彼がいなくなった世界の後で[B√]
「テッドってさあ、俺と一緒に帰らない日って、誰と帰ってんの?」
なんとなく、というような口調で問いかけられた言葉に、ぎくりと肩が震えた。
「…………誰ってそりゃ色々だろ。お前意外にも友達は多いからなコラ」
「いやそりゃ知ってるけどさ。ちょっと気になっただけじゃん?」
「お前はちょっと気になったくらいでいちいち人の教室にきて前の席ぶんどって問いかけてくんのかよアア?」
「ただの会話の肴でしょうが。なんでそんな噛み付いてくるの」
っていうか風邪治った元気? と机に膝をついて首を傾げる坊ちゃんの額を思いっきり掌底で撃ちぬいた。「おかげさまで思考はマックスで死んどったわ!」 「会話と行動の脈絡がまったく見えないんだけど俺はやられたらやり返せを心情としてるんだけど何か言い訳とかあったりするかな」 ちょっと死んどこうかとアイアンクローをかけるお坊ちゃんの握力は意外と高い。
いてえいてえ、と泣きながら、普段の自分では考えの付かない行動をとってしまったことに、耳の後ろが熱くなった。
お前ら仲いいなあ、なんてクラスメートからのやっかみ半分の台詞にばかやろ、と腹の底から声を出した。ばかやろう。
「そういやテッド、今日も俺、残るから」
「へいへい」
さっさと一人で帰っとけという話である。
は教室の時計をちらりと見て、こちこち動く秒針に眉毛を上げた。そんじゃあ、と片手を振る前に、「ちゃんだろ」 吹き出した。
「何がだよ」
「だからさっきのさ。このごろテッド、ちゃんと帰ってるんだろ?」
「時間差で言うのやめてくんね?」
「そっちの方が素の反応が見れるじゃん?」
図星だなあ、とは手のひらを叩いて笑っていた。教室の扉から、慌てて戻る同級生達に、おっと、とは肩を跳ねあげた。わざとくさい動きだ。「お幸せに」 片手を振る動きは、どうにもキザったい。怒鳴る気力もなく、机の上についた手のひらに頬をのせて、聞こえるチャイムに耳を向けた。
はとっくの昔に背中を向けて、自分のクラスに帰っていった。のクラスだ。
***
「寒いねえ」
からころ、と自転車を転がして、おう、と俺はぶっきらぼうに頷いた。鞄を持ってふわりと白い息を吐くを見ないようにして、冷たい風が頬を打つのを感じた。たまたまお互い、帰る時間が同じだけだ。だからたまたま下足場で会って、たまたま一緒に帰っている。それだけなのだ。
「でも、もうそろそろあったかくなるかな」 おう、とまた短く頷く。はころりと笑った。ばかやろ。
「ばかやろう」
「な、なにが」
うるせえ、なんでもだ、と犬歯をむき出すように唸ると、テッドくんってときどき変だね、とこっちを訝しむように見つめるに、お前に言われたくはない、と思った。「再来週からテストだね。前までちょっと嫌だったけど、くんに教えてもらってから、ちょっと楽しみかも」 テストが帰ってくるのってわくわくする、と笑うを見ながら、こいつってこんなに話したっけ、とちょっとだけ不思議に思った。記憶の中のはいつも泣き出しそうで、きゅっと口元を引き縛って視線を下に向けていた。
(がいたからかな)
がいなければ、ずっと俺達はあんなだったかもしれない。感謝なんて、まあ、ちょっとくらいしかしていない。「テッドくんテッドくん」 ちょいちょい、とが人差し指を上に向けた。「……ん?」「つぼみ!」 ふっくらと膨らんだ桜の蕾だ。並木道にすいっと腕を伸ばした茶色い枝に、いくつものふくらみがあふれている。「ああ、うん」 おざなりな返事をしてしまった。けれどもどう言えと言うのだ。
「来年には、いっぱい咲くんだろうなあ。楽しみだな」
「校門にだってあるだろ」
別に、そんなことどうでもいいだろ、と言いたいわけではなく、あっちの桜も綺麗だった、と言いたかっただけなのに、また言葉が足りなかったと首元をかいた。いつもいつもうまく言えない。それだというのに、うんうん、とは嬉しげに頷いて、「そっちも楽しみ」と口元をほころばせた。少しだけほっとした。
「休みの間に散らなきゃいいな」
「うん。入学式まで持つといいね」
「俺達は持ったけどな」
「もう一年だねえ」
「おう」
「クラス、みんな同じになったらいいね」
くんとテッドくん。同じだったらうれしいな、とぱちんと手のひらを合わせるを見下ろした。自転車を止めて、なんとなく片手で顔を覆った。しばらくそのまま頭を落としていると、「テッドくん?」とが不思議気な声を上げている。ばかやろ、と言いたくなる言葉をまた飲み込んだ。「……は理系だぞ。文系と理系じゃ違うクラスだろ」「……あっ」 根本的だ。
「別に、家庭科室に行きゃ会うんだし」
同じじゃなくたっていいだろ、と鼻から息を噴きだすと、そうだね、とはやんわり頷いた。気にするな、と言った言葉は伝わっただろうか。
「ルル、あんまり走るな!」
ジンバがおせえんだよ、とよく日に焼けたおこちゃまが、からからと笑いながら駆け抜けていく。
タイヤが回る音が聞こえた。両手でハンドルを持って、と二人、顔を上げた。長く長く息を吸い込み、瞳を細める。重なる枝が白い雲の下に広がり、すっと空の向こうが流れていく。気づいたら、手のひらを重ねていた。ハンドルを持つのはバランス悪く片手にして、ぶらぶらと手を揺らしながら、俺達は白い空を見上げていた。
もう少しばかり時間が経てば、ぱらぱらと、桜が散っていくんだろう。
「なあ、あのさ。キーホルダーなんだけどさ」