彼がいなくなった世界の後で[B√]
「テスト期間かー」
うーん、と考えるようにが唸った。俺とは彼女を挟んで、「期間かあ」「期間だなあ」と繰り返した。これから暫く家庭科部の活動はなくなる。そんなことよりも、さっさと勉学に励みなさい、ということだ。
相変わらず俺たち三人はベンチに座ってときどきぼんやりと時間を過ごした。この公園からの家はすぐそこらしい。さすがにこの間のように、三人がぎゅうぎゅう詰めで座るのはいただけない。たいてい、がベンチに座って、その隣にがいて、彼女の正面に俺が立つ。もしくはと俺が反対になる。今日は俺が正面の番だった。
衣替えをしたの服の上から、ちらりと何かが見えたような気がして、思わず目線を逸らした。「テッドは案外得意なんだよね」「ん? あ、おう」 慌ててに返事をする。なんのことだ、と考えて、テストのことか、と後から気づいた。
「テッドはヤマカンが得意なんだよなあ」
「ンだよその言い方。それも立派な特技だろ。だいたい教師を見てりゃどこの問題がでるかすぐわかるだろ」
「要領がいいとも言う」
「だからなんで微妙にけなすような言い方なんだ」
気のせいじゃないの? なんて笑うにごつっと拳を向けた。「俺、テストって好きだけどね。点数が返ってくるのってわくわくする」「やだねー、こういうこと言うやつ」 すかしてやがんね、とはやしたてれば、または嬉しげに笑った。慣れた反応なのかもしれない。その間、どうにもは静かだった。俺とは目を合わせて、「……ちゃん?」「いやっ、あのっ、そのっ」
ばばっ、とは勢い良く顔を上げた。「テストは、その」 顔が赤い。「もしかしてお前」 声をひそめた。「……ばかなのか?」「きゃーっ!!」 悲鳴があがった。「ぎゃー……」 二度目を叫んだ。今度はさっきよりも力なかった。
俺とはまた顔を見合わせて、考えた。一瞬同じ事を考えて、俺の方はと言うと首を振った。そうだな、とは納得したように頷いた。そして、「ちゃん! 勉強会をしよう!」「おいっ!?」 しないって合図送ったじゃん!
さすがに男2人と一緒なんて、も嫌に決まっている。そう思ってを見た。
彼女はぼんやりと俺を見ていた。そしてを見た。暫くの間、何かを考えているように首をかしげて、じわじわと瞳が輝いていく。理解した、というふうに、は大きな瞳をまた大きくさせた。「す、するっ」 ぐっ、と拳を握った。おいおい、と思う。
まったく、めんどくさい。
***
「だからさ、なんでいちいちそこで止まるんだよ。そこはもう公式であてはめてさ」
「でも、なんとなくわかんないし、わかんないのを使うのはよくないよ」
「だからさー」
こつこつ、とテッドくんが私のノートを鉛筆のおしりで指さした。うーん、と首をかしげる。くんのお家は広くて、お兄さんかと思えば、金髪のお手伝いさんがいた。「なんとまあ!」とお手伝いのお兄さんは私を見て目をまんまるにして、すぐさま嬉しげに台所にひっこんだ。「お菓子ならたくさんありますよ! ありますからね坊ちゃん、テッドくん!」「じゃあほどほどに頂くよ、グレミオ」
彼女たちは遊びに来たって訳じゃないからね、とくすくす笑いながら山盛りクッキーがのったお皿をくんは受け取って、リビングのテーブルの真ん中にことんと置く。
「……もしかして、手作り?」 ありがとうございます、とグレミオさんに頭を下げた後、こっそりとくんに確認した。「料理が趣味なんだ」 くんが、ということじゃない。すごいなあ、となんとなく尊敬の眼差しを送ってしまう。テッドくんは慣れた顔で、ぽりぽりとクッキーを食べて、「うめー」と呟いていた。
「なんかさ、思ったんだけどさ、テッドは大ぶりで、ちゃんはちまちまバントタイプなのかもね」
一発逆転と、こつこつタイプ。くんはお腹の上に教科書をのせて、にまにまとこっちを見ている。
「自分が納得できないとこはずっとそこを考えちゃうから、テストまでに間に合わないんだな。でも最終的に勝つのはちゃん。テッドは終わったらすぐに忘れる」
「そういうお前はなんなんだよ」
「俺は天才」
