
「これからよろしくお願いします、ディックさん」
ぺこりと目の前の少女は頭を下げた。
ディックは「ン?」と眼帯に隠されていない方の瞳をパチパチと瞬きを繰り返した。「あ、よろしくさー」 よろしくと言われたのだから、取りあえず言い返す。社交的にしておいて損はない。ディックは図書館の本を膝の上へとのせつつ、ただいまこの世界の知識を、脳内へとため込んでいる最中だ。女の子はいつでも大歓迎な大好きだが、職務には忠実なので、申し訳ないが相手をしていられない。
っていうか邪魔だからどっか行ってくれる?
そういう意味合いを込めて、ディックは手元の本へと目線を落とした。けれども目の前の彼女、はディックの斜め右横に移動し、ぴしりと立った。一体なんなんだ。ぴらぴらと数ページめくった後、ディックは心底迷惑そうな顔をして振りかえった。女の子は好きだけど、めんどくさい女の子はめんどくさい。そのまんま。
「なんか用でもある?」
「いえ、ありません」
「ああそう。ないの?」
「はい、ありません」
にこっとは微笑んだ。ディックは眼帯を直す振りをして顔を押さえた。なんだかイラッとした。用がないならどっかに行ってくれないかな? という自分の台詞を汲むシーンなんじゃないの? とか思っても全然駄目だ。彼女はにこにこするばかりで何の反応も示さない。ディックは口元を押さえながら、「あのさぁ」と顔をあげた。
「俺、今ブックマンの作業中なんさ? 悪いんだけど、どっか行っててくれない?」 悪いさー? とラビは出来る限り表情をにこやかにした後、ひらひらと片手を振った。
やっとこさ、は状況を理解してくれたのか、パチリと一つ瞬きを落とした。そして少しだけ困った顔をした後に、「できません」ときっぱりと言葉を発した。
「私はラビさんの護衛する任をトラン軍、軍師から承りましたので、あなたのそばを離れる訳にはいかないんです。ごめんなさい」
なんのこっちゃ。
彼女の言い分によると、ブックマンとは多くの知識を保有しており、その知識でこの戦での活躍を期待できることから、一応、念のためではあるけれど、護衛をする必要があると判断した。
………とのことだけど、どう考えても嘘っぱちだ。期待してくれている? 結構結構。しかしブックマンであるパンダジジイに護衛が付くというのならまだしも、ブックマン予備軍であるディックに護衛というのは妙な話だ。というか、護衛自体必要ない。端的に言えば、これはただの監視だ。
そしてこのあんまりにもウソ臭い護衛とは、「こっちはこっちで監視してるから、あんまり妙なことはすんじゃねーぞ」と釘を打たれているということである。めんどくさい。
「軍主様に会わしてくんねーの?」
「残念ながら。リーダーはただいま職務中なんでな」
青いバンダナをつけていた、確かの兄である男、フリックが腕を組みながら、扉の前へと立ちふさがる。ディックの後ろでは困った顔でがあたふたしている。「職務中つってもさ、5分くらいいだろ? それも駄目なくらいに忙しいのかね?」「忙しいんだ」
フリックはつとめて無表情のままにディックを見下ろしたが、多分こいつは感情的になりやすい男なんだろうな、と今までの経験からディックは判断する。だからこそ、感情を押し殺しているのだ。ディックはにやりと笑ってフリックの耳元へと囁いた。「あーんな可愛い妹さんが、護衛なんて、俺ちょっとムラムラしちまうんさ。だから他の子に代えて欲しいって頼もうとしてるだけなんだけど」「……! お、おまえ……!」
おっと! とディックは即座に一歩後ろにとびさる。「兄さん!」 が叫んだ。フリックはカッとした自身を落ちつけるようにディックへと伸ばした手を元の位置へと戻すと、「駄目なものは駄目だ。さっさと帰れ」「なるほど、襲っちゃってもいいと」 思いっきり睨まれた。
ディックは「ジョーダン、ジョーダン」と両手を顔の横へと移動させ、そそくさと逃げていく。そしてその後ろをがくっつく。チッとディックは軽く舌うちをした。(あのフリックって野郎、先に言いくるめられてやんの) 最初っから、あのという若い軍主、もしくは軍師に言いくるめられているのだ。
ディックはちらりとを振りかえった。はなんでしょうか、とでもいう風に首を傾げる。こいつはあの軍師から、監視云々の目的を聞かされているのだろうか。それにしてはぼんやりとした顔をしているが、女なんて腹の中で何を考えているか分からない人種だ。どれだけ美人でも(いや、美人の方が)腹黒いことを考えるし、そんな女はたんまり見てきた。
ディックはと暫く見つめ合った後に、唐突にへらりと笑った。も慌ててへらりと笑い返した。その瞬間を逃さず、ディックは即座に階段を駆け下り、飛び降りる。「え? え? ええ? ディックさん!?」 がディックが飛び降りた後を見下ろしてももう遅い。
ようは、彼女から逃げきればいいのだ。
あんなトロそうな女から逃げきるなど、朝飯前である。はっはっは、とディックが軽やかに笑いながら駆け抜けている後ろで、「まちなさーい!」と言う聞き覚えのある声が聞こえた。ディックはぎょっとして振りかえった。予想以上のスピードでディックの背後を疾走する彼女を見て、彼はぎょっと目を見開いた。そして、「待てるわけないさー!!」と大声を上げながら力の限り脱兎する。
「さんに怒られちゃうじゃないですかー!!」
「そんなの知らねぇしー!?」
まてー。またないさー。
トランの湖にそびえる城で、一つの追いかけっこが始まった瞬間だった。
2011.05.23
ちょっとすれてるラビさん