかっていても、不安になるときがある。そもそも、私達は付き合っていることになるんだろうか。ちょっとよくわからない。
テッドとそういうことをした日、彼はぼろぼろと泣いて私を抱きしめた、ごめん、ごめん、と何度も謝った。なんで彼がこんなに悲しそうなのか、私には全然わからなかった。でもちょっとだけ、分かるような気がした。彼はまるでお酒にでも酔っているように、ぼろぼろ泣き続けて、私の名前を呼んだ。大丈夫だよ、と勝手に口が動いていた。何が大丈夫なのか、やっぱりよくわからなかった。
私達は、そういう関係になった。
大学も、学年も同じだけど、一緒にいることはあまりなかった。学部が違えば、使う棟だって違う。お互い外では別の友人がいた。ときどき、学校でテッドを見かけたら、ぱたぱた、と手を振った。テッドも同じく片手を振った。お昼ごはんだけは、ときどき一緒に食べた。テッドのお弁当は、いつの間にか私が作ることになっていた。
ポチッとテレビをつける。別に、面白い番組がある訳じゃないけど、なんとなく二人で見つめた。なんかDVDでも借りてくるか、とぼんやりつぶやく彼の声に、生返事をして、もぞもぞと彼の肩に体をひっつけた。好きって言おう。
よし、言おう。
決めた。
私だって、彼にちゃんと言っていない。私が言えば、彼も返事をしてくれるかもしれない。私は隣のテッドの左手をごそごそといじった。何故かわからないけれど、テッドは右手を触られることを嫌がった。
そのまま左手をぐいっとよせて、腕につかまって、「あの、テッド」「ん」 ちら、とテッドはこっちに顔を向けた。「あ、あの」 私はゴクッと唾を飲んで、よいしょ、と体を動かして、テッドに体を向けて正面に正座して、両手をもぞもぞする。
テッドもなんとなく、よっこいしょ、と体を動かして、お互い正面を向き合って、座った。がははは、とテレビからお笑い芸人の笑い声が聞こえた。
「あ、あのですね、えっとですね」
「ん?」
「あの」
もじもじ、と両手が動く。はっきりしようよ、と自分自身そう思う。なのに、いきなり正面向かって言葉を言うのは、どうにも照れた。なんでかすごく言いづらかった。好きです、と言うだけなのに、喉の奥にひっかかって、うまく言葉がでない。好きのすの字でさえも言えない。
じわじわ顔が熱くなっていって、テッドを見上げたら、テッドは少しだけだるそうな顔をして、「うん」と頷いた。そしてひょいと私の頭の後ろに手を回して、ちょっとだけ体重をかけられて、ちゅ、とキスをされた。一回口を離した後、すぐにもう一回口を合わせて、はむはむとテッドが私の唇をはさんでいる。ん、ん、ん、としばらくされるがままになってしまった。最初にしたときは、すごく息がしづらかったのだけれど、今はそこまで苦しくない。多分、テッドは上手になったんだと思う。けれども思わず癖で、「ぷは」と息を吐き出してしまった。そしてぐいぐいとテッドを両手で押して、「ち、ちがう」と必死に体を離した。
「ちがう?」
あん? とテッドは、私の顔の横に手を置いて、意味がわからん、というように首をかしげる。私はごつん、とフローリングに頭を乗せて、「いや、だから、その」 好きって言おうとしてた、なんて言えない。私があんまりにももだもだして、テッドから視線を離したものだから、テッドがまたひょいと顔を近づけた。「だから、ちがう!」 うおらっ、とテッドの顎を両手で思いっきり押すと、「うぐお」とテッドが微妙な声を出して、ゴキッと首から嫌な音を出す。
「、お前、なんなんだよさっきから」 とテッドがため息をついて、自分の首を撫でた。私はいそいそと起き上がって、「あの、いや、その」 中々うまく言えない。「す、好きって言いたくて……」 でも、案外ポロッと出てしまった。
うあう、と最後あたりは変な言葉になって、口の中でごにょごにょしてしまった。テッドは、パチリ、と瞬きをした。私はひどく気まずくなって、フローリングの上に視線を落とした。「そうか」 返事はそれだけだ。そうかて。そうかて。そうかて!