なんとなく振りかぶったら、全部がホームランになっちゃうタイプ。とあっけらかんと笑われた。テッドくんはどこか呆れたふうな顔つきで、ため息をついて、「ここだよここ、とにかく覚えろ。丸暗記」「いやでもね」「でも禁止」 さっさとしろ、とぺしりとテッドくんに額を叩かれた。別に痛くもないけれど、あいた、とちょっと小さな声を出して彼を見上げた。
するとテッドくんは、どこか気まず気な顔をして、私を叩いた手を見た後、今度はひどく悔し気な顔をした。ぺし、ともう一回はたかれた。
なんでだ、と思いながら、そういえば、小学生のときのテッドくんは、こんな子だったとじわじわと思い出してきた。顔を見ればほっぺを引っ張られたし、スカートだってめくられたことがある。なんというか、昔の私にとってのテッドくんはよくわからない男の子で、怖い子だった。
なんとなくひっそりとスカートをガードした。けれどもそんな私のさまを、テッドくんは不審げに見つめていた。ちょっとだけ理不尽な気がした。
「ちゃんの順位が上がったらさ」
くんが、どこかつまらなさ気に教科書をパラ見して、ぱたん、と閉じた。「なんかご褒美頂戴よ」「おい」「俺じゃなくて、テッドにでいいから」「おいっ」
だって今ちゃんの面倒見てるの、テッドでしょ? とからかうみたいにくんは笑っている。かっかと真っ赤になっていくテッドくんの耳を見て、なんとなく彼の気持ちがわかるような気がした。「うん、いいよ」「はあ?」
言葉とは裏腹に、テッドくんはひどく照れたような顔をして、唇を引き結んだ。「じゃあ決定。どうしようかな」「お前が決めんな」「ちゅー」 ビクッとテッドくんが震えた。「と、はんぱじゃなくって、がっつり勉強しようね」 くんが、口元を押さえてぶるぶると笑っている。その彼の頭を、テッドくんがバシッと平手打ちをした。けれどもくんはげらげら笑っていた。
「まあいいや。遊びに行ったら。夏休み」
高校一年の夏なんだから、部活仲間で仲良くさ、と微笑まれた。「うん、行こう」 いいな、と思った。「三人で行こう」 くんはきょとんと不思議気な顔をした。なんでだろう、と私は彼を見つめた。「くんも、部活仲間でしょ?」
そう言った後に、彼はちらりとテッドくんを見た。テッドくんは当たり前だとばかりにまた彼の頭を叩いた。そのとき、様子を見に来ていたグレミオさんが、くんの代わりとばかりに、「ひゃっ」と悲鳴を上げた。なぜだかグレミオさんに対して、「あ、すみません」とテッドくんは謝った。
殴られたくんの方はと言うと、何かを考えるように、ぱちぱちと瞬きを繰り返して、とても嬉しそうに笑った。でも一瞬だけだし、テッドくんはくんではなくグレミオさんを見ていたから、知っているのは私だけだ。彼はすぐさま口元をひきしめて、「ごもっとも」とすましたような顔を作った。
「そいじゃあちゃん。約束したからね、ほらほら、ペンを動かす」
「う、うん」
「そこはちがーう。式が納得できないってんなら、俺が力の限り説明したげる」
いいかい、これはね、とノートにぺしぺしシャーフペンのおしりを叩き続けるくんを見て、「やる気に満ちあふれてんな」と他人ごとのようにテッドくんが呟く。さっきまでのテッドくんの場所が、いつの間にか交換している。「そら、テッドもノートを出しな。お前は暗記ばっかだからダメなんだ。ちゃんと並びなさい」 教師魂に火がついたらしいくんを前にしながら、私とテッドくんは2人粛々と若い先生の授業を受け続けた。
それからテストまでの一週間、私達は繰り返し彼のお世話になることになった。
それで肝心の結果の方はと言うと、言うまでもないかもしれない。
返却されたテストを見て、くんは、当たり前さと言うような、テッドくん風に言えば、“すかした”顔をしていた。もし私が他のクラスの女の子であったなら、黄色い悲鳴をあげるべきシーンだったのかもしれないけれど、なぜだかひどく吹き出してしまいそうになった。
彼が言うような天才でもなく。周りが言う優等生でもなく。
つまり彼はテッドくんの親友の、同級生の男の子なのだとひどく認識できたからなのかもしれなかった。