彼がいなくなった世界の後で[B√]
吐き出す息が冷たい。
つけた手袋をこすりあわせ、鼻から息を吸い込んだ。「冬か……」
ぶくしゅ、とくしゃみが飛びでた。
ぶくしゅ
「うそやだテッド、風邪ひいてんの」
「ちげーよちょっと鼻水とくしゃみと咳がとまんねえだけだろうが」
「それを風邪以外の何という」
ちげーよ! とズボンの中からポケットティッシュを取り出して鼻をかんだ。「ういー」 おっさんくさいなあと呆れた顔をして片手を振るに、まあオッサンなら許す、と頷いた。「じじいなら許さん」「なにがだよ」
許すものか、とべしべしの首元を叩いて、ぶくしゅ、ともう一回くしゃみをした。「ういー」「きたなっ! っていうかテッド、テンションおかしいんですけど!」 はあ、と溜息をついて、廊下の端にうずくまった。妙に息がきれて、ため息ばかりが出る。「あーあーもうテッドくんよー」 もうちょっとで放課後だし、頑張れるかい、と叩かれた肩に頷いた。
結局べったりと机にへばりつくようにして授業を終えて、ぶらぶらと下足場へ歩いた。には先に帰ると声をかけている。毎日頼まれごとやらなんやらと右手を左手、両方にペンを持つようなあいつの器用さは、一体どこからやってくるのかわからない。俺には全くマネできん。
「あー……」
喉から妙な声が出る。熱い額を、べたんと靴箱につけてみた。気持ちがいい。しばらくしたらぬるくなった。「あー……」 今度はため息みたいな声だ。さっさと帰らないといけない。わかっているのに、なんとなく動きづらい。「テッドくん?」 ゴツッと勢い良く頭を打った。「なにしてるの?」 ごもっともなツッコミである。
文字通りに何をしているんだ、と咳払いを繰り返して、「なんでもね」とどうでもいいような口調で扉をあけて、つっこんでいた靴を適当にほっぽり出した。
スノコの上に足の裏をこすりつけると、勝手にため息を出した。は鞄を抱えて、履き替えた靴のまま首を傾げている。「帰り?」「おう」 少しだけ視界がぐらついた。
お互い、どうしようか、というような間があった。それじゃあ、と去ることもできないし、座り込むこともできない。1秒だか、2秒だったかわからないが、俺は色々と考えた。けれども多分、めんどくさくなった。「そんじゃあ帰るか」 声がかすれたのは風邪のせいだ。それから言葉が足りなかったような気がして、「ちょっと待っとけ。自転車とってくる」 一緒に帰るか。そういえばよかったのに、言える度胸なんてどこにもない。
うん、とが頷いた。「待っとけよ」と俺はまたぼけたような声でつぶやいて、片手を振った。それから自分では足早に歩いたつもりなのだけれども、実際、ぐらぐらとふらついていたかもしれない。大丈夫か、と問いかけるの言葉に曖昧に頷いて、二人で並んだ。からころと車輪を転がして、は俺の自転車のケツを持っていた。
ぶくしゅ、とくしゃみばかりが出る。お大事に、と掛けられた声に頷いて、曲がり角でお互い僅かに指をからめた。それから何度かの冷たい指をこすりあわせて、ゆるく瞳を閉じた。
手袋を付け忘れたと気づいたのは、玄関に座り込んで、赤く染まった自分の指先を見つめたときだ。