それだけかー!! と思わず壁に拳を叩きつけたい衝動を得てしまったのだけれど、そこはグッと我慢して、勝手に口から出てしまいそうになるため息を、必死に押し込んで、飲み込んだ。
***
「そっち、寒いだろ。風邪とかひくなよ。え? いや、俺じゃなくってさ、じーちゃんが。うん、うん、もう年なんだしさ、うん、気をつけろよ、それじゃ」
カチャン、と受話器を下ろす音が聞こえて、ちらりとテッドを見た。「おじいさん、元気だった?」「まあ、普通。正月帰ったばっかだし」 そっか。と私は自分の部屋から持ってきた古いカーペットの上に座って、足をパタパタさせた。冬はフローリングが冷えて寒いのだ。体温調節が優れているのか、ものぐさなのか分からないけれど、テッドの部屋にはあんまり色気というものがなかった。夏はクーラーこそ備え付けでついているものの、扇風機の一つもない。これでテッドの部屋も、ちょっとは暖かくなると思う。
テッドの実家と、ここからは結構遠いらしい。けれどもテッドはちょくちょくおじいさんがいる家に帰る。「おじいちゃん子なんだね」 別に、からかうつもりはなかったのだけれど、言葉だけ見れば、そう聞こえてしまったかもしれない。慌てて彼を見ると、テッドは別にどうってことなさそうな顔をして、「まあな」と頷いた。
あ、今なら言えるかも、と思った。
「あの、私、テッドのこと、好きなんだけど」
テッドは冷蔵庫からお茶を取り出して、ごとん、とテーブルの上に置いた。「そうか」 そうかて。
またそれですか。
「…………おい、ため息ついてんぞ」
「ついてない……」
「いやついてるけど」
「ついてないです、テッドさん……」
「…………敬語に戻ってんぞ」
テッドは、どすんと私の隣に座った。めちゃくちゃに凹んできた。でもこんな風に凹んでいる自分が情けなくて、これ以上言うのはやめておこう、と思った。傷口を広げたくないし。「あのさあ」とテッドがちょい、と左手で私の右手を触った。それから、少しだけ眉を顰めて、ふらふらと自分の右手を上に重ねた。「俺、こういうこと言うの、苦手なんだよ」「うん」 なんとなく、それは分かる。
「いや、言い訳なんだけどな、苦手っていうか、言っちゃだめだと思うんだ」
テッドはちょっとだけ悲しそうな顔をして、私から手を離して、自分の額に手を当てた。「いや、男だから、そういうこと、軽々しく言いたくない、とか、そういう意味でもなくて」「……うん?」「でも、だめで」 言っちゃだめなんだよ。とテッドは繰り返した。認めちゃ駄目なんだ。そう言って、ぎゅうっと私を抱きしめた。
この頃、少しだけわかってきた。
テッドの中では、何か、大きなラインがあって、ルールがあるらしい。でも、テッド自身も、それが何のルールなのか、よくわかってもいないらしい。私はテッドの腕の中で、少しだけ考えた。それで、これで最後にしようと思って、もう一回だけ、言ってみた。「私、テッドのこと、好きだよ」 ちょっとだけ、テッドの腕の力が緩んだ。
彼を見上げてみると、テッドはとても困った顔をしていた。自分の目元に、手を置いた。ぎゅ、と親指と人差し指で掴んだ。「俺、」 もだもだと、ゆっくりと、口が動いている。でも、だめだ、と首を振った。「俺、こういうの、苦手なんだ」「うん」 同じ会話を繰り返した。「でも」と彼の唇が動いた。
「俺も」と言葉を区切る。「のことが、好きで」 そこで、ピタリと言葉がとまった。私は、うん、と返事をした。またぎゅっとテッドが私を抱きしめた。「好きで」ともう一回繰り返した。
私はすごく嬉しかったけれど、テッドにすごく無理をさせているとわかった。手のひらが、勝手に動いていて、ぺたりとテッドの口元に手を当てて、彼の言葉を止めた。テッドは少しだけ目を大きくさせて、それからゆっくりと私の手を離した。「お前のことが、好きで」 そこから何も言わないで、キスを繰り返した。
***
アパートに、新しい人がやってきた。
あんまり部屋が多くないし、人の出入りも少ないので、ちょっとだけ珍しくて、私はテッドにそのことを伝えた。最初はどこかめんどくさそうな顔をしていたテッドなのだけれど、という少年の顔を見て、テッドはひどく驚いていた。お互い自己紹介をし合っていたけれど、どこか変だな、と私は思ったから、知り合い? と訊いてみた。違う、とテッドはすぐに答えた。それから、違うと思う、と言い直した。誰かに似ているのかな、と私は思った。
「やー、ちゃん、ちょっとご飯を作り過ぎちゃってさ、もらってくれない?」
引っ越してきてから、このという少年は、よく私に話しかけた。彼から青い蓋のタッパーを受け取り、私はうん、と頷く。「わかった、テッドと一緒にいただきますね」 そう言ったら、彼はちょっとだけはにかんだ。「テッドには、おすそ分けしないんですか?」「うん。迷惑がっちゃうだろうしね」「そうかな」 そんなことないと思うな、と彼の目を見ると、さんは何か考えるような顔をして、「俺さぁ」「はい」「ちゃんと、もっと仲良くなりたいなぁ」 パチリ、と私は瞬いた。
それから、ちょっとだけ吹き出してしまった。「私じゃなくて、テッドと仲良くなりたいんじゃないですか?」 え、と彼は小さな声を出して、ぺたり、と自分の口元に手を置いた。少しだけ頬が赤くなっているような気がした。「……そう見える?」「はい、とっても」
そうかなぁ、そうかなぁ、と彼はポリポリと頭の後ろをひっかいた。照れているようだった。「でも、俺、嫌われてるみたいだし」「そんなことないですよ。テッドも、ちょっと照れてるだけで」「えー……そーかなー」「そうですよ」
そういえば、今日はテッドは7時にバイトが終わるって言っていたなぁ、と聞かせるような大きな声で呟くと、さんは瞳をきょときょとさせて、「いいの?」と首を傾げた。「俺、邪魔じゃない?」 また吹き出してしまった。
「さんがいると、テッドが嬉しそうにするから、私も嬉しいんです」
「えー、そんなこと、ないと思うけどなー」
そんなこと、ありますよ。と口の中で小さな声を出す。「じゃ、後でおじゃまさせてもらおーかなー」と彼はぼそぼそつぶやいて、頭を下げて、自分の部屋へと戻っていった。けれどもそのとき、ちらりと振り返った。「あのさぁ」「はい」「テッドの彼女が、君でよかったかも」 私は首を傾げて、彼を見た。「あ、俺、今すっごい変なこと言った。はずかしいなー」と言い残して、パタン、と今度こそ部屋の中に消えていく。私はくすくす笑った。
それから、家の中の時計を確認して、先程さんからもらったタッパーを見つめた。中身を見てみたら、何故かマグロの醤油漬けだった。いや、たしかにテッドはマグロが好きだけど。「…………作りすぎ?」 私はわかっているのに、んん? と首を傾げて、さて、今日はもう一人分多く作らないとな、と腕をふるうことにした。