彼がいなくなった世界の後で[B√]





「ここ最近、ちょっとだけ涼しくなってきましたね」

さくりとパンを食べていたときに、グレミオが呟いた台詞を思い出した。そうだろうか、と思ったのだけども、半袖から長袖に変わっていた自身の制服を思い出して、まあ確かに、と頷いた。
からからと自転車を押しながら、革靴を地面につけた。赤いポストを見つめて、鞄の中に入れていた手紙を取り出した。宛名を確認する。

ストン、と、ポストの中で、静かな音がした。



   ***




「文化祭が近いな」

そう呟いたテッドくんの言葉に、うんうん、と私は頷いた。「アルデンテを目指す」なんて口元を突き出しながら、噴き出るうどんの鍋にびっくり水を入れていたくんも、「まあそうだよね」なんてやっぱり鍋を見つめて真剣な表情だ。ところでうどんのアルデンテってなんだろうか。有りなのだろうか。

「やっぱ部活でもなんかするよな。食い物かね」
「去年はそうだったみたいだね。まあ俺は部活でもクラスでもちゃんと同じだからね。テッドだけ仲間はずれだね」
「おいこのやろう……」
「まあまあ!」

なーかーまーはーずーれー! とどっかのいじめっ子のようにははんと鼻で笑う少年を相手にして、テッドくんが持っていた山芋をくんの鼻筋につきつけた。「お前の顔でするぞこのヤロウ!」「やめて! 痒くなっちゃう!」「こらこらー!」

お肌が荒れちゃう! なんて首をぶんぶん振るくんと必死に山芋をこすろうとするテッドくんの間で、食べ物は粗末にしちゃいけないよと両手をはためかせていたら、「1年生、遊んでちゃだめよー」 オデッサ先生に怒られた。

はーい、と三人で声をあわせて返事をする。くんは相変わらず、「アルデンテー!」と叫んでいた。賢い人が考えることは、なんだかよく分からない。





やっぱり、家庭科部はお菓子のお店ということになった。校門からずらりと並ぶ出店の一つで、赤いテントの下にはラッピングされて包まれたお菓子が並んでいて、なんだかすごく嬉しかった。冷蔵庫の中から取り出して、さっくり切って焼いたボックスクッキーは中々の自信作だ。さてさて、頑張るぞと家庭科部のみんな、総動員で頑張った成果である。

「お前、うれしそうだな」
「うん!」

思わず力いっぱい頷いて、恥ずかしくなった。テッドくんは呆れたみたいに私の隣でパイプ椅子に座って、青いビニールシートに足をのっけて、頭の後ろをひっかいている。
明るい音楽が、スピーカーから流れていた。入り口からやってくる人たちや、反対方向に歩く人達がごった返して、家庭科部のノボリがはたはたと風に揺れていた。

、おせえなあ」
「クラスの方の店番の時間も、もうちょっとあるからね」
ふたりきりの留守番は、あまり気まずいとは感じなかった。「すみません、いくらですか」 どきりとした。「あの、えっと」「ちっちゃいのは100円、そっちは300円、でかいのは500円」

です、と最後に言葉をつけて、体を乗り出しながら一つ一つ指をさしていくテッドくんを前にして、私はちょっとだけ小さくなってしまった。「じゃあ300円で」「まいど」 ちゃりん、と手のひらに落とされた銀色のコインと、それと反対に一つ消えるラッピングを見て、うわあ、と飛び跳ねた。

そのまま消えていくお客さんに、立ち上がった。「あ、ありがとうございます!」 勢いづいて、ガタン、と座っていたパイプ椅子が音を鳴らした。うん、と頷きながら去っていく初めてのお客さんを相手にして、今更ながらに心臓がびっくりした。それからテッドくんが持つ、3つ分の銀色に目元がきゅっと緩んでいく。

はー、と深い息をついて、椅子に座った。ちゃりん、と小銭いれにお金を入れるテッドくんは、いたずらっこみたいにちょっとだけ笑っている。それからまたガタンと私の隣に座った。「で、はいつくんだっけ」「あと20分くらい」 そしたら私と入れ替わりだ。
ふうん、とテッドくんは顔を見上げて校舎にくっついた大きな時計をみていた。チャイムの時間と、いつもちょっとだけずれている早足な時計は、まだまだ文化祭が始まったばかりだと主張している。

やって来たお客さんに、いらっしゃい、と今度は大きな声で言えた。含み笑いをするみたいに、テッドくんはまたお金をちゃりんと入れて、隣に座った。ぺちん、と手の甲が触れ合ったのは気のせいかもしれない。

ほんのちょっとだけ、周りが静かになったような気がした。
前を向いていたものだから、テッドくんがどんな顔をしていたのか分からない。「……らっしゃい!」 唐突に、テッドくんが叫んだ。「い、いらっしゃい!」 私も叫んだ。二人で一緒に立ち上がって、らっしゃい、らっしゃいと真っ赤な顔で叫んだ。

なんだなんだ、とこっちに目を向けるお客さんに、おいしいですよ! とやけになったように叫んだ。前のめりになって、バタバタと手を振ってお菓子を売った。

かちこち、と時計の針はすすんでいく。