彼がいなくなった世界の後で[B√]
結局、俺とは家庭科部に入ることになった。どう考えたって乗せられた、と分かっていたけれど、俺はそのことに対して、に怒ろうとも、反対にありがとうと言う気もなかった。両方の気持ちがごちゃごちゃしてて、怒るにしろ多少の感謝の気持ちがあったし、お礼を言うにしても、その反対の気持ちが騒ぐ。だったらまあしょうがない、と結局そのままスルーして、週に一回の部活動に参加することになった。
未だに仮入部の期間ではあるけれど、もう決定済みの部員のような扱いだった。
しかしながら、若干のいづらさを拭い去ることは、未だに出来なかった。なんて言っても家庭科部だ。男子の入部は何年ぶりだとか、あれ初めてだったかしら? なんて顧問の教師は首をかしげていたが、俺が知る訳がない。
部員の名前は、だいたい覚えてきた。とは言っても、別にこっちから話しかけた訳じゃなくて、あっちから話しかけてきただけだ。俺はとりあえず、はあ、うん、と気の利かない言葉で頷いて、未だにオデッサ先生の中でブームらしいビーズに、糸を通した。俺がこれを作ったところで、どうしろって話なんだが。
そんな俺とは対照的に、は飄々と女子軍団の中に紛れ込んでいると思ったら、気づけばまた俺の隣に座って、ひどく楽しげにビーズをいじっていた。多分、こんなもんを触るのは初めてなんだろう。お坊ちゃんだから。
ちらり、と目線を手のひらから上げてみた。目の前には彼女が座って、ゆっくりと手のひらを動かしている。ときどきビーズをこぼしてあわあわしていた。俺はどうするべきか、と思いながら、じーっとその様子を見つめて、気づかれないうちにとまた自分の手のひらに集中した。手伝ってあげなよ、というように、がちょいちょいと俺を肘でつっつく。俺は硬く口元を閉じたまま、じっと自分の手のひらを見つめ続けた。が小さくため息をつき、立ち上がった。「ちゃん、手伝うよ」
そんな声を遠くで聞いていると、ころん、と手のひらからビーズをおっことした。あーあ、とあっちとは反対側に手を伸ばそうとすると、「はい」「ああ、ありがとうございます……」 どういたしまして、と確かユンとか言う名前だった先輩はニコッと笑った。彼女の手のひらから、落ちたビーズを渡されたとき、「頑張ってくださいね」と耳打ちするような小さな声を掛けられてた。
おいおい、と俺は思わず苦い顔をした。何がだよ。
「それさあ、完成したらちゃんにあげたら?」
ビーズとかそういうの、女の子って好きでしょ、とカラカラと自転車を押しながら、口元をニヤつかせるお坊ちゃんに、馬鹿か、とつぶやいて、自分のハンドルを握った。「も作ってんのにやってもしょーがねーだろ」「色とか違うし、そこらへんは気持ちの問題でしょ」 男が持っててもしょうがないじゃん。と肩をすくめるに何を言っているんだ、とねめつけた。
「……いや、お前も男だろ」
「え、俺は嬉しいよ。こういうのすごい好きだし。グレミオにあげたっていいしー」
グレミオさんも、男だろ……と静かにツッコミを入れたくなったのだが、あの人なら「坊ちゃんがグレミオにぃ、グレミオにぃ」と感極まって涙まで流してしまいそうである。納得してしまいそうなことが若干悔しい。
「だから、テッドはあげなよ、目標そのいーち」
「目標にいちもクソもねーよ、勝手につくんな。っていうかお前、ユンさんとかに言ったろ」
「言った? なにが」
「だから、その、俺がを、その」
言いづらい、とごにょごにょしていたら、「はあ?」とは首を傾げて、「俺が言う訳ないじゃん」 誰にも言わないよ、と続けたれたセリフに、わずかに瞳を開いた。そう言われると、まあそうだよな、と俺も素直に頷いて、「じゃあなんでばれたんだろ」とハンドルに両腕をもたれかけて、長い溜息をついた。こっ恥ずかしい。部室に行きづらい。
俺がこれだけやってられねぇとしょぼくれているというのに、はあっけらかんとしながら、からから笑った。「そりゃテッド、家庭科部は俺達以外女の子しかいないんだから、誰が言わなくたってわかるでしょうよ」女の子って、こういうこと鋭いよねえ。
「……意味わかんね」
「わかりやすいんだよ、お前」
えっ、と顔を上げた。けれどもすぐさまは自転車に飛び乗って、「あー、今日はグレミオっのシッチュー!」 なんて口ずさみながら、からからと夕焼けの中に背中を消していく。「お、おま、ちょいまて、オイコラ待て、待ちやがれ!」 俺も急いでペダルに足をかけた。「わかりやすいって何がだ!」「シチューにはー、ニンジンをー、入れちゃやだーあ」「てめ、おいこら適当な歌うたってないで、人の話を聞きやがれ!」
(…………わかりやすい?)
