彼がいなくなった世界の後で[B√]
いつの間にか、桜は散ってしまっていた。
ぱっと咲くときは一瞬で、いなくなってしまうときも一瞬だ。校門の入り口には落ちてどろどろに汚れた花弁が道の端っこに集まっていて、用務員のおっちゃんがしゃかしゃかと竹箒を動かしていた。
俺はその光景を、からから自転車をころがしながら横目で見て、背中の鞄の重さを感じた。高校に入学して、一週間。結局俺はと何の接点もなく、ときどき体育館で行われるガイダンスで、ちらちらと彼女の姿を見るだけだった。彼女と同じクラスの列では、がニヤニヤと手を振ってきて、俺は体育館シューズをきゅっきゅとならしながら、バシッ、と拳を叩きつけるふりをした。
「お前、何をしているんだ?」と呆れたような顔をする担任の声にハッとして、「あ、なんでもないです、何でもないですアイン先生」と首を振ると、視線の端っこの方で、げらげらと腹をかかえているお坊ちゃんの姿が見えた。あいつ、あとでしめる。
中学と高校の差と言えば、制服が変わったこと。授業の種類が多くなったこと。授業の開始の時間が10分ずれた。思いつく程度はそれくらいだ。ま、こんなもんかね、と頭をポリポリとひっかいて、さてさて、噂のお坊ちゃんはどうしていますことやら、と首を傾げ、弁当を片手にふらふらとの教室に向かった。
まあ、本音を言ってしまえば、をちらりとでも見ることができるかもしれない、と思ったことは否定しない。クラスが違うと言っても隣のクラスなので、俺は案外軽い気持ちで扉を開けた。からからから、と扉が横にスライドする。一瞬、教室の視線がこっちに集まったが、すぐに視線は散らばった。さてさて、どこにいますかね、とキョロキョロする。ドア近くにいればいいんだが、窓っかわにいられるとめんどくさい。どうやらこれは、めんどくさいパターンのようだ。
は誰かと話していた。女の子だ。お坊ちゃんはうまい口を動かして、女の子を笑わせる。彼女は口元に手を当てて、くすくすと笑っていた。も笑った。くすくすと。
俺はぽかんとその光景を見ていた。ずるっと弁当が手から滑り落ちて、廊下の上に悲惨な音を立てた。しかしながら、そっちのことより、目の前で繰り広げられる光景の方が重要で、何度もパチパチと瞬きした。おいおい。お坊ちゃん、おいおい。
なんでお前、と仲がよさげなんですかー
「何いってんの。テッドが言ったんじゃん」
むん、と堂々として胸をはるを見て、俺はただただ中身がシャッフルされてしまった弁当を膝の上に置いて、ぼんやりとため息をついた。隣では既に食べ終わったらしいが、芝生の上でぼふぼふと片手を叩く。「何がだよ……しらねーよ」「俺の高校の目標は、テッド以外の友達を作ることなんでしょ?」「だ、だからって、じゃなくてもなぁ」 うぐぐ、と口元でぼそぼそ反論するが、これはあんまりかっこいいことではないと気づいていた。男らしくない。
ええい、と俺は口の中にめしをつっこんだ。むごむごむしゃむしゃ口を動かして、いろんな文句のセリフを飲み込むと、は何か考えこむようにじっと俺を見つめた。「まあ、下心がない訳じゃないんだけどね」「ふぁにひってんふぁ!?」「ちゃんと飲み込めよ」
ごくん、と飲み込んで、「お前、何いってんだ」 俺が心底苦々しい顔をしてを見ているというのに、はどこかご満悦な表情で俺を見ていた。「やーだなー、テッドくーん」と妙なリズムをつけて、俺の背中をばしばし叩く。「言っただろー? 俺は恋愛よりも、友情をとる男なんだから、そういう心配はしなくていいってー」「し、しらねーよ」 別に何が心配とかしてねーよ。
もぐもぐ、と口にからあげをつめこんで、ばたばたと足を動かした。そろそろ食い終わった生徒たちが、ボールを持ってグラウンドに駆けていく。高校生にもなって、元気なことである。
「だからさ、テッドはちゃんに接点がないわけだ。クラスは隣って言っても、いきなり話しかけたらナンナノコノヒト? って状態になるじゃん。だからそこはだね、俺が間を取り持って、ある程度仲がよくなったら遊びにでも誘って、ついでに俺の友達もいるんだけどいーいー? いーよー。だれなのー? じゃじゃーん、テッドくんでしたーって流れに」
「やめろ、よくわからないけどやめろ。心底恥ずかしくなってきたやめろ」
だからお前、協力とかほんっとやめろ。力の限りやめろ、と俺が何度も言っているのに、はどこふく風のまま、グラウンドにいる生徒たちを見て、「元気だねぇ」とさっきまでの俺と同じ感想を述べている。「まあ、別にテッドが嫌ってんなら、無理やりはしないさ」 ふとつぶやかれたセリフに、俺はちらりとを見た。案外真面目な顔つきをしていた。「でもさあ」とは言葉を続けた。
「高校生ってったらさ、高校デビューじゃん」
「……おう?」
話の流れがわからず適当に返事をすると、の方ものってきたのか、妙に演技がかったというか、強弱のついた声色付きで、ぐぐっと拳を握った。「わーい、俺も高校生だぞー、充実するぞー、彼女作るぞー、ウホッ、あの子、なかなかかわいいなー、んん? なんだって!? 同じクラスだって!? よしよし、これはチャンスだ、逃がしてたまるものか、彼女をつくるぞー!!」「……お前、頭だいじょうぶか?」 というかお前、本当にくん?
俺が不安になってを窺うと、「みたいな!」と唐突にが叫んだ。ビビるからやめて欲しい。「感じの! ことを! 考えているヤローどもは多い訳さ」「お、おう」 お前のセリフじゃなかった訳ね。安心した。本当にちょっと変になったのかと思った。グレミオさんが泣くところまで想像した。
「つまり、何がいいたいかっていうと、乗り遅れちゃうよ、テッドくん」
「はあ?」
「教室の端っこで、ちゃんの携帯番号を知らないかって円を組んでるやつらなら、もう発見しちゃったなぁ」
俺はパチパチ、と瞬いた。
高校に入って、ちょっとずつ周りがそんな空気に飲み込まれていったことは知っている。俺は反対に、そんなやつらをぼんやり見つめて、どうすりゃいいんだろうなぁ、と考えるだけでストップしているぼんやりタイプだ。「……知らないかって、んなこと話し合ってどうすんだよ、直接聞きゃいいんじゃん」「まあそうなんですけどね」
そこが不思議だねー、と拳を握ったまま、はちらりと俺を見た。「ちなみに俺の携帯のアドレスを知らないかって徒党を組んで話し合っている女子も何組か発見したから、絶対に教えないでくれよ、ないと思うけど」 目がマジである。イケメンもイケメンの苦労があるらしい。返事代わりにむぐむぐとからあげを飲み込んだ。
まあそんな感じにさ。とさっきまでの目の炎を消して、は苦笑しながら俺を見た。「急ぐ必要もないけどさ、後悔するくらいなら、ちゃっちゃと頑張った方がいいと思うけどね。月並みだけどさ。俺は協力するし、協力したいと思ってるよ」
あのキーホルダー、見続けちゃったらねぇ、とくすくす笑っているを見て、俺は箸の先を咥えながら、肩をすくめた。
正直、よくわからない。後悔とか、後悔しないとか、先の自分の姿も見えなくて、多分そのまま、ぼんやり時間は進んでいくんだろうな、と思った。
***
ベンチにもたれかかって、俺はうとうとと瞳を閉じた。ついこの間、と並んで、ちゃんのことを好きなんだろう、とせっつかれたベンチだった。止めた自転車に、かさかさと葉っぱがくっついて、また風に飛ばされて消えていく。は教師から頼まれた用があるとかで、今はいない。入学一週間ちょっとにして、既に優等生街道を爆走中らしい。
あーあ、と俺はでっかいあくびをしながら、もにょもにょと口元を動かした。背もたれに腕をのせて、顔を上げる。ピンクの花は散ってしまって、黄緑の葉っぱがちらほら見える。ふと、さくさく、と小さな足音が聞こえた。俺はなんとなく、そっちの方に目をやって、ビクリと固まった。その子も俺を見て固まった。
セーラー服で、鞄を肩にかけていて、僅かに離れた位置から、彼女は少しだけ瞳を大きくして俺を見ていた。俺は思わず膝の上にのせていた鞄のキーホルダーを握った。そして、片手を上げた。
「……よ、久しぶり」 出てきた声はこれだけだ。何かもっと、うまいことを言えたらよかったのに、何にも言えなかった。
は暫く戸惑ったように俺を見て、ぺこりと頭を下げて、鞄を片手で押さえながら小走りに消えていった。俺は自分でも訳がわからず、ベンチの上で膝に肘をついて、ついでに手のひらには額を押し付けて、ずんぐりと地面を見つめるようにして瞳を瞑った。何が久しぶりか。もうちょっと、いいことが言えただろ、と思うのに、今考えてみたとしても、何を言えばいいのかわからなかった。
日も暮れて、用事が終わったが自転車で通りかかるまで、俺はその体勢のまま、がっくりと首を落としていた。「え、テッド、なにしてるの、っていうか大丈夫?」と、さすがのお坊ちゃんも心配気な声でこっちを見つめてくるくらい、落ち込んでいたらしい。しらねーよ。全然大丈夫じゃねーよ。しらねーよ、このやろう。