彼がいなくなった世界の後で[B√]
「あー」と、顔を覆った。やってきた。そんな季節がやってきた。がりがり、と頭をかいて、初耳だという台詞に眉を寄せた。「なんすかそれ」 オデッサ先生が困った顔だ。
「部活動対抗リレーって、なんすか?」
「高校の体育祭じゃ、こういう部活があるんだよ、みたいな感じでパフォーマンスのリレーがあるんだってさ」
運動部文化部関係なく、全部の部活が3人エントリーの強制参加だって。と既に情報を収集しているらしいに、なるほど、とテーブルに肘をついた。めんどくせえな、という台詞が口から出そうになって、さすがにそれは言わない方がいいか、と空気を読んだ。その隣で、どんよりと黒ずんだオーラが流れてきて、俺は微妙に眉をひそめながらといかけた。「、お前さ」 訊くまでもないことだが、「もしかして、運動もダメなわけ?」
彼女はぺと、と頭をテーブルにくっつけた。「うるさいー……」 珍しく言葉が反抗的だ。「うるさいー!」 よっぽど彼女の中の沸点を超えたらしい。
「運動なんてできなくっても、足が遅くとも、何かの迷惑をかけますか!」
「少なくとも体育祭じゃ肩身が狭いな」
「テッドくんのばかー!」
パッとは顔を上げて、またすぐさま机に突っ伏した。「なにこいつ、なんでこんなネガ入ってんだよ」 ちら、とに目を向けると、親友は口の端をちょっと上げて、肩をすくめた。
「クラスの選手別けのジャンケンに負けて、スウェーデンリレーの選手になっちゃったから」
「お前ジャンケン弱そうな面してるもんな」
「どんな顔!?」
私は綱引きがしたかった、なんてぐずっている女の頭にチョップを食らわせた。「別に、リレーを一個するのも、二個すんのも同じだろ」 無理やりな話だが、終わってしまったものは仕方がない。はのろのろと顔を上げた。「……テッドくんの単細胞」「ア!?」 なんか言ったかこら、と上からねめつけると、逃げるようには顔を隠した。
「一個も二個も同じねぇ」
含み笑いを口元で噛み殺すに、ちら、と俺は目線を向けた。そうだ。決まってしまった訳だ。
「んじゃ、部活動対抗リレー。ちゃんのために、いっちょ作戦を練りますか」
机の上に、一枚の紙が置かれている。家庭科部、エントリー。
、、テッド。
合計三人。
***
部活動対抗リレーとは、毎回部活入部の一年生が通る鬼門だとかなんとか。うまいことに一年生が三人いる俺たちの部活は、ほぼ強制的に決定というわけだ。「が、が、が、がんばる、ぞー……」と涙目な声を出しながらしょんぼりと頭をたらすを小突いて、「別に、一位をとらなきゃならないわけじゃねーし」
陸上部やらなんやらと言う部活ではなく、俺達はただの家庭科部なのだ。相変わらず、俺がからからと自転車を転がして、は隣を歩きながら、なるほど、と頷いた。はまたどこぞへと用事があるとか言いながら、職員室に消えていた。「でも、やっぱりやるからには!」 振り上げられた彼女の拳を見て、にや、と笑った。「そういやお前、ガキの頃からどんくさかったよな」
言った後に、しまったと思った。なんとなく、小学生の頃の話をすることは、お互いのタブーなような気がした。けれどもはとくに気にした風はなくて、パチパチと何度か瞬きを繰り返した後、「体育祭、晴れるのかな」 空を見上げた。
もしかすると、さっきの俺の台詞は聞いていなかったのかもしれない。
「さあな。曇りの方が俺は嬉しいけど」
「晴れるよ」
なんとなく、そんな気がする。
ぽそりと呟くの声を聞きながら、そうだな、と頷いた。俺もなんとなく、そんな気がした。
「テッドくんは、何に出るの?」
「俺もリレー。200メートル。あと騎馬戦」
「ほほう」
応援するね、とは笑った後、「あ、別のクラスだった」としまった、というニュアンスで呟いた。「こけることでも祈っとくか?」 笑いながら自転車のサドルを引くと、は困ったと言う顔をした。「テッドくんも、同じクラスだったらいいのになあ」 少々返答に困窮した。「まあ、来年」 来年、どうだろうか。
もしかすると、俺と彼女は、来年また別の形で二人一緒に並んでいるかもしれない。まあそれは、ただのなんとなくで、体育祭は晴れるのかな、とか、そういうレベルの想像だ。からからと自転車が進んでいく。
ゆっくりと進んだ日付の中で、体育祭の日にちが来る。
驚くくらいに空は晴天で、くそ暑い、と呟きながら、体操服で汗を拭った。結んだハチマキの色は真っ青で、少々気分が明るくなった。は真っ赤なハチマキを結んでいた。遠巻きに見えた友人は、ビシッとこっちに親指を立てて、まるで「健闘を祈る」と叫んでいるようだ。お前な、これただの体育祭だからな。
しかしながら、なんだかんだと言いながらわくわくと歩幅が大きくなる。「対抗リレーは任せろ」 という意味合いで、こっちも激しく親指を突き立てた。
「お前ら、頑張れよ!」だなんて、若い校長の挨拶が適当過ぎるほどに短く締めくくられて、「フェリド校長、もう少しきちんとした挨拶をですね」と、隣に立つ教師が困った顔でぼそぼそと校長に話しかけている。だというのに、「なになに、世の中はシンプルが一番いいぞ」だなんて件の校長はからからと明るく笑っていた。
生徒でいう俺が言うのもなんだが、少々変わった人間なような気がした。
俺はさっさと自分の席に戻って、パーンッ、と響く開始の合図に目を向けた。流れる音楽は妙に気持ちが急ぐような、腹の底から声を出したくなるような、そんな感じだ。中学も小学も、だいたい変わらない。
その中で、が走っていた。小さな豆粒のようだが、よくわかる。と同じ赤いハチマキをつけて、遅いなりにも必死に腕を振って走ってる。でもそれは一瞬で、ずべっと顔からこけた。うわ、と周りで同情の声があがる。
あっという間に最下位だ。
けれども素早くは立ち上がった。バトンをぎゅっと握りしめたまま大きく足を踏み出して、必死に走った。パスだ。受け取った次の走者はとは違い足が速い男だったらしい。びゅんとスピードを抜けて他のクラスを追い上げる。
おそらく、大体のやつらがそっちの方に注目した。最下位からの猛烈な追い上げに拍手をして、応援の声をかける。でも俺はを見ていた。パスをして、両腕を膝につけて、幾度か息を繰り返した後に、彼女は深呼吸をした。空を見上げて、顔を下ろして顔をぐしぐしと腕で拭った。息を吸い込む。
途中、退場する彼女が、ちら、とこっちを見た。ような気がした。「がんばったな」 口だけパクリと動かした。はパッと顔を赤くして遠くを見上げた。がんばったな。
対抗リレーはまかせとけ。
「ちゃんは真ん中ね。俺、ちゃん、テッドの順」
結構な部活が交じり合ってごちゃごちゃするらしいから、ぶつからないように気をつけてね、とはぱちんとウィンクした。そういう仕草がさらっと似合うこいつは、正直ずるいとそう思う。「練習通りにすれば大丈夫だから」 そう言って、バトン代わりのそれを手の上に掲げた。
対抗リレーのバトンは、それこそなんでもいい。テニス部ならラケット、剣道部なら竹刀で、野球部なら野球ボールだ。
「こけたらどうしよう」
は顔を真っ青にして、ぎゅっと両手を握っていた。「あのさ、お前さ」 列に並びながら、ぽんとの頭を叩く。「言ったろ。俺たちは家庭科部なんだっつの。文化部が早くてどうするよ」 まあ、遅すぎんのも嫌だけどさ、と呟くと、また彼女は顔を青くしたので、ごつ、とに殴られた。
「こけてもいいぞ」
殴られた頭を撫でながらの顔を覗きこむ。「こけたら、お前ごとおんぶでもして走ってやる」 ぺし、と額を叩く。
はパッと目を覚ましたような顔をして、痙攣したように頷いた。「も、もともとこけない」「お前が言い出したんだろ」 ほれ、入場。
「バトン、渡せよ」
それだけ彼女に伝えて、俺達は3つのコーナーに分かれていった。(やるからには勝つ) なんてことを言えば、またが顔を青くするだけなので、さすがに言わない。どうせはわかっている。俺はきゅっとハチマキを締め直した。汗で額が滲んでいることに気づいて、ふう、と息を吐き出す。
暑い。
の予想通りに、本日は快晴だ。
よーい、ドンッ、なんておざなりな声が聞こえる。さすがに全部の部活を一気に走らすとなると、危険なことこの上ない。いくつかのグループに別けて、最終的にタイムで競うのだが、家庭科部はまとめられた最初のグループだったらしい。
響いた合図と共に、が駆け出した。速い。運動部なんて目じゃない。ぐんぐん飛距離を伸ばして、後ろの部員を蹴散らしていく。どこからか上がった黄色い悲鳴に思わず頭が痛くなったが、今ばかりは俺も応援することにする。腰を上げて、足元の砂を鳴らす。あと少しでにパスだ。
は周りの生徒の中に押されて、小さく小さくなっていた。けれどもパッと顔を上げると、まだ随分後ろにがいるというのに走った。バトンのパスコースギリギリまで走って、あいつは何をやっているんだ、というような顔で周りの生徒が彼女を見た。お世辞にも速くない。けれども必死な顔つきで走っていた。
が来る。彼はぶん、と振りかぶった。投げた“バトン”が、ぽーん、と生徒の頭を越える。ルール違反だ。そんなふうに体育委員が笛を鳴らそうとして、あっ、と声をとめた。
投げられた毛糸の玉の、糸の端っこをがぎゅっと握っている。確かに、バトンの玉は宙を浮いているが、手を離していない。なんとも横暴な状況だ。(バトンならなんでもいい? だったら俺たちは毛糸の玉でいいでしょうよ) 家庭科部なんだもん。と意地悪げにウィンクをしたいたずら小僧を思い出して、にやっと笑った。
どうしたものかと審判が逡巡する間に、は玉を受け取った。そのままくるくると腕を回して糸を回収して、必死に駆ける。玉を投げてと、の足が稼いだ時間も残り少ない。こっちにがやって来たときには既に運動部の数人がパスゾーンを抜けて走り去っていた。「テッドくん、ごめん!」
はあはあと喉から息を吐き出して、とぎれとぎれのその言葉に、「いや」と短く返事をする。「よくやった!」 走った。
ぐちゃぐちゃになった毛糸の玉を片手でもって、がむしゃらに走った。一人、二人、と抜かしていく。はたはたとハチマキが風にゆれてなびいた。暑いはずなのに汗がひどく冷たくて、首筋が涼しい。はっ、と喉から声を吐き出して、またぐんとスピードを上げる。わあっ、と観客の誰かが叫んでいる。あと5メートル、3メートル。
ゴール、と勢い良く足を伸ばして白線を突っ切った。それでも止まらず暫く走って、くるりと俺は回転した。周りを見た。白熱した空気がこっちに響く。鼻から息を吸い込んで汗を拭うと、ぐるぐるとが腕を回していた。その遠くではがパチパチと拍手を繰り返している。にか、と笑った。そうした後に、躍起になった自分が恥ずかしくなってパタパタと手のひらで自身を仰いだ。二着にゴールした男が、ぽん、と俺の背中を叩いた。また顔が赤くなった。
そいつに並んで一位の旗の後ろに座り込んで辺りを見る。嬉しげにパチパチとこっちに拍手をする彼女を思い出した。さっきまで真っ青な顔をしてたくせに、と考えるとなんだか面白くなって、くくっと顔を下に向けた。俺たちの結果は一位。残念ながら、文化部の中ではという意味で。さすがに陸上部やら、サッカー部にはかなわない。
ルール違反ギリギリの横暴は、クラスの得点には関わらない対抗リレーであるし、という意味で、多めに見てもらえた。しかしながら今回限りということらしいので、来年の一年にはまた別の作戦で頑張ってもらわなければならない。
テッドくん、お疲れ様、とこっちに駆け寄る彼女の頭をくしゃっとして、「こけなかったな」と呟いた。はまた顔を赤くして、「まあね」と胸をはった後に、「こけてもいいって言ったから」
さっきのまあね、に比べて、ひどく自信がなさげな台詞だった。「変なやつだな」と俺は笑って彼女の頭をまたぐしゃぐしゃに撫でた。「ぎゃっ」とが困ったような悲鳴をあげて、「テッドくんのばか」と呟いた。
「おう、ばかだ」
俺の肯定に、はまた不思議気に瞬いた。けれども俺はそれを無視した。このクソ暑いってのに、バカみたいに頑張っちまった、ただのバカだ。そんな台詞は、腐っても彼女に言うことはできなかったし、ましてや友人に聞かせるつもりなんて、絶対になかったからだ。