何がだ、どこがだ、と頭を抱えた。自分とは、未だに一回たりとも会話をしてないってのに、そんな疑惑だけ持ち上げられても困ってしまう。だいたい、俺は彼女とどうなりたいとかそういう気落ちは別にないし、頑張ってと応援されても返事に困ってしまう。一週間に一回の部活で、一体何を頑張れって言うのか。方法すらわからん。いやだから、別に頑張りたい訳でもないけど。
とっくの昔にできてしまった犬のビーズを指先で摘んだ。黄緑色のキラキラとした光が反射して、綺麗だなとは思うけれど、それだけだ。ばあちゃんがいればやったかもしれないが、残念ながら、それもできない。針金がゆがんでしまうと巾着の中にそれを入れて、鞄の中にしまった。ガシガシと頭をひっかいて、さて帰るか、と自分の席から立ち上がった。
別にと毎日待ち合わせしている訳ではない。だいたい、今頃あいつは精力的に職員室にでも通っているんだろう。この間は校長と仲よさげに歩いているのを目撃した。お前ちょっと、展開はやくないか?
晩飯晩飯、と口ずさみながら、下足場から靴を取り出し、バタンと扉を閉めた。そのとき、丁度隣の棚から顔を覗かせた女生徒と、パチリと目が合った。「うわ、お」 俺がギクッと声を出すと、彼女も彼女でギクリと体を震わせた。「お、おっす」 思わず片手でキーホルダーを隠すように、背負ったバックに腕を回した。
暫く奇妙な間があって、「今から帰るの?」と聞こえた声が、一瞬誰のものかわからなかった。俺はワンテンポ遅れて、「あ、おう。そう。部活、ねーし」「そっか」 私も、とは体の前で手のひらを合わせて、小さく頷いた。どこか照れている風な仕草が妙に可愛くて、思わず眉間に力を入れて、口元をイーッと伸ばしながら顔を逸らした。やべえ変な顔しかできん。
片手で口元を覆いながら、もう一回を見た。あっちも同じく俺を見た。その瞬間、可哀想なくらいにあっちはビクリと飛び跳ねた。元いじめっ子、イコール俺は激しく凹んでしまいそうになったのだけれど、鼻から息を吸い上げて、必死に真顔を作ってみた。
会話がまったく持って続かなかった。ふと、鞄の中のビーズの犬の存在を思い出した。ちゃんにあげたら。そんなの声が聞こえて、ふと手のひらが動きそうになったのだけれど、いやいやいや、と首を振った。変だろ。いきなり「これをお前にやる」、だなんて変な人だろ。
もで、会話に困ったように、両手のひらを合わせて、ちらりと自分の下靴を見つめた。俺は少しだけ考えた後、「あー、やっべ、教室に忘れ物した」 激しく棒読みにそう言って、くるりと背中を向けて、下靴を脱いだ。
ちらりと振り返ると、はやっぱり俺を見ていた。「じゃーな」 俺が下靴をぶらぶら揺らすと、はきょとんと瞬いた。そしてちょっとだけ笑って、「ばいばい」と小さな手のひらを振った。そしてそのまま、ぱたぱたと小走りに消えて行った。
暫く彼女のその背中を見送った後、俺は無言で下駄箱の扉を開けた。そして一応と、靴を入れ、下靴を取り出し、バタンと扉を閉じた。ばいばい。「あー、くっそ……可愛いなー、もー……」 すっげぇかわいい。そう認めてしまうことが悔しくて、「あーもー……」
忘れ物なんてある訳ない。けれども一応スノコの上で上靴にはきかえて、やってらんねー、とため息をつきながら教室に戻り、また下足場へ折り返しながら、俺ってもしかして馬鹿なんじゃなかろうか、と気づいてしまった。とういうか、馬鹿なんだろう、確実